第六話『無敵少女と遠華鏡』

6-1


 この国の首都をリヴァイブ犯罪者から守るSCCA東京本局であっても、暇な時は暇なのである。


 否、捜査官や事務方たちはせわしなく働いていても、客人の相手をするのが仕事のフロントの受付係たちは、客が来なければ暇なのである。

 別の省庁の人間が来る時もあれば、一般からの相談客が来ることもある。

 しかし電話やネットでの相談窓口、緊急通報のホットラインもあるので、実際 此処ここにそういった一般の人間が殺到することはない。

 それでも大概は何かしらの来訪者がいるものだが、今日に限っては開店休業状態だ。

 そんな時は決まって受付嬢たちの他愛のない話に花が咲く。


 日々一定の緊張状態を保っているこの場所でも、SCCAの実務とえんのない受付係にとっては、客が来なければそれはそれは平穏な時間だ。

 若手イケメン俳優がどうたらこうたら、人気ミュージシャンの熱愛がどうたらこうたら喋っていた受付嬢のうちひとりが、ふと出入り口の自動ドアに目を向ける。それを見てもう片方も一度自動ドアを見てから、不思議そうに訊ねる。


「どうしたの?」

「いや、今なんか自動ドアが動く音がした気がして……」


 そう言うのでもう片方の受付嬢も、もう一度施設出入り口の自動ドアに目を向けるが、それは閉まったままだった。

 受付から見て右側には、通行パスが必要となる関係者しか通れない自動ドアもあるが、そこも開いてはいない。

 同僚の受付嬢は「気のせいでしょ」と話を終結させる。

 音が聞こえたと言った受付嬢もそれを受けて、「……うん、そうみたい」と話を終えた。


 そうしてまたお喋りを再開させる。

 次は芸能人の不倫話に話題を持っていこうとした時、また音が聞こえた気がした。

 今度は二人で出入り口の自動ドアに目を向ける。


 ――しかし、やはり自動ドアは開いてなどいなかった。



 ※ ※ ※



 SCCA東京本局のホールに、今日は珍しい姿があった。


 この広間の角三つには、コーナーソファとテーブル、そしてコーナーソファに向き合うようにソファが置いてあり、簡単な応接場所としても使われているが、多くの場合は捜査官の溜まり場になっている。

 中心辺りは大分がらんどうとしており、ホールの壁際には賑わい程度に観葉植物が置かれているが、物が少ないせいで消火器が置いてあるのすら目立つ。

 しかしそれも有事の際や特別な行事の時に、本局の全職員がこのホールに集まることを考えれば仕方のないことか。


 そんなだだっ広いホールのある一角だけは、長方形のテーブルとは別に“丸テーブル”も置かれている。

 お洒落なカフェにあるような細工が施された白いテーブルと、それにセットの椅子には、いつも決まって同じ人物が座っている。

 だがその“いつもの人物”は、今は席を離れ“珍しい客”の前に居た。


「へっへー。どうもどうも旦那ぁ~」


 秋津佐あきづさは胸に垂らした銀髪の三つ編みを少し揺らしながら、恋しいといわんばかりにご機嫌に茶封筒を抱いている。けっこうな美人だというのにその笑みはゲスい。


「振込ならわざわざ此処に来なくていいのに……」

「なあーに言ってんの! それじゃあなごみの成長を見れないでしょーがっ!」


 さっきまでお礼を言われていたというのに、すぐさま怒られているのは令である。秋津佐はすぐに「ねーっ」と高い声を揃えてなごみと仲睦なかむつまじく首をおんなじ方にかたむけていた。


「ま、なごみが嬉しいんなら良っか」


 ぽそりと令はこぼす。と、途端に張りっぽいエネルギーに満ちた大きな声がホールに響き渡る。


「アアァーー!! 霧矢きりやさん来てんじゃあないっスかっ!」


 その大声に全員が視線を向ける。

 そこには、フロントからの通路を渡ってきた、燃え盛るような“癖”の髪型が特徴的な、外堂がいどうが立っていた。


「おう、外堂。秋津佐に呼ばれたんだよ」


 令は肩の力が抜けた態度で、外堂に軽く挨拶をする。

 そうすると外堂はずかずかと駆け寄ってきて、少年のような目を令に向けた。


「遂にSCCAに入ることに決めたんスか!?」

「……だから秋津佐に呼ばれただけだっつーの」

「どっちが優秀か決着つけましょーよッ!!」

「……会話になってない」


 まるで好きな親戚のオジサンが来た時の浮かれた子供のように、外堂は令に絡んでいく。彼もこれでももう二十六なのだが。

 それに対して令はあくまでもな態度で、外堂に対応する。

 興奮した外堂との温度差の激しいこと。


「霧矢さんもそろそろ年貢の納め時っスよ!!」

「納めるのは税金だけで十分だ」

「もう年貢を滞納しすぎっスよ!!」


 噛み合っているのだかどうだか分からない二人の会話を他所よそに、秋津佐となごみも二人で楽しそうにわちゃわちゃ喋っていた。

 俯瞰ふかんしたその様は、此処が国家の安全を担っている重要な場所というのが到底信じられなくなる様子だった。どちらかと言えば、フードコートかファミレス辺りの方がよく似合う。


