10-5

 月夜の中にひとつの影があった。

 民家の屋根の上にたたずむ人影――一見彫刻を思わす黒い人工物――それは、“器”姿の令だった。

 令は周りを見回し懸命に目的の人影を探していた。


 そんな令の耳に(今は“器”なので集音マイクだが)、轟音が聴こえてくる。

 夜の住宅街に似つかわしくないその音に、令はすぐに反応し視線を向ける。

 見れば、判然とはしないが闇の中で黒いシルエットが揺れていた。

 令はすかさずその場所へ跳んでいく。


 近くに来てみれば――そのシルエットの正体は、“樹”だった。いや、“ふたつの樹”だとでも言おうか。

 住宅の庭に植えられている樹が、斜めに寸断されていた。

 なんの凹凸もない断面を見せて地面から生えている樹のそばには、斬られた上部がブロック塀にもたれていた。破損したブロック塀が辺りに欠片を落としている。


 空中からそれを見て、その庭に着地した令は、さらに恐ろしいものを見ることになる。

 斬られた樹の角度とちょうど同じかたむきで、ブロック塀に裂け目が出来ていた。道を挟んで向こうの住宅のブロック塀が、此処ここから見える。――いや、それだけではない。向かいのブロック塀も同じように裂けているのが見て取れた。

 令は内心ぞっとする。

 そして束の間その異様な光景に目を奪われていたが、令は我を取り戻すとすぐにブロック塀を飛び越した。


 住宅街の道に着地すると、令はすぐに目を凝らす。

 ――ほんの一瞬ではあったが、走り去る人影が見えた。

 樹が倒されたのは今さっき。そして樹が倒された住宅に面している道はただひとつ。

 “光輝こうき”が通った道はまさに此処なのだ。令はすぐさまその人影を追いかける。


 道を走るただの人間と、体重を操作出来る令では競争にならなかった。

 空中を大きく跳躍する令は、すぐにその人物の背まで追いついた。令は空中から叫ぶ。


「光輝君!!」


 その声に振り向いた顔は恐怖と悲しみで濡れていた。

 夜の住宅街をひとり必死に走っていたその人物――光輝は、令の声に足を止めると、着地した令に震えながら相対あいたいす。


「来ないでっ!! もう! 沢山なんだっ!!」


 それは華奢きゃしゃに見える光輝からは想像もつかないほど力強い叫び声だった。

 光輝は震える身体をなんとか押さえつけるように抱いて、その幼気いたいけな瞳を令に向ける。


「僕はもう、僕のせいで誰にも傷ついてほしくないんだ……ッ!! だからっ! だから僕は……誰も巻き込まれない場所で……もう……っ!!」


 光輝の張り裂けそうなほど感情が籠った言葉に、令は強く頷いてみせる。


「俺も同じ気持ちだよ――光輝君」


 思いがけない令の反応に、光輝は目を見開く。令は、力強くじっと光輝を見詰めていた。


「もう誰にも傷ついて欲しくない。――“君にも”。だから俺が、必ず敵を倒してやる!」


 表情のつかない“器”の姿であっても、令がどれほどの気持ちを籠めてそう言ってくれているのかが、光輝の心にも伝わる。


「霧矢さん……」


 消え入りそうなほどちいさな声で、光輝は呟いた。

 令の言葉が、どれだけ嬉しかったろうか。救われただろうか。

 しかし――。


「答えはすぐそばのはずなんだ。だから、よく考えれば敵の実態が――」


 令がそう言っている最中だった。“パンッ”という、何かが弾けるような乾いた音が響く。

 反射的に音のした方へ令が視線を向ければ――そこには、断線して火花を散らすがあった。


「ナッ!」


 令の頭上で切れたそれは、振り子のように


「マズいッ!」


 ターザンロープのように宙を裂く電線を、令はつかもうとする――しかし、令の指先がなぞったかどうかというところで、電線は遠ざかっていってしまう――光輝のもとへ。

 恐れおののく光輝に向けて、電線が凶悪にスパークしながら襲いかかる――。

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