トンネルを抜けるとそこは異世界でした

彩瀬あいり

01 ようこそ、新しい世界へ

 トンネルを抜けるとそこは異世界だった。


 非現実な光景を目にしただとか、異国情緒溢れる場所が目に入ったとか、そういう類のものではなく、正真正銘「異なる世界」だった。

 白石ゆかりがどうして「異世界だ」と判断したかというと、見上げた空を滑空する巨大な生物がいたからである。

 飛行機ではない存在。

 そもそも空港は近くにはないわけで、あったとしても、あんな生物めいたデザインの飛行機はないだろう。飛行機に施していいのは、ペイントぐらいじゃないだろうか。

 あれはなんだ。鳥だ、飛行機だ。いや――

「ドラゴン?」

 視界いっぱいに広がったのは、空想上の生物であるところのドラゴンだった。

 たぶん、そう。

 だって本物を見たことがないのだから、断定はできない。もしかしたら恐竜って可能性もある。ジェラシックパークの記憶もおぼろげだし、造形について語れるほど恐竜事情にもくわしくもない。空を飛ぶのがプテラノドンかな、程度の知識である。

 しばし呆然と佇む。背負ったリュックサックが肩からずり落ちそうになり、慌てて右肩にかけなおした。

 暑いなー。

 ゆかりはそう思った。

 ここも夏なんだろうか。日射しが眩しい。

 日傘持ってくればよかったなと、自宅の玄関に思いを馳せた時、影が差した。

 見上げると、推定ドラゴンがゆっくりと降下してくるのが見え、ゆかりは目を見張る。

 そして彼女は気づいた。

 今ここに突っ立っていたら、ひょっとしてひょっとしなくても潰されるのでないだろうか、と。

 ゆかりは慌てて退避する。

 上空から大きな羽ばたき音が聞こえ、風が場を掻き乱した。地面の土や草を巻き込んで、舞い上がっていく。

 乱れる髪をおさえながらドラゴンらしき生物を見ていると、その背中に誰かが乗っているのが見えた。

 逆光の中、男の声が降ってきた。

「おまえが※※※※か」



   ◇



 そんなことがあったのが、ゆかりの体感時間で一週間前のことである。

 ドラゴンに乗っていた男に連れられて、写真や映像でしか見たことがないお城的な建物にやって来た。

 馬の背中にだって乗ったことがないのに、ドラゴンに騎乗するだなんて、どこかのテーマパークのアトラクションじみている。そうして着いた場所がお城だったものだから、余計にそう感じてしまうのは仕方のないことだろう。

 これで門番に「ようこそ!」とテンション高く歓迎されれば、暑いなか、お仕事ご苦労さまですとなるところだが、いかめしい顔で一瞥されたので、なんだかなぁといったかんじだ。

 けれど、それもまた仕方がなかったのだと、あとになってわかる。

 ゆかりを連れてきた例の男性――アドレー・グリーブスは、竜騎士という誉高い役職に就いており、門番からすれば憧れの存在だった。野球やサッカーをする少年が、プロの選手を間近に見たら興奮するのと同じ理由で、門番的には「うわ、やっべー。アドレー様だよ」といった心境でありつつ、それを押し隠しそうとして顔が強張っていたというわけだ。

 そのアドレー様は、たしかに顔は良かった。

 だが、中身がよろしくなかった。

 彼は言うに事を欠いて、ゆかりをこう呼んだのだ。



「なにをしているんだ、黒毛」

「窓の外を眺めてましたがなにか」

「殿下がお呼びだ」

「そうですか」

 ゆかりを「黒毛」と呼ぶ彼は、この国――ガルセスにおいて標準的な金髪に、灰褐色の瞳をしている二十代後半の青年だ。日本育ちのゆかりにとっては、洋画に出てくる俳優のような風貌で、場所がお城だけあって、ファンタジー大作の映画を観ているような気持ちになる。たなびくマントがないのが非常に残念だった。

 金髪が標準な国において、ゆかりは浮いている。群衆の中にあってもすぐに見つかってしまうぐらいには、浮き上がっていることは自覚しているし、それがアジア人標準装備の黒い髪に起因することも、重々承知している。

 だがしかし、黒毛と称されるのはいただけない。

 そこに悪意があるのかどうかはさだかではないが、言われたほうとしては思ってしまうわけだ。

 和牛かよ、と。

 ああ、いい肉が食べたい。霜降りのブランド牛。美味しいお肉は、長時間火を入れても決してかたくはならないと知ったのは、去年参加したバスツアーの夕食だった。

 あれは美味しかったなぁ……と、タレの味を思い出すゆかりに、アドレーは眉根を寄せた。


 どこからともなくやってきた黒い髪の女は、時折こういった表情をする。

 彼女の瞳は、深淵を覗くような心地がすると一部で評判だが、アドレーに言わせれば、盛大な勘違いだ。あれはそんな深く物事を考える性質たちじゃない。今にしたってきっと「お腹すいたなぁ」程度に違いない。