 そんな弛緩しかんした空気の中に、その空気を物ともせずに、いつもの至ってクールな雰囲気を崩さない名執なとりが入ってくる。

 ビシッと決めたスーツと几帳面に整えられた髪、そしてインテリジェンスな“眼鏡”が彼のトレードマークである。

 名執はすぐに令となごみの存在に気付くと、声をかける。


「ああ、来ていたのか」

「ああ。ちょっと秋津佐にタカられにな」


 すぐに秋津佐からの「私はタカってない!」というツッコミが入るが名執もすぐに「そうか」と納得する。

 憤慨する秋津佐を尻目に、名執は令の隣の外堂に視線を移す。にわかに名執の視線が少しキツくなる。


「外堂、昨日の書類が提出されていないようだが」

「あっ……」


 分かりやすく外堂の顔色が気まずいといった色に変わる。

 外堂は軽く――本人にとっては至って軽くだが、それを向けられる者にとっては結構な迫力で――睨まれる。


「事務仕事を溜め込むな。今すぐにまとめてこい」

「はい……」


 テンションが上がりきっていたところを親に怒られた子供のように、外堂は背を丸めて通路へと消えていく。

 それを名執が見届けたところで、名執のもとへなごみが駆け寄ってきた。


「ねえねえ! 千一せんいちくんもおしゃべりしよーよ!」


 なごみは人懐っこく名執のジャケットの端をちょいちょいと引っ張ってお誘いする。

 しかし名執はそれに対して、少し困った表情を浮かべてなごみを見下ろす。


「すまない、なごみ。私もこれから済まさなくてはいけない用がある」

「ちぇー。つまんないのー」

「申し訳ない」


 名執はそう言ってなごみに小さく頭を下げる。

 それを見ていた秋津佐は、外堂との態度の差の激しさに、ついつい頬を緩めていた。

 なごみから解放してもらった名執は、外堂も歩いていった通路へ歩き出そうとするが、一度歩を止めると令に向き直る。


「そうだ、霧矢。長官が会いたがっている。顔だけでも見せておくといい」

「ああ……そっか。分かったよ。顔出しとくわ」

「今ならば局にいるが、じきに局を出る。会うなら早めにしておけ」


 名執はそう令に言い残すと、(本人にとっては平常の速度の)速い足取りでホールを去っていった。その背になごみから手を振られながら。 

 令は少し考えてから、なごみに言い渡す。


「じゃあちょっと長官に会ってくるから、なごみは良い子にしてるんだぞ」

「ハーイ。これ以上ないくらい良い子にしてるネッ!」

「ふふっ。そりゃあ安心だ」


 令はそう笑いながら歩いていく。令も外堂たちと同じ通路に向かった。

 この施設で上階に行くには、その通路の先にあるエレベーターか階段を使うしかない。

 このホールからは通路を通りそこに辿り着けるが、フロント正面右側の、一般客が入れるエリアには上階に行く手段がない。二階以上は完全に職員専用フロアなのだ。

 令は勝手知ったるといった風に、職員でもないのに当たり前にこの施設の構造を理解していた。


 なごみは令の背中も見送って、さてとばかりにまた秋津佐と和気あいあいとお喋りを始めようとした。しかしなごみは秋津佐にずいと顔を近づけられ、会話のきっかけを秋津佐に奪われる。

 秋津佐はいたずらっぽい笑みを浮かべていた。


「ねえなごみ、スイーツ食べたくなあい?」


 その一言でなごみのくりくりの瞳はらんらんと輝く。


「たべたいたべたいっ!」

「じゃあ臨時収入も入ったことだし、私が買ってきて差し上げましょう!」

「やったー!」


 どんと胸を叩く秋津佐に、なごみはぴょんぴょんと跳ねて喜びを表現する。

 だがなごみは“あっ”という表情を浮かべると、おずおずと秋津佐に訊ねた。


「でもゆきめちゃん、お仕事はぁ……? ゆきめちゃん、ここにいなくちゃダメなんじゃあ……?」

「いーのいーの! どうせ私バックアップ担当だし。局内に名執も外堂も……なんなら霧矢も居るんだしさ」

「そっかあ!」


 なごみが一転ぴしゃんと手を合わせて納得すると、秋津佐は善は急げとせかせかと自動ドア目がけて歩き出す。


「じゃあちょっくら買ってくるから、“例の場所”で集合ね!」

「うんっ、わかった! “例の場所”だね!」


 二人はまるで悪だくみでもするようにいたずらっぽく視線を交わす。

 そして秋津佐は風のように去っていった。「何かあったら誰か呼ぶのよ〜」と言い残して。


 なんだかんだで、このだだっ広いホールにはなごみだけが残された。

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