氷解

 行く手を阻む者は全て、炎で焼き尽くす。

 そうして先へと進む。

 時間がない。早くしなければ、ブーストがかかっている時間が過ぎてしまう。それまでに大ボスである粘着質な男を倒さなければ、それで終わりだ。


 疾るように進む。

 そしてついにたどり着いた。

 そこには確かに、先ほど見た氷のクリスタルが鎮座していた。


 そばにはアリスの姿も見える。そしてスネークは彼女をおのれの所有物だというように、ニヤリを笑みを浮かべて、こちらを挑発する。


「無駄だ。たとえお前が彼女を連れ出したとしても、その時点で彼女の命は燃えつける」

「どういうことだ?」


 初耳の情報だ。

 眉をひそめたフランに対して、スネークは得意げに答える。


「彼女をこの地に縛り付けているのが氷のクリスタルだ。分かるかね? 私は彼女をこの町に閉じ込めることで、その命を救ってもいるのだよ」


 堂々と、まるで自分の行いの全てが正しいと思っているかのような態度。

 それに対して、アリスは答えない。彼の言葉を否定も肯定もしなかった。


「そんなはずはないだろう」


 フランは冷静に問い詰める。


「本当はお前がそういう契約を結んでいただけじゃないのか」


 そう主張する。

 いままでさんざん執着を見せてきた男だ。全ての行動と意思が善意であるはずがない。


 それに対して、スネークは否定しなかった。あくまで所感に任せるというように笑みを浮かべるのみだ。


 ★


「だったらどうする? 今から私を斬り伏せるか? それとも、斬り殺されたいか?」


 眼光鋭く、青年を射抜く。

 ピリピリとした空気。今にも戦いが始まりそうなほど、殺気で満ちている。

 その中で一人、少女は立ち尽くす。この状況を傍観するつもりだ。


「お前さんもそろそろ処刑せねばなるまい」


 彼は剣を抜く。

 かと思うと、肉体が膨張していく。

 それは、いままで貯め込んでいた魔力を元に、肉体の強化を図ろうというかのようだった。

 一撃の元に粉砕するつもりだ。だが、それはあまりにも過剰すぎるパワーだ。

 その肉体が膨れ上がりすぎて、天井にまで届こうとしている。それはやがて、破裂する。たとえ放っておいたところで自滅するだけだ。

 それでもフランは彼を倒したいと思った。今、この場所で、このタイミングでしかできないことを成し遂げたい。否、成し遂げなければならない。きっとおのれはそのために、この場に足を踏み入れたのだから。


 男の体はもたない。

 今にもパンクしそうだ。

 まさに、諸刃の剣。


「さあ、死ね」


 剣を振り回す。

 その巨大化した肉塊がそのままのパワーを押し付けるかのように、迫ってくる。

 フランはひたすら攻撃を回避する。

 相手の動きをよく見て、先読みをしてまで、避け続ける。

 そして、その懐へと入り込む。


 剣を振り上げる。

 一撃。

 男の肉体は膨れすぎたシャボン玉のように弾けとんだ。


 ★


 その光景に目を疑ったのは、ほからなぬアリスだった。

 目を丸くしたまま、その場で立ち尽くす。

 これで少女は解放される。それでも、まだ、葛藤するかのように後ろへ下がる。そうして、彼女はうつむいた。


 いずれにせよ彼女を解放したくば氷のクリスタルを破壊するのが一番、手っ取り早い。

 青年は剣を向け、その炎を帯びた刀身で斬りかかる。だが、クリスタルはびくともしなかった。


 これには予想外。驚きを見せる。


「無駄だ」


 血まみれのスネークが顔を上げる。


「氷は壊れない。なぜなら彼女と氷のクリスタルは一体化している」


 彼女の氷が溶けない限り、クリスタルも溶けない。

 その現実を今まざまざと見せつけられ、フランは唇を噛む。


「つまりお前は、今の状況に甘んじてるってわけか?」


 彼女のほうを向く。

 アリスは冷静なまま、口を開く。


「私には罪の意識がある」


 それが答えだというように一切の熱の持たない声音で、淡々と。


「私は聖女だった。そんな自分の存在が原因で戦争を起こして、たくさんの命が散った。そして、最後に勝ち残った者が、彼。彼は言ったわ。『この地に流れた地は、聖女のせいで流れたものだ』と。だから私は選んだの。罪を償うかわりに永遠にこの地にとらわれることを。そのあり方こそが私にふさわしい」


