02 TPOは大事です
白石ゆかりに与えられた新しい居候先は、数人の使用人を雇用する程度の財力がある、庭付きの洋館だ。
身元を引き受けてくれた男性は、父親というには若く、兄とするには年が離れている、四十を超えたばかりの紳士。薄い色の金髪をオールバックに撫でつけて、パリッとしたスーツを着こなしている姿は、物語の挿絵に出てくる「執事」を彷彿とさせる。
グラハム・ノーソルデルは、執事ではないが、ヴィンセンテの補佐をする、いわば宰相的ポジションの人であるらしい。
宰相というと勝手に眼鏡キャラにしたくなるが、グラハム氏は柔和な男性だ。落ち武者であるゆかりを押しつけられたにもかかわらず、笑顔で迎えてくれた仏のような人だ。拝むかわりに、深々と頭をさげたものである。
ちなみに奥さんは「ちょっと出かけてくるわ」とドラゴンに乗って旅立ってから、一年が経過しているという。
「まあ、そのうち帰ってくるでしょう」とグラハム氏は達観したように言ったが、それは逃げられたとか、そういうことではないのだろうか。
ゆかりは思ったが、どうやら昔から自由人らしく、戻ってこないことなどしょっちゅうだったそうだ。
「僕はもうあきらめたよ」と言ったのは、彼らの子どもであるリングレン。今年十歳になった一人息子である。
少年合唱団で歌っていそうな風貌の美少年に、「僕、兄弟が欲しかったんです。よろしくおねがいします、お姉さま」と微笑まれ、うっかり新たな世界を開きそうになったゆかりであるが、さすがにお姉さまはやめてもらった。ちょっと色々困る呼び方だった。
家に置いてもらっているとはいえ、ゆかりは家族ではない。
そのことを踏まえ、もう単純に名前で呼ぶことに落ち着いたのだが、ニッコリ笑顔で「ユカリ」と呼ばれると、それはそれでむずがゆかった。
ノーソルデル邸に身を置いて二日目、ゆかりを訪ねて客人がやって来た。どこかグラハムに似た女性は、グラノーラ・ベルハルディと名乗り、グラハムの妹なのだと笑みを浮かべる。邸の使用人達がノーラ様と呼んで親しげにしているところをみるに、兄妹仲はよいのだろう。
なるほど、グラノーラだから、ノーラ様か。
ゆかりは頷いた。
つまり、グラハムさんは、ハム。
彼女の中で、彼の渾名が決定した瞬間である。
すなわち「ハムの人」と。
ああ、ハムステーキ食べたい。
フルーツグラノーラ様――もとい、ノーラ様は、落ち武者のゆかりを見物に来たようだ。
動物園の珍獣や、外国から来た珍しい展示物とか、そういうものだと理解する。
(まあ、たしかに、自分のお兄さんの家にそんなのがいたら、見に来るよねー、普通)
そして周囲の奥様たちに話すのだ。
お兄様のところに、ほら、あれ、噂の落ち武者がいるのよ、と。
日本でそんな話をすれば、どこのホラースポットかと思われるだろう。テレビの心霊特番が組まれること請け合いだ。
古びた鎧も着ていないし、矢も刺さっていない落ち武者のゆかりは、ノーラの視線にひらすら耐えることにした。
「ところで、貴女、えーと」
「ゆかりと申します」
「ユーカリ」
それはコアラの食料として認知されている植物だ。ユーカリエキスはたしか虫除けにもなるはず。
ユーカリ、ユッカーリと、しばし発音をたしかめたあと、ノーラは口を開く。
「ユカリはこれからどうするつもりなの?」
「……まだ、なにも」
兄に寄生するニート扱いされているのかと冷や汗を垂らしつつ、ゆかりは曖昧に笑った。笑顔でごまかすのは日本人の得意技だ。
だが、生粋のガルセス人のノーラはごまかされてくれなかったらしい。
「きちんと希望を言わないと駄目よ。ヴィンセンテ様は強引なところがある方だから、流されてしまうわよ」
と思ったら、励まされた。
筋肉王子の人となりは、領民にきちんと浸透しているらしい。
それからノーラは、身だしなみについても語りはじめた。「お兄様に任せておいたら、駄目だもの。お義姉様はまだ帰っていないし」ということで、自分がやらなければと思い立ったということだ。
就職面接のためのリクルートスーツ的な洋服がきっとあるのだろう。
今日は特に用事がないことを告げると、昼から改めて採寸に来るという。なにやら本格的だった。既製品を売っている店を教えてくれるだけで十分なのに、この流れはあれだ、いちから仕立てるというやつだ。セレブが持っているオートクチュールというやつに違いない。
やばい――
ゆかりは思った。
お金がない。
