其の六

 篠原重吉は俺を風通しの良い自室に案内すると、


『まあ、座んなさい。』そういって座布団を勧めた。


 部屋の中は本で埋め尽くされていた。


 殆どが昔の軍隊や戦争に関してばかりのようだ。


 間もなくしてさっきの女性・・・・節子といい、息子の嫁さんになるんだそうだ・・・・が、有難いことにコーヒーを淹れて戻って来た。

義父ちちはこっちの方が好きだと申しますので』彼女は愛想よくいい、

『では、ごゆっくり』と下がっていった。


『さっきは、すまんかったな』


 篠原元伍長はそういうと、テーブルの端に置いてあった『ハイライト』を持ち上げ、『喫って構わんかね?』と断ってから、一本火を点けた。


『毎年八月の中旬この時期になると、テレビだの、新聞だのが矢鱈やたらに訪ねてきおってな。昔の話を聞きたいというもんだから、話してやると、誘導尋問みたいなもので「戦争の悲劇」だのを喋らそうとしおる。たまにましなのが来たと思って答えてやって、後で書いたものや撮ったものを観たり読んだりすれば、わしの話を平気で捻じ曲げおるんじゃ』


 老人は『だから新聞もテレビも信用しとらん』と、煙を吐きながら俺に悪態をつき続けた。


『・・・・あんた・・・・探偵さんじゃったな?』


『ええ』俺は答え、カップに手を伸ばした。なかなか旨いコーヒーだ。インスタントじゃない。豆からいたものだな。俺は思った。


わしのことをどこで調べた?』


『簡単ですよ。私はこう見えて元自衛官なんです』

 

 顔が利く、というほどでもないが、市ヶ谷の本省にも、知り合いが何人かいる。そのルートから、情報を貰ったのだ。

 

『そうか・・・・で、何を知りたい?』老人はそう言ってハイライトを一本灰にすると、二本目に火を点けた。


『久坂・竹中両少尉と間島という男についてお伺いしたいんですが』


 彼はゆっくりと煙を吐き、部屋の一角を見つめた。


 そこには軍服を着た男性の集合写真が写っていた。


わしは久坂少尉の下で、三年半戦った。立派な人じゃった。部下想いでな。真っすぐな軍人じゃったよ。竹中少尉は一度しかお会いしとらんから、何とも言えんが、生真面目で物静かな人だったと記憶しておる』篠原伍長は煙と共に、少尉の想い出話を語り続けた。


『・・・・あんたが聞きたいのも、どうせあの「五十人斬り競争事件」とやらについてなんじゃろう?天地神明に誓って言うが、少尉は「」は、絶対にしておられん!三年も身近にいて、寝食を共にしてきた儂がいうんじゃ!第一考えてもみなされ。砲兵隊の将校が勝手になぞ出来ると思うかね?』


 後は、俺が考えたのと同じで。結局あんなヨタ話を考えついたのは、軍隊のことを良く知らん人間なんだろう・・・・そういうことだった。


『少尉のお話については分かりました。で、間島博人氏についてなんですが。』


 俺が間島の話をし始めると、急に篠原老人の顔色が変わった。実に不愉快そうになり、陶器の灰皿に、乱暴にハイライトをじつけた。


『平和主義者だか何だか知らんが、軍隊に関する基礎知識もロクに知りもせんくせに、書きたい放題書き散らしおって、儂は腹が立ってな。』


 彼は不意に立ち上がると、書棚から一冊の本を取り出して来て、俺の前のテーブルに投げるように置いた。


 黒い表紙に白抜きのバカでかい文字で『知られざる戦争犯罪』とあり、日本兵(らしき?)人物が片手で軍刀を振り上げ、目隠しをした中国人を斬り殺そうとしている、

『毎度お馴染み』の第四次史料のニセ写真がでかでかと載っていた。


『この本が出版された時、儂はまだ若かった。お陰であちこちで随分叩かれたよ。息子は学校で「君のお父さんは中国大陸で罪もない人を大勢殺した」の何のと言われてな。挙句は近所からも陰口を叩かれる始末だ』


 彼は当時まだ生存していた戦友たちの有志を募って、度々東洋日報に抗議文を送ったり、間島氏本人に面会を要求したらしいが、結局どれも跳ねつけられたという。


『そのうちに間島は新聞社を退職して、売れっ子のドキュメンタリー作家になって、似たような本を随分沢山出した・・・・。わしらはその度に奴を追い掛け回して面会を求めた。しかし、そうすればするほど、まるで世間は儂らを『狂信的な軍国主義者」だなんて決めつけるようになってのう。仲間も次第に疲れてきて、運動から手をひくようになってきてしまったんじゃ』


『それでも貴方は諦めなかったんですね?』


 俺はコーヒーを一口啜すすって訊ねた。


『当たり前じゃろう。儂は戦争がいいだなんて一度も言ったことはない。ただな。

 国の為に命懸けで戦った人間をおとしめるようなやり方だけは、絶対に許せんと、そう思っただけなんじゃよ。』


 こう話している間に、デカい陶器の灰皿は、何時の間にか吸い殻の山になっていた。齢97歳の身にして、さすがにこれはと、俺でさえ心配になったほどだ。


『実際に間島氏と最後に逢われたのは?』


『4年前だったかな。そう、4年前だ。間違いない。ブラジルのリオでオリンピックが開かれた年じゃ。あいつが静岡に引っ越したと、昔の戦友から聞いてな』


 間島は静岡の山の中で某宗派の仏教寺院の住職に収まっているという。


『ドキュメンタリー作家が、随分な変わりようですな』


 何でも彼は再婚だか、再再婚だかをした嫁が、20位年下の女で、その寺の跡取り娘だったからだという。


『儂はさっそく押しかけていったよ。相変わらずじゃった。自分の寺で布教活動をやりながら、反戦平和集会なんぞをやらかしとった。儂の顔を見るなり”彼らは平和の敵です”だとよ。怒るより先に笑ってしまったわい』


 今では結婚した女房の籍に入り、苗字を変え、


『清原博人』と名乗って、相変わらず布教活動をしているらしい。


『じゃ、今でもその寺に?』


『ああ、ここに骨を埋めるつもりだとかなんとかいうとったからな』


 俺はカップの底に残っていたコーヒーを飲み干し、礼を言って立ち上がった。


『あんたが何の用事であいつの行方を探しておるのか知らんが・・・・逢いに行くんだったら、これだけは伝えといてくれよ。

”お前さんがどんな主義で平和運動をしようが勝手だが、これ以上今の価値観で過去を叩くのは止めにしてくれないか”とな。儂らは確かに戦争はしたが、子孫に恥じるようなことは絶対にしとらん。』


『分かりました』


 俺はそれだけ言うと、彼の家を後にした。


 相変わらず、外は暑い。




 


 









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