08 グロという言葉の悪さ
世界を作った創世の神が連れていた獣が黒い毛並みをしていたことから、ガルセスでは昔から黒を神聖なる色として敬う傾向にある。
しかし文明が進むにつれて他所の文化も流入し、そのなかにあるのが「白を崇める」という考え方だ。
その発祥は他大陸にあるといい、そこでは「白が神聖なる色」であり、清廉なる美しさを表現する色とされているという。
純粋なる白。
すなわち純白。
ほんの少しの汚れすら目立ってしまう白こそが、穢れのない証拠である。
最近の教会は、こちらの考えを押し出す派閥が増えており、白対黒の争いが生まれている状態だ。
「だから、あまり近づかないほうがいいだろう、黒毛」
「そもそも用事もないですけどね、教会とか」
「教会関係者は、どこにでもいるから気をつけておけ」
「ご忠告感謝します」
「うむ。それはそれとして、竜騎士団の仕事はどうだ」
「皆さんにはよくしてもらってますよ」
「ならばよい。もし問題があれば申せ。アドレーでも、グラハムでもかまわんからな」
「重ね重ね、ありがとうございます殿下」
ヴィンセンテ・ガルセスは鷹揚に頷く。かたわらにはグラハムが立ち、こちらもゆかりに向かって微笑んだ。
時折こうやって、ヴィンセンテはゆかりを呼び出して話をする。困ったことはないか、ちゃんと馴染めているのか。気にかけてくれていることがよくわかる。そういった意味で、彼は非常に良い
ヴィンセンテに伝えたとおり、職場環境は良好である。
ドラゴン達はゆかりに優しいし、騎士団の面々ともトラブルはない。はじめは落ち武者ということで遠慮もみられたが、今では気軽に声をかけてくれるようになっている。フェイムだけはあいかわらずだが、言葉がわかる云々について、嘘つき呼ばわりされることはなくなった。
私生活の面でも、ノーソルデル邸に問題はない。グラハムの指導がいいのか、使用人もゆかりを冷遇しないし、リングレン少年はかわいい。
至れり尽くせりの状態で、ゆかりは満足していた。
ヴィンセンテの前を辞して竜の待つ森へ戻る道すがら、ゆかりは白い人を見た。
正確には、白い衣を着て、白いフードをかぶった「白づくめ」の人だ。教会の修道服を白くしたような恰好は、お城の中で浮きに浮いている。
白と黒の対立話を聞いたばかりだったため、ゆかりはなんとなく警戒して、そっと柱に隠れた。
(なんか、幽霊みたい)
う~ら~め~し~や~、という定番の台詞が頭をよぎる。
だが今は昼間だ。しかもお昼前だ。幽霊が闊歩するには早すぎる時間である。
白い人が廊下の端を折れるのを待ってから、ゆかりは逃げるように城を出た。森へは向かわず詰所の方へと顔を出すと、ちょうど休憩中だったのか数名が集まっている。
「おかえり、殿下の用事終わったのか?」
「ユカリちゃん、お菓子あるよ」
「なにか飲むかい?」
「終わったし、食べるし、飲みます」
言われるがまま空いている椅子に座ると、お菓子が盛られた皿が差し出された。オレンジピールを混ぜ込んだクッキーが、甘酸っぱい香りを放っている。ベルガモットの冷たい紅茶を出してくれて、ゆかりはホクホク顔だ。
「――昼飯前だぞ。あまり食べすぎるな」
「わかってますよー、もう」
「いいじゃないかアドレー、少しぐらい」
「そうだそうだ」
「そうやって甘やかすから、こいつが入りびたるんですよ」
「なんだよ、いいじゃないか。女の子がいるほうが華やかになって」
「警護団の奴らめ、いい気味だ」
竜騎士団と警護団は、共に男職場でありながら、ドラゴンが怖いという理由で女子が近づかないため、むさ苦しいと言われていた。女性が顔を出して、差し入れをしてくれるんだと自慢されていた竜騎士団としては、ゆかりがこちらに所属したことで、優位に立ったわけである。
ゆかりが就職を宣言した晩、エルビス団長は英雄となった。
勧誘のもう一人の立役者であるアドレーは、サクサクごくごく口を動かしているゆかりを睨む。
「おまえも喰ってばっかじゃなくて、さっさと森へ戻れよ。探してたぞ、たぶん」
ふんふんと頷いた彼女は立ち上がり、団員達に頭をさげる。
「ご馳走さまでした。戻りますね」
「またおいで」
「はい」
ゆかりが出て行ったあと、団員達は当然アドレーに文句を言う。
「あんな追い出すみたいに言わなくていいだろうが」
「なにが気にくわないんだよ」
「俺は仕事をさぼるなと言いたいだけで――」
「さぼってるわけじゃないだろう。殿下の招集だし」
「ドラゴンを相手にするのが仕事だっていっても、そればっかりだと寂しいだろうし」
「ユカリちゃんだって竜騎士団の一員だ。詰所に来る権利あるぞ」
「別に来るなと言ってるわけじゃ……」
「おまえだけずるいんだよ」
「はあ?」
一人がアドレーを指さし、言い放った。
「独占すんな。ちょっと顔見て話すぐらい、いいじゃないか」
グルルル
ドラゴンの唸り声に我に返り、アドレーは上を仰ぐ。ノエルがこちらを見ており、視線が合うと鼻息を鳴らした。
「すまない。ちょっと考え事をしていた」
いつの間にか岩肌の目立つ場所にまでやって来ていたようで、たしかにこれ以上進むと、人間には危険とされる区域になる。忠告してくれたノエルに改めて感謝して、アドレーは身体を反転させた。
竜騎士は当番制で領内を飛び、空からパトロールをおこなっている。当番以外の者は自己鍛錬をしたり、デスクワークをこなしたりと様々に過ごすなか、アドレーはよくノエルを連れて散歩に出かける。背に乗せてもらうこともあれば、ただ森を歩きまわることもある。
歩幅がまるで違うにもかかわらず、ノエルはいつもアドレーに合わせてゆっくりと移動をしてくれる。そんなところもまた嬉しく、愛おしい部分でもあった。
グイっと背中側の服を引っ張られて息がつまる。すると目の前に大きな木が鎮座しており、顔に当たる寸前だった。
「……ありがとうノエル」
ノエルは鼻先をアドレーに近づけると、擦りつけるようにして移動を促す。誘導されるように大きな岩の前へ辿り着くと、ノエルはその場に
さすがに注意力が散漫すぎた自覚があるため、ノエルの身体に背中を預けるように腰をおろす。知らず、溜息が漏れた。
昼前に同僚に言われたことを思い出す。
(独占ってなんだよ。文句を言うならヴィンに言えよ。命令したのはアイツだぞ)
不慣れな落ち武者を導くための補佐役。
出迎えに立ったアドレーが、その任に就いている状態だが、別に本人が望んでそうしているわけでもない。「引き続き頼むわ、おまえが適任」とヴィンセンテに言われては断れるわけもない。
彼女は目立つ。あれほどに純粋な「黒毛」は、この一帯では珍しすぎるのだ。その昔、黒毛の落ち武者が現れた時は、その髪の毛一本すらも争いの種になり、人が群がったという逸話も存在する。件の落ち武者は短髪の男性であったため、彼は髪を剃って坊主となり、以降騒動はおさまったのだが、女性にそれは酷な話だろう。
そこまでの騒ぎを想定しているわけではないだろうが、なにせ初めての落ち武者だ。ヴィンセンテとしては、おかしな偏見の目に
その心は理解できるし、ヴィンセンテのそういう優しさをアドレーはよく知っていた。
だからこそ命令に従っているわけだが、それを「独占」と言われては腹が立つ。だったら変わってくれよ――という気持ちが湧いてくるというものだ。
(そうだ。日替わり、当番制にすればいいんじゃないか。竜騎士団に入ったんだ。騎士団の連中全員で担当すればいいんだ)
「よし、団長に提案しよう」
口に出すと、すごくいい意見のような気がしてきて、アドレーはすっきりした気持ちで立ち上がる。
グルル……
ノエルが不安そうにアドレーを見る視線に、彼は気づいていなかった。
◇
『それはきっと新興教会の人ね』
「しんこう?」
『近年になって新しく興った考え方を掲げた教会よ』
「ひょっとして殿下が言ってたやつかな」
『なにか言ってたの?』
「白を崇める考え方が増えてきて、黒と対立してるって。だから、教会には近づかないほうがいいって言われたんだよね」
『そうね。ゆかりは
「じゅんぐろ?」
『純粋なる黒はドラゴンから見ても美しいわ』
オレンジがかった黒い鱗を持つエルナは、そう言ってゆかりの髪を見つめる。
『ヴィンセンテの言うとおり、あまり出歩かない方がいいわね』
「目立つから?」
『純黒だからよ』
真っ黒だから駄目とはこれいかに。
白からすれば、黒は排除したい存在だから、狙われるということだろうか?
ところで「じゅんぐろ」という言葉がよろしくない。どうして「じゅんこく」ではないのか。「じゅんぱく」の対義語にするのなら、「じゅんこく」であってしかるべきだろうに。
ぐろって言われると、グロテスクの略にしか思えない。
(落ち武者だと和製ホラーだけど、グロっていうとスプラッタホラーだな)
どこまでも「死」に縁のある単語に、胃が重く感じるゆかりであった。
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