第八話『“ハッピージョージがやってくる”2』

8-1

 空は陰気で分厚い雲に覆われ、太陽からの陽をかたくなにさまたげていた。

 その暗さからおおよそ朝とも思えなかったが、人々は群れを成して学校や仕事場に向かっている。


 そんな雑踏を背に、背景の人波の中の誰よりも優っているであろう身長の持ち主である幹公木かんこうぎは、渋い顔をして歩いていた。その周辺には何人かの刑事が取り巻く。その内のひとりが口を開く。

 

「昨夜は動きがありませんでしたね」


 頭髪の寂しいその刑事の言葉に、幹公木は一度低くうなって答える。


此方こちらを警戒しているのだ。しかし、殺人の快楽を覚えた人間が、そう欲求を抑えられるものではない。今夜辺り、必ず動きがある筈だ。――その為に、地理的プロファイリングを進めて次の犯行場所を特定しなくては」


 幹公木の言葉に半ば無意識のように頷いてから、刑事は思い出したという表情をして手帳を取り出す。


「そういえば、あの五日――いえ六日前の現場についてなんですが、現場に血痕等はなく、あそこで殺人や暴行が起きた痕跡はありませんでした。周辺の行方不明者に関しては――」

其方そちらはうちの分析官に調べさせた。関連が疑われる事例は二件あった。その内の一つの行方不明者が姿を消したと思われるエリアが、今歩いている此処ここだ」


 刑事たちは幹公木の言葉にハッとする。幹公木に指定されてこの場所に集まっていたが、理由はまだ知らされていなかったからだ。歩いていた場所は、あの殺人現場と似通った路地裏。

 幹公木はいかめしい顔で呟く。


「初期の犯行では遺体を隠し、犯行を隠蔽していた可能性が大いに考えられる。――やはりアレが最初であるとみない方が良いだろう」


 言いながら刑事の方を向いたその眼差しの厳しさに、刑事たちは自然と心を律される。

 そんな刑事たちの後ろ――一見して同行者なのかどうか判断がつかないぐらいに距離を置いて後をついてきているのは、曇天の下でその栗色の髪を暗くしている令である。

 令はこそこそと、スマホで誰かと通話していた。


「結局、昨日はずっとパトロールしてたけど異常はなしだ……うぅ、眠い……」


 言って令は大欠伸おおあくびをする。それから片手に持っていた缶コーヒーを口に運ぶ。

 ずるずると行儀悪くコーヒーをすすった後、令は訊ねる。


「で、そっちは?」

「こっちだってずぅぅうと校章調べてたわよ! ……まあ、眠くなったから夜は寝たけど」


 威勢の良い調子からあっけらかんとした調子に変わったこの声は、秋津佐あきづさのものである。

 令は力なく苦笑いを浮かべながら、その先の話を待っていた。秋津佐が続ける。


「結果から考えれば答えが出ないはずよ。――あの校章、都内のものじゃなかった」

「隣県まで通ってたのか」


 秋津佐の言葉に令はすぐに納得する。昨日の夕方辺りに秋津佐に頼んだというのに随分調べが遅いと疑問に思っていたが、令も同様にあの少年はの学生だと思い込んでいた。通りで見つからなかった訳だ。


「どうも可笑しいと思って範囲を拡げたらあっさり見つかったってワケ。んで、もう学校に問い合わせといたわよ」

「助かる……! で、あの少年の正体は?」

「……なんか思ったより労力がかかってるんだけど」


 スマホ越しに軽くお辞儀までしていた令だったが、とんとん拍子に答えを教えてもらえると思っていたところで秋津佐の声が一気に重くなる。令はすぐに言葉の意味を察して再び苦笑いを浮かべる。


「手間賃はちゃんと払うからさ……」

「別に良いんだけどね。なんかそっちはそっちで大事になってきたみたいだし。でもやっぱり、ちゃんと感謝はしてもらわないと割が合わないっていうかさ?」


 それを聞いて令は苦笑いを深めてから、今度は深々とその場でお辞儀する。


「本当に感謝しております」


 その誠意のこもった声に秋津佐は満足そうに「ふふぅんっ」と息を漏らした。


「よろしい。では教えてあげるけど……思ったよりハードな話よ」


 秋津佐の声が急にシビアなものになる。つられて令も表情が引き締まる。


「あんたが探している子の名前は“架金かけがね光輝こうき”。千葉県の学校に通ってる中学生だけど、よ」

「事情ってどんな?」

「彼――光輝君は、一年前に起きた“バス転落事故”の被害者なの。しかも……その事故の

「唯一の生き残り……」


 令が反芻はんすうする。その言葉の重みを噛み締めるように。

 秋津佐は続ける。その先のさらに不穏な部分まで。


「社会科見学の帰りのバスで、他の乗客――つまりはクラスメートね……――は、ほぼ即死。車も原形を留めなかったけど、この子は奇跡的に座っていた場所が良かったみたいで、生き残った。でも最悪なことに……この子は事故で気を失った後、目覚めてしまったのよ……。……」


 驚きと、痛みを共感したような色が令の表情に浮かぶ。

 苦々しそうに顔を歪めて令は言葉をこぼす。


「ってことは、光輝君は……」

「そう。同級生や先生の“亡骸なきがら”を見てしまったの。……お陰で、精神を病んでしまったみたい」

「そりゃそうだ……まともでいろって方が無理だろう」


 令が光輝の事情を呑み込んでいる間にも、秋津佐は言葉を続ける。

 今度は少し、先ほどまでとは違う色を含んで。

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