甘く溶け合う
「じゃあな。宿探しでもなんでも、頑張ってくれや」
兵士はそう言い残して、去った。
完全にさじを投げたといったところか。付き合うと告げておきながら、途中で逃げるとはこれいかに。もっとも、これがこの街の冷たさというものだ。
かくしてフランは途方に暮れたまま、フラフラと町を歩く。
このまま宿無しで一夜を明かすことになるのだろうか。
悲観的な目をして突っ立っていると、不意に少女の声がした。
「あの、よろしければ、私の家で泊まりませんか?」
振り返ると、そこには美しい少女が立っていた。
色白の肌を長い黒髪が縁取っている。服装は涼しげな配色のシャツとスカートで、彼女にたいへんよく、似合っていた。
「私、アイリスといいます」
彼女はそう、自己紹介をした。
「俺は、フランだけど。いいのか、本当に?」
ありがたくはあるけれど、抵抗がある。
なんせ、この町のルールは『情を抱くな』だ。彼女は町のしきたりに逆らうことになる。それによって少女の立場が悪くなるようなマネはしたくなかった。
「私のことならお構いなく。私は私のルールに従います」
きっぱりと言い切った。
そこまで言うのなら、仕方がない――とあっさりと受け入れられるほど、薄情ではない。だけど、わざわざ断っては彼女を傷つけることになる。
結果、青年は彼女の家に泊まることにした。
彼はそのままその家に居候が決まる。
かくして二人の共同生活が幕を開けるのだった。
★
その日々は幸福だった。むしろ言い換えるのなら、怠惰まである。なんせ彼がなにもしたくとも、身の回りの世話はアイリスがやってくれる。彼のやることといえば、一日中ぼんやりと過ごすことくらいだ。先日までのイヤな緊張感とは打って変わり、今は刺激が薄い。過度な退屈さは不要だが、このような生活を、青年は気に入っていた。
家にこもっていれば、食事は勝手に出されるし、掃除も相手がしてくれる。これではまるで、飼われているかのようだ。それでも少女が快く自分を養ってくれるため、そのような日々に慣れてしまう。
だけどたまには外に出るのも悪くない。フランは外出し、カフェに寄る。時刻は午前七時。窓の外は青い空が広がっている。町が稼働するには早い時間帯だが、店内には人気が多かった。
空いた席に座り、コーヒーを注文する。それから雑誌を読んでコーヒーが来るのを待つ。そうしていると、何者かが近くに寄ってきた。
「なあ、知ってるかい?」
その、鎧で武装した男には見覚えがあった。
「お前は!」
躊躇なく、指差す。
彼が思い浮かべたのは、宿探しの途中で去っていった兵士の姿だ。
「この間はよくも」
「おう、ご名答。だがな、それに関してはもう、どうだっていいんだ。あまり気にしないでくれるか」
「それをあんたが言うのかよ?」
あきれがちに、反応を繰り出す。
相手の態度は薄情かついい加減ではあった。とはいえ、今は無事、宿を手に入れたも同義だ。これに関しては深く言及ないでおこう。そう心に決めたところで、兵士は口を開く。
「この町には氷のクリスタルがある」
「氷の、クリスタル?」
妙に心をくすぐる単語だった。
「ああ、そうさ」
喜々として、男は語り出す。
「正確には氷の特徴を持った宝石なんだけどよ。そいつは氷の神の祝福だ。なんでも、無限に氷が手に入るんだってよ。それを元にこの町は富を得ている」
神の祝福。
無限に氷が手に入る。
富。
一つ一つの単語が脳内で結びつく。
もしかして、この町の秘密とはそれなのだろうか。
頭が冴えた気分になる中、唐突に何者かの気配が迫る。
顔を上げると、そこには清楚な格好をした少女が立っていた。
「あら、あなたもここにいらしていたんですね?」
にこやかな顔で語りかけてくる。
「おう、お前も一緒に飲むか?」
こちらも答えると、彼女は一緒の席に座る。
「おっと、こいつは失敬。失礼するぜ」
その様子を見た男は空気を読んだのか、離れていく。
かくして二人切りとなった彼らはともに注文した飲み物を口に運ぶ。
気がつくと太陽が高く昇っている。町もいよいよ動き始めるようだ。
もっとも青年はいつも通り家に帰ると、なにもせずに日が沈むのを待つような日々を続けるのだが。