 わずか数日で、彼は白石ゆかりの本質を的確に見抜いていた。

 彼女は食に対して貪欲であった。

 ドラゴンを見て「ドラゴンのお肉って食べられるんですか?」とのたまった時には、硬直したものである。心なしか当のドラゴンも強張ったような気がする。宥めるように鱗を撫でたのは記憶にあたらしい。

 なんでも彼女の世界には「ドラゴンステーキ」なるものがあるらしく、ドラゴンの肉は食べられるのかと思ったのだそうだ。

 王城に着いてからも興味深げにキョロキョロと辺りを見回し、なんというか落ち着きがない、まるでネズミのような女だった。

 まったく、どうしてこんな得体の知れない女をとどめているのだろうか。

 空間と空間の隙間から「落ちてくる」ものに対し、国が責任を持って対処していることはわかっているが、実際に対面したのははじめてで、アドレーは非常に困惑していた。



 意地汚い不審者扱いの白石ゆかりだが、べつに彼女とて望んでそうしているわけではない。

 古今東西、こういった神隠し的な現象は、数多く存在する。日本のみならず、外国にだってその概念は存在するのだから、世界で人気の漫画やアニメにかぶれたオタク的発想ではないはずだ。

 けれど、圧倒的に日本的な影響が強いのではないかと判断できるのは、はじめてアドレーに会った時に彼が告げた言葉が原因だ。

 あの時彼は、ゆかりに問うたのだ。

「おまえが落ち武者か」と。

 無論、速攻で否定した。

 まだ死んでない。たぶん。

 その時、ゆかりの脳内でイメージされたのは、血のついた鎧を着こみ、ところどころに矢が突き刺さっていたり、日本刀を持っている武士――夏の風物詩たる怪談によく登場する、あの姿である。

 落ちてきた人、とか。まあ、そういったニュアンスなのだろうと解釈したが、それにしたって「落ち武者」とは。この単語をはじめて使った人は、なにを考えていたのだろうか。

 ジャパニース忍者が人気なように、外国人は戦国的なテイストが好きである。ちょっと勘違いした外国の人が使った可能性もなくはないだろう。

 本来の「落ち武者」からすると、自分も十分に勘違いをしているゆかりは、他人事のように結論づける。

(なんにせよ、そういった呼称があるってことは、別の場所からやってくる人物は一定数存在するってことだよね)

 前例があるのならば、マニュアルもあるだろう。いきなり投獄されたりすることもないに違いないと考え、ゆかりは素直にアドレーに従いお城へと連行された。その時に対面したのが、王子だ。

 ヴィンセンテ・ガルセスは、この地方・ライセムを治める領主を兼ねている。ガルセス国には現在、三人の王子と一人の王女がいるそうで、国を区分けして、各自に管理運営をさせているらしい。将来国を背負って立つための勉強ということなのだろう。


「おお来たか、黒毛」

「……なにか御用でしたでしょうか」

 ヴィンセンテもまた、ゆかりを「黒毛」と呼称する失礼な輩の一人であると同時に、王子というキラキラした言葉の持つイメージを真っ二つに両断した男である。

 三十手前という年齢は別にかまわない。人間誰だって年を取るのだから、世代交代が起きないかぎり、王子は王にはならない。

 だが、服の上からでもわかるほどに筋骨隆々の体躯は、王子という爽やかな単語とはうらはらに暑苦しい。声も大きく、いかにも体育会系な言動は、ゆかりがもっとも苦手とするタイプであった。

 かかわりたくないなぁ。

 初対面の時から思ったが「落ちてきた人」であるところのゆかりは、ひとまず国が身元保証の後ろ盾になるというから、仕方がない。文化もわからない世界と国に放り出されて、無事に明日をむかえられる保証はどこにもないのだ。

 それならば、一時的にでも面倒を見てくれて、今後のプランを考えてくれるのは、大変ありがたいことだった。

 大声をあげるマッチョは、耳と視覚の暴力だけど、我慢は得意だ。耐えてみせよう。

「おまえの引受人が決まった」

「ありがとうございます。それで、私は一体なにをすればよろしいのでしょうか」

「なにを、とは」

「日々の過ごし方といいますか、なにをして暮らしていけばよいものかと」

「ああ、そうであったか。あいわかった。機会を設けよう」

 機会? 就活生の合同セミナー的なものだろうか。

 自堕落に一週間ほどを過ごして、そろそろ肩身が狭くなってきていたゆかりは、笑顔で頭をさげた。






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