第4話
背後にある扉が、勝手に締まる音がすると、扉についていたベルがチリンと鳴る。
光の先は、喫茶店だった。
広さはさっきの神社の空き地くらいでそこまで広くなく、カウンター席しかない。
その先にいたのは━━
「……いらっしゃい」
綺麗な白い毛並みの人のように立つ犬だった。さらに白いタキシードを身にまとい、片眼鏡をつけている。服装はとても紳士的なのに表情が少し険しい。
その隣には私を案内した黒猫がいて、優しく笑みを浮かべていた。対照的に白犬の方は目を細めるようにして、私のことをじっと見ている。
「あの、どうも……」
あまり状況を飲み込めずにいた。少しボロッとした神社の中に入ったと思ったら、目の前にはとても綺麗な喫茶店があるのだ。甘いお菓子を食べたと思ったら砂糖と塩を間違えていてとてもしょっぱかったくらいびっくりしてる。
店内には黄色や赤の華やかなお花が鉢に植えられ、それが天井から吊り下げられていて、なんだか甘い香りがする。
座れるところもカウンター席が3つあるくらいで、とてもこじんまりしているが、店内は温かみで包まれている気がする。
脇のサイドボードには野球ボールや木の棒、小さなぬいぐるみや文庫本などが飾られていた。
なんでこんなのが飾られてるんだろう? あんまり統一感がないような?
「さぁさぁ座って」
黒猫がイスを引いて、恭しく私を手招きした。
「あ、ありがとうございます」
私は足早にその椅子に向かい、カバンを足元に下ろすと席に着いた。
黒猫はまた白犬の隣につき、カウンターの下からエプロンを取り出し身に着ける。花柄がとても可愛い。
「何にする? コーヒー? 紅茶? それともオレンジジュース?」
黒猫が私に聞いてくる。さながらおせっかいがすごいおばあちゃんみたいな感じだ。
「え、えーっと……すいません、私お金なくて……」
「あら、いいのよお金なんて。ね、あなた」
黒猫はそう言うと、白犬はコクリと頷いた。
「その代わり、あなたのポケットに入ってるものが欲しいわ。できれば、譲っていただけないかしら?」
「ポケットに入ってるもの?」
私はポケットに手を突っ込むと、海で拾った貝殻を手に取った。そういえばこんなの持ってたっけ。数時間前のことだったのに忘れてた。
「そうそれ! とっても綺麗で素敵な貝殻!」
「こんなのでよければ、どうぞ」
私は貝殻を黒猫に手渡した。
「ありがとう! まあとってもキラキラしてるわ! ねぇ見てあなた!」
隣にいた白犬は、満足そうな感じで頷く。
黒猫はいろんなものが飾ってあるサイドボードにそれを持っていくと、棚の中にそっと置いた。
「これはここに来た人たちからいただいたものを飾っているのよ。あなたのおかげでまた1つ大事な物が増えたわ!」
「あぁ、そうだったんですね。それはよかった」
「本当にありがとうね!」
黒猫は満面な笑みを浮かべていて、とても嬉しそうだ。拾っておいたかいがあったなぁ。
そう思っていると、白犬が私の目の前に、コップを置いた。中にはカフェオレが入っており、湯気と一緒にいい香りが漂ってくる。
続いて出てきたのはラスクだ。こんがり焼き色がついてるパンの上に綺麗な白いクリームが塗られていて、絵画のように綺麗だ。
「……どうぞ」
「ありがとうあなた! さぁ、食べて食べて!」
「ありがとうございます。いただきます」
私はラスクを一口食べた。程よい甘さが口いっぱいに広がる。
「おいしい……!」
時間的にもお昼ごろかな? ちょうどお腹がすいてたからなのか、余計おいしく感じる。つい夢中になって食べてしまいそうだ。
「でしょでしょ! 私の夫が作るものは何でもおいしいのよ!」
黒猫得意げに話す。白犬の表情は変わらないが、少し恥ずかしそうにそっぽを向いた。
犬と猫。黒と白。無口と饒舌。なんだか正反対な夫婦だ。それがきっと上手く合わさっているのかな。私にはこの2匹がとてもお似合いに見える。
「私たちはね、こういう風にお店をするのが夢だったの! お客さんは少ないけど、それでも楽しくやってるわ!」
「そうなんだ。すごいなぁ」
私はカフェオレを一口飲んだ。今の私と同じような、少し苦い味がした。
犬や猫にも夢があるのに、私にそんなものは何もない。それはどうしてなんだろう。今私の目の前にいるこの2匹は、きっと普通とは違うと思う。言葉が通じるし、喫茶店をやってるし、コーヒーを淹れられるし。私にはないものを沢山持っている。
こんなにおいしいものを食べているのに、心の中でまた黒いのがグルグルしだした。
「大丈夫よ」
「え?」
黒猫は私の手を取って、優しく握った。ふにふにした肉球はとても柔らかく、温かい。うつむいていた私は、思わず顔を上げた。
「今はまだ目標とか夢とか、まだ出てこなくて当然だと思うわ。私たちだってお店をやりたいと思ったのは、割と最近なの」
「そうかな?」
「そうよ。だからゆっくりでいいの。生きているうちに色んな経験をすると思うわ。勉強したり、恋をしたり、綺麗な景色を見たり。出会いと別れもたくさんあるはず。私たちが今日あなたと出会えたことも、とっても大事な事の1つよ」
黒猫が目を細めて、私に言う。となりで白犬も小さく頷いている。
「もちろん生きてれば悩みも沢山ある。どうしてあんなことしたんだろうって思うことは私たちにも沢山あったわ」
「生きることに、理由は見いだせない……。それでも、生きてよかったと思えることは必ずある……」
白犬は手を動かし作業をしながら、誰に言うでもなく言葉を繋ぐ。
「楽しいことを思い出すのって、ちょっと難しいし、なんなら嫌なことの方が頭に残っちゃうものよね。面倒くさいことも沢山ある。あなたの周りの人たちと上手く関係を築くのも、大変だと思うわ。けど、全部が全部上手くやる必要はないのよ。生きていれば、いくらでもやり直すことはできるのよ」
「けど、ここからいなくなってしまいたいって思う事、ないですか?」
私は思わず、黒猫に問いかけた。
「何もかも投げ出して、なかったことにしたい。ここから逃げたい、消えてしまいたい。けどそれって良くない事じゃないですか? そう思ってしまう時はどうしたらいいんですか?」
言ってることはもっともだと思う。生きていれば大変なことの方が多い。将来のことだったり、進学先だったり、友達や親との関係だったり。
今日の私みたいに何もかも投げ出して、どこか遠いところに行きたくなる。けどそれをしてしまうと、後で悪いことをしてしまったと、私は必ず後悔することだろう。けど、そうせざるを得ないのだ。いっそのこと消えてしまいたい。楽になりたい。そう思ってしまう私がいて、けどそれを良しとしない私もいて、罪悪感にとらわれるのだ。
「あなたはとっても真面目なのね」
「えっ?」
「生きることにそこまで真面目になる必要は、私はないと思うの。もっと肩の力を抜いて、そう考えてもいいんだと、自分を許してあげてほしい。だってそうじゃないと疲れちゃうわ」
黒猫は変わらぬ笑顔を私に向けながら、話を続ける。
「生きていくうえで、無駄なことなんて1つもないわ。それは少し遠回りをしただけであって、それも大事な経験よ。嫌なことがあったら今みたいに美味しいものを食べたり