★
青年は変わらない。
だが次第に彼女の態度は変わってくる。
具体的にいうと、以前よりも積極的になった。
会話を重ね、ともに食卓を囲むにつれて、距離が縮まっていくのを感じる。当初こそ居候に戸惑っていたフランだったが、今は彼女がいない生活を想像できない。彼女の放つ独特の空気に触れ、その安心感がたまらなく心地がよかった。
また、アイリスの言葉遣いのきれいさ、所作の美しさからくる清純さは、彼の心を惹きつけて離さなかった。そして、彼女は青年に愛を与えた。かつて、彼は愛を失った。両親はおらず、自身は一人。そんな彼の心の隙間を埋めてくれたのが、彼女だった。
彼が彼女に恋をしていると自覚するのに、そう時間はかからなかった。
その折、ふとアイリスが切り出す。
「あなたに頼みがあるんです」
彼女の頼みならなんでも聞くつもりだった。青年も真面目な顔で、先に続く言葉を待つ。
「なんとかしてほしい方がいるんです」
そう言って、アイリスはフランを外へ連れ出す。
言われるがままに、町に出る。
彼女は自分をどこへ連れて行くつもりなのか。疑問に思っていると、なにやら不穏な気配のする男が近寄ってくる。
「お前さんもあきらめが悪いね。潔く、俺のものになればいいのに」
ねっとりとした視線。その、蛇のようなオーラを放つ男は、青年にとっては気持ちが悪かった。
「あきらめが悪いのはあなたのほうです。私は何度も言いました。あなたと婚約する気はないと」
「いいや。意地でも来てもらおう」
蛇のような男は剣を抜く。
それで彼女を脅すつもりだ。
「お願いします。どうか彼を」
少女は青年に頼み込む。
元より彼女はそのために彼をここに呼んだのだ。
それならば仕方がない。
青年はしかとうなずいて、相手と向き合う。
「ああ、そうだ、お前もいたのだったな」
彼は言う。
「ちょうどいい。まずはお前を排除せねばどうにもならないらしいな」
剣を振りかざす。
その刃が日光を浴びて、激しい光を放つ。
彼はこの町では傷害すらいとわないらしい。
それならば、逆に都合がいい。
フランは拳を握りしめる。
男が迫ってくる。
その刃が自分へ向く。
相手の動きをよく見る。
次に取る行動が手に取るように分かった。
回避。
なに? と、男が驚愕に目を見開く。
フランは身をかがめた状態で、腕を引く。
そして、相手に生じた隙を突く。
パンチが炸裂。
男は吹き飛んだ。
地面に転がる男。そこへフランが近寄る。
相手は意識があった。だが、立ち上がる気力も体力もなくなったらしい。
「これに懲りたら、あきらめてくれ」
フランはそう言い捨て、彼から離れる。
かくして事態は解決。その日からアイリスにつきまとう男の影はなくなったらしい。
★
時は流れた。
「よろしければ私とお出かけ、なんて、いかがでしょう?」
それはデートの誘いだった。フランにとっては願ってもみない。彼女の頼みに従う形で、うなずいた。
その日、アイリスはかわいらしい格好をして彼の前に現れた。それはピンクのフリルスカートをリボンで飾った姿。どこへ行っても恥ずかしくないレベルだ。美少女にリボンが合わさると最強に見える。
一方で青年の格好は普段と変わらず、軽装だ。カジュアルなファッションではあるものの、それがこなれた雰囲気を印象づけて、彼に似合っていた。
「行きましょう」
手を取り合って歩く。
最初に向かったのはカフェだ。そこで二人はデザートを注文する。
食事が終われば次は映画館。ラブストーリーを見て涙を流す。
二人はなにかあるごとに笑い合い、手を繋ぐ。いつしか二人はこの恋人とも居候とも表現しきれぬ奇妙な関係に、慣れていた。もうこれでいいと、二人は二人のままでいいのだと、そう思ってしまう。
二人は傍から見てもお似合いのカップルだった。色彩や身体的特徴は調和し、しっくりくる組み合わせとなっている。二人が交われば、互いのものが浸透し、一つになるような感覚がある。青年はそのままやわらかな快楽に浸るようになり、彼女と共にいるのが当たり前になってしまった。
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