こちらの通貨単位はオウンという。日本円に換算してどれぐらいかはわからないが、コインも紙幣もあるので、文明レベルはわりと高いというのが、ゆかりの感覚だ。
このあたりの擦り合わせに関しては、落ち武者用に作られている冊子「よくわかるガルセスの暮らし方」に書いてあった。一昨年に改訂されたということなので、情報が古いということもないはずだ。
初めてお城に上がった際、支度金ということで一定額が渡されている。国家から補助金が出るとは、落ち武者というのは恵まれている存在だ。これではエセ落ち武者が出てきて、不正受給をしかねないと思うのだが、そこは一応しかるべき機関によって調査がおこなわれるという。
ゆかりも調査らしきものは受けた。
といっても、簡単な身上確認といったかんじで、わりとあっさりしたものだった。なんでも、純粋な黒髪はそれだけで落ち武者の証拠となるそうだ。これでは、在日外国人は大変だろう。
落ち武者――地球人であることの証明として、全世界の人間が知っているであろうことを、証明としたほうがいいのではないだろうか。
たとえば、地球は青くて丸いとか。オリンピックといえば、いくつの輪が並んでいるのかとか。その程度であれば、北半球も南半球も関係なく、皆が知っていることだろう。
そんなことを考えながら昼食を食べ、食後の珈琲を飲んでいると、ノーラがお抱えの針子を伴ってふたたび現れた。
ゆかりと同世代と思われる針子の女性は、早速とばかりにメジャーを引き出して、必殺仕事人よろしく構えて笑った。
「さあ、落ち武者様、戦闘服を作りましょう」
「戦闘服ですか」
「戦いの場に赴くのですから当然のことです」
針子とノーラの目が熱い。
この国の就職戦線はそんなに厳しいのだろうか。
大将の首を取りに行くがごとく、鎧を着こむ必要があるらしい。
量産型ノーマル服を着るような足軽気分とはいかなさそうで、ゆかりの心は重くなった。
この国の流行などさっぱりわからないので、デザインについては丸投げだ。白石ゆかりは、マネキンになった。
その日の晩、妹の来訪を知ったグラハムに謝られたが、洋服の手配をしてくれたことに関しては感謝の気持ちが大きかった。TPOは大事である。
ヴィンセンテからは日程が決まったとの連絡があり、それに間に合うようにとノーラには先に伝達しているという。
ハムの人は、仕事が早かった。宰相ポジションにいるだけのことはある。
ユカリの洋服、楽しみだねとリングレン少年が声を弾ませ「そうだなぁ」と父親がのほほんと答える。
親子の団欒にまじっていることに、ゆかりは少しだけ罪悪感を覚えた。
そして、当日である。
お針子軍団による超特急なお仕事により、無事に仕上がったのは、なんとも豪勢なドレスだった。結婚式に参加するよりもさらに華やかな、たっぷりと布を使ったスカートは不思議と軽く、少し動くだけでもふんわりと空気を纏って踊る。さながら海水で揺れるクラゲのようであった。
そんなクラゲドレスを身に纏い、それに合うように化粧までもが施される。
ゆかりのメイクテクニックではドレスとのバランスが取れないことは明白なので、それはそれで非常に助かったのだが、問題はそこじゃない。
戦闘服のはずなのに、あきらかに戦闘に向いていないところなのだ。
こんなヒラヒラした服装で面接に臨む人はいないだろう。仕事をする気がまるでないじゃないか。
(この国の女性は、こんなパーティードレスみたいな恰好でする仕事しかないんだろうか)
そんな考えが脳裏をかすめたが、頭を振って否定する。使用人にも女性はいるし、お城に滞在していた時も、作業服のような恰好で庭を整えている女性を見たことがあるのだ。
となると考えられることは、ただひとつ。
落ち武者が就職できる職種はかぎられている、ということだ。
なんということでしょう。余所者には、職業選択の自由がないらしい。
トボトボと廊下を歩く。
ゆかりの他にも、ちらほらと同じ目的と思われる人がいる。男性はスーツというか燕尾服を着用していて、女性はゆかりと同様の路線だ。これからダンスパーティーが開かれるといったほうがまだ納得できる状況である。
先導する女性が脇に避け、ゆかりの前でゆっくりと扉が開く。
音ではないどよめきと、圧のこもった空気が襲ってくる。
「ユカリ様、ご入室です」
扉の先は、パーティー会場だった。
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