7-5

 幹公木は“二つ目”の事件現場にやってきていた。

 もっとも、時系列的にはこちらの方が“前”で、かつ今日までこの現場は大きな事件とは捉えられていなかったが。


 そこは人気ひとけのない路地で、一般住宅のコンクリート塀には、“一つ目”の現場の壁に残されていたのと同じような傷が刻まれていた。

 その引き裂かれたような傷痕きずあとを片膝をついて見ながら、幹公木は同行している刑事に訊ねる。


「この傷は何時いつから?」

「五日ほど前ですね。被害者も居なかったので、器物損壊の……まあイタズラだと思って処理したようです」


 幹公木はその彫刻されたような彫りの深い顔で、壁の傷をじっと睨みつける。

 そしてちいさく呟いた。


「……早過ぎるな」


 刑事はその独り言のような声につぶさに反応する。


「えっ? 何がです?」

「――“犯行の進化”だ。五日前の段階ではただ物を傷付けるだけに留まっていた犯人が、いきなり女性をした。これは余りに犯罪の発展が早過ぎる。それにだ――」


 そこで幹公木は一度タメを作る。そのわずかな間にれて、刑事が先をうながす。


「それに、何です?」

「先程の現場が“一件目の殺人”とはとても思えない。遺体の斬り口に躊躇ためらいがなかった。――残酷な現場を見ると信じられないだろうが、どんな人間であれ、初めは“迷い”が現れる。それは人を人とも思わない連中であってもだ。だから――本当にこの現場で被害者が出なかったか、周辺の行方不明者情報とあわせてもう一度入念に調べてくれ」

「分かりましたっ」


 刑事の熱のこもった返事が返ってくると幹公木は立ち上がり、壁の傷に背を向け、現場を離れ始める。


「私は次の犯行を防ぐ為の陣頭指揮に出る。続きの捜査を宜しく頼む」

「ハイッ!」


 その背に向けて威勢の良い返事をし、頭髪の少し寂しい刑事はその職歴に不釣り合いに思えるほどしっかりと敬礼をした。


 壁に残された幾つもの傷。鋭利に裂かれたその傷痕は、無言で不穏な空気をただよわせていた――。



 ※ ※ ※



 令は住宅街をなく歩いていた。

 少年が去っていった先で、少年が最も行きそうな場所だと令が直感したのがこの住宅街だった。

 少年が事件現場に姿を現したのが昼前。

 時刻から考えて、家を出たというよりは学校を早退してきたと考えた方が恐らく正しい。

 それならば行く先として一番可能性が高いのは“自宅”だ。

 といっても、それなりにもう時間も経過してしまったし、既に帰宅しているなら見つけるのは非常に困難だが。


 付近の中学校で早退した男子生徒を秋津佐に探してもらう方が早いかと令が思い始めた矢先、金属が重く響く重低音が耳に飛び込んでくる。


「なんだッ?」


 令は即座に音のした方を振り向くと、突然の出来事に関わらず、すぐにその身体を動かし駆け出していく。

 勢いよく住宅街の舗装された道を走り、そして角を曲がったその時だった。


 ――角を曲がったところで、出会い頭とぶつかりそうになる。


「うおっ! マジかよっ!」


 令は自らをすんででかわし、あっという間に隣を駆けていった少年の顔を一瞬見た――その顔は、で満たされ必死になっていた――令が過ぎゆく少年の後ろ姿に身体を向けると、その表情の意味を考える間もなく、すぐに後ろから女性のが響き渡ってきた。

 令は反射的にそちらを振り向いて、そしてまた顔を正面に戻して走り去る少年の背中を見る。


 唐突に突きつけられた選択。状況は不透明。

 しかし、令はほとんど迷うことなく選択をした。

 令は――駆けだす。


 何故ならば今度は見逃さなかった――少年の学生服の首元に光る、“校章のバッジ”を。


 令は全速力で声の下へ急ぐ。幸い、発生源はそう遠くなかった。

 令はすぐに、悲鳴を上げたであろう女性の姿を見つけた。

 ず見えたのは女性の横顔だが――それはというよりは、としていた。


 令は女性が逃げ出そうとしていないことにもすぐに気付いていた。

 そして、女性のが、目の前ににされていることも――。


 令は女性に声をかけるより先に、女性のそばまで行くとすぐに女性と同じ方向に視線を向けた。

 そこにあったのは――。


「なっ、なにぃっ?!」


 令が目にしたのは――“ブランコ”――だった。

 今やその姿はおおよそに見て“二つ”に分断されている。

 地面に据え付けられている支柱はまるで竹やりのような鋭い断面を見せ、かつてその“上部”だったものは“下部”にもたれかかり絡み合い、まるで知恵の輪のような様相をていしている。


此処ここで一体なにが?!」


 令はすぐ隣の女性に訊く。しかし、女性の返答は令の期待していたものではなかった。


「あ、あの……。私も今“コレ”を見つけたばっかりで……。あの、驚いて声を上げちゃったんですけど……」


 女性は何処どこか申し訳なさそうに令に言う。あるいはあんな大きな悲鳴を上げたことが恥ずかしかったのか。

 令は内心、女性に危険がなかったことにほっとするが、同時にすぐ“別のこと”が頭を駆け巡る。


 令は、少年が走り去っていった方を見る。

 令には、到底この“現場”が、少年と無関係とは思えなかった。

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