 それは青年にとっては衝撃の告白だった。


「この娘の価値は氷のクリスタルを唯一稼働できる存在であることだ。要は神によって特別に選ばれた者よ。それも分からず、この娘を奪い去るようなマネは、許さぬぞ」


 その言葉を聞いて、胸の奥からフツフツと怒りが湧いてきた。


「そんなことはない」


 フランは主張する。


「自分のせいで血が流れた? それが、お前の罪であるはずがないだろうが」


 彼女のほうを見いて、ハッキリと訴えかける。

 しかしながら少女の心は依然として凍りついたままだった。


「いままで心を重ねてきたと思っていたのは、あなただけよ。私の性根は冷淡。他人のことなんてどうでもいいと思ってしまうの」

「だが、裏を返せばそれは、どうでもいい相手に尽くせるほど、心が清らかな存在であったという証じゃないのか?」


 ピクリと眉が動く。

 それでもまだ一歩、足りない。

 彼女を説得するにはまだ。


「私はすでに人類に失望しているのよ。その身勝手さや、争いをやめないところに。だけど同時に、そんな私自身にも嫌悪している。結局は私も、嫌っている者たちとなに一つ変わらない。所詮は他人のことに無関心でいられるようなものだから」


 うつむく。

 そして、もう一度顔を上げる。


「こんな私が、救われていいはずがない」


 その瞳は冷たい光を宿していた。


 ★


「違うだろ?」


 淡く、柔らかな声で問いかける。

 救われていいはずがないと言っていることは、逆説的に――


「本当はお前がなによりも、救われたかったんだろ?」


 それが彼女が抱いた罪悪感に拍車をかける。


「そんなこと、許されるはずがない。他人を巻き込み、争いを引き起こした私に、生き残る価値はない」


 少女の瞳は震えていた。


「だから、ここで全てを終わりにするの。二度と悲劇を繰り返さないために」


 硬く、息を吸う。

 そして一大決心をするように、彼女は顔を上げた。


「氷のクリスタルごと、おのれを封印するの」


 それは頑なな決断だった。


「なに?」


 これにはフランも黙ってはいられない。

 彼は一歩、前に出る。


 だけど、もはや間に合わない。

 彼女が氷のクリスタルにふれる。その肉体が凍りついていく。

 フランも手を伸ばす。

 だが、そのころには氷は彼女の肉体を侵食していた。

 アリスはあっという間に、氷の中に入り込んでしまった。



 これで、誰も入ってこれない。

 自分は永遠に氷の中だ。


 だが、そこへ熱気が迫る。

 誰かの、聞き慣れた声がした。


「――」


 おのれの名を呼ぶ青年の声。

 ハッと息を呑む。


 目を見開く。


 そうだ、自身がクリスタルに入ったことで、一時的とはいえ隙が生まれた。破壊することはできずとも、内部への突入は叶う。今、クリスタルの外と内側を区切る境界はなしも同義だ。だから、内部に飛び込むような強引なマネもできてしまう。

 青年は手を伸ばす。

 おのれが凍りつき、身を危険に晒すことなどお構いなく。

 その熱が彼女にも伝わった。


「ずっと、伝えたかったんだ」


 彼は口を開く。


「ありがとう。お前のおかげで助かった」


 その恩を返せていない。自分のほしかったものはここになる。かつて失い、こがれた愛。それを彼女から受け取った。自分の本当にほしかったものに対する返しをまだできていない。それに報いるため、氷の世界で見たたった一つの愛に答えるために、彼は彼女を救い出す。


 その言葉に、少女の瞳が揺らぐ。

 そしてついにその手は、彼女の肉体に届いた。

 奥へ奥へ、落ちていく彼女の体をつかんだ。

 二人は抱き合う形となり、互いに互いの目を見つめる。


「必ず守る。誰にも渡さない。だから俺を、信じてくれ」


 その想いに応えるように少女は涙を流した。

 次の瞬間、氷のクリスタルはガラスのように砕け散り、心に張り詰めていた氷も溶けた。

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