03 逃避しても現実は現実
さざめく人達。中央をあけて、周辺を取り囲むように設置されたテーブルには真っ白なクロスが掛けられている。壁際には飲料用のカウンター、少し離れて料理が並んだテーブルがある。
人数にして五十名ほどの男女が、そこかしこに群れを作り、立ち話に興じていた。
高らかに告げられたゆかりの名前に、全員の目が集まる。
ゆかりは思わず背筋が伸びた。
背後からは新たな来訪者を告げる声があがり、慌ててその場を譲る。人が少なそうな場所を探り、コソコソと移動を開始した。
(おかしい。これ、説明会じゃない。案内する場所間違えてない?)
動揺しつつもホールから出ないのは、ゆかりも薄々気づいているからだった。つまりこれは最初から、就職セミナーではなかったということを。
グラノーラは最初からこのパーティー開催を知っていて、出席するのに必要なドレスを用立ててくれたということなのだ。グラハムとて当然知っていたはずで、わかっていなかったのは、ゆかり本人だけであった。
「随分と遅かったな、黒毛」
「いたんですか、アドレーさん」
「殿下に言われただけだ」
くそう、ヴィンの野郎――とアドレーは吐き捨てた。ゆかりは驚いて問う。
「ヴィンって、ヴィンセンテ殿下のことですよね。お友達なんですか?」
「昔からのな」
「王族の幼馴染とか、なにそれどこの漫画の話ですか」
「まんがって、なんだ」
「絵本の上位互換みたいなものです」
漫画は漫画であり、なんとも説明の仕様がないので、ゆかりはそれでごまかした。大筋では間違っていないはずだ。
もとよりたいして興味はなかったのか、アドレーは追及しなかった。ゆかりは重ねて問いかける。
「あの、お友達なら教えてほしいんですけど。これは一体なんの集まりなんですか? なにかのお祝いですか?」
「はあ? おまえが言ったんじゃないのか、黒毛」
「私が言った? なにを?」
「伴侶を探したいと、そう言ったと聞いてる」
「はあ!?」
思わず声が裏返り、周囲の目が一斉にこちらに集まった。アドレーは笑顔を浮かべ「失礼、落ち武者殿は慣れぬ場所ゆえに、少し驚かれたらしい」と告げると、ゆかりの背中に手をまわし、テラスへつづく扉のほうへと移動する。
外からの風が入るこのエリアは、ダンスに疲れた人が涼みにやってくる場所だが、はじまって間もない今は人も少ない。あまり聞かれたくはない話をするには、ちょうどいい場所だった。
「あのですね、なにか巨大な誤解がある気がするんですがいいですか」
「俺としてはむしろ、なにを驚いているのかがわからないんだが」
「私はですね、なにをして暮らしていけばいいのかと訊いたんですよ」
「そうか」
「だから、落ちてきた人はどんなふうに暮らしているのかが知りたかったわけでして」
「ああ」
「学校に通うような年の子どもはともかくとして、普通は働いて暮らすじゃないですか」
「え?」
頷いていたアドレーの言葉がとまる。
なおもゆかりは続けた。
「お仕事の斡旋とか、就職先の紹介とか、そういう機会を設けてくれるのかと思っていたら、これですよ。おかしいでしょ」
「……いや、その理論はわからなくもないが」
「ないが?」
「間違いなく通じていないだろう」
「なにゆえにっ」
「アイツが俺に言ったのは、落ち武者は未来を共にする男性を探しているということだった」
「なんでそうなる」
「アイツにとって、女性は家にいる存在だからだろう。働きに出るという考えがない」
ゆかりは今後の暮らし方=就職だったが、ヴィンセンテにしてみれば、今後の暮らし方=養ってくれる男性が欲しいに転換されたということで。
「つまり、これは、私のために開かれた婚活パーティーである、と」
そういうことだった。
「すみません、これもうちょっと焼いてもらっていいですか?」
切り分けられたローストビーフを皿に盛り、ゆかりは今まさにフランベしようとしていた料理人に声をかけた。
「焼くのですか?」
「私、赤いと食べられない体質なんです。レアのほうが美味しいのはわかってるんですが、完全に火が通ってないと無理で……」
「さようでございますか。それは大変でございますね。落ち武者様用に、ご用意いたしましょう」
出した料理にケチをつけたようなものだが、彼は笑顔で対応し、ゆかりのために新しく肉を焼いてくれた。好みのソースまで訊いてくれて、あまりスパイスの効いていないサイコロステーキを用意してくれたのだ。
プロである。
ゆかりは四角い肉をひとつ頬張り「美味しいです」と笑顔で感想を述べる。
「うまく言えないんですけどこのソース、甘いだけじゃなくて、深みがある? コクがあるっていうのか、とにかく美味しいです。お肉も柔らかいし、立ってても食べやすい大きさだし、もう完璧です、言うことないです、ありがとうございます」
拙いながらも心の底からの賛美は料理人に通じたらしく、彼もまた破顔する。
「ありがとうございます、落ち武者様」
「ゆかりです」
「ユカリ様ですね」
フォークを皿に乗せ、片手をあけたゆかりが手を伸ばすと、相手もまた手を差し出した。
見つめ合い、握手を交わす二人。そんな光景を見て、アドレーはなんとなくイラっとした。
頭をさげてこちらに戻ってきたゆかりは、不機嫌顔の男を見て、首をかしげる。
「おつかれですか?」
「べつに」
「食べます?」
お腹がすいているから怒ってるのかな、と皿を差し出すと、眉を寄せてしかめっ面になる。
自分でもなにをイラついているのかわからないアドレーの鼻を、ステーキの香ばしさがくすぐる。ぎゅるりとお腹が鳴り、口の中に唾が溜まる。
(なるほど、腹が減っているからイライラしたのか)
納得し、近くのテーブルからフォークをひとつ手に取り、差し出された皿から一欠片の肉を口にした。
旨かった。
朗らかな笑顔で握手を交わした理由がわかるほどに、肉は旨かった。
アドレーは思わず料理人のほうに顔を向ける。颯爽と肉を切り分ける姿が目に入り、ナイフ捌きに惚れ惚れした。
「美味しいでしょう? あの人はすごいですね」
「俺の家にスカウトしたいぐらいだ」
「アドレーさん家にはお抱えシェフとかがいるんですか?」
お金持ちなんですねーと、のんきそうに告げるゆかりに、アドレーは毒気をぬかれる。
結局のところこの女は「結婚がしたい」わけではなく、生活の基盤を整えたいと、ただそれだけなのだろう。
それは、寝食をする場所のみをさすわけではなく、なにを考え、なにをして暮らしていくのか。人として生きていく根幹の問題。
おもえばアドレーは、なにも知らない。
ガルセスに落ちる人は数年に一度の割合で存在するが、ライセム領に落ちたのは、アドレーが認識するかぎりでははじめてのことだ。
だから多少なりとも緊張していたし、胸を高鳴らせてもいた。
どんな人かと思えば、おそらく年下の、下働きをしているような服装をした女で、動揺してしまったのもたしかだ。
なにかの間違いかとも思ったが、それでも彼女の髪が黒かったことから、間違いなく彼女が「落ち武者」だとわかった。
ガルセスにおいて黒は、尊きものとされている。神の使いとして崇められている神獣は、夜の化身のような美しい黒い毛で覆われているため、神事には黒毛で作った鬢を着用するのが習わしだった。
他国からの移民によれば、黒い髪の民族も存在するという。
ガルセスからは遠く離れた場所で、交易すら存在しないような国であるため、たしかめようもないが。
とにもかくにも、希少とされる黒毛の落ち武者は、アドレーとは無縁の存在であり、こうして傍にいることすら稀な事態なのだと無意識に線を引いていたことに気づいた。
出迎えて、引受先が決まって、それで終わりではない。
現実は、そこから先へ続いていくのだ。
アドレーは少々うしろめたくなり、皿に盛った肉の隣に、サラダを盛り付けて食べはじめたゆかりに、声をかけた。
「――希望は、あるのか」
「次は鶏肉が食べたいです」
「肉の話じゃねえよ」
「デザートが出るにはまだ早いですよね?」
「……頼むから食い物の話題から離れてくれないか」
こてんと首をかしげたゆかりに、アドレーは肩を落としてうめいた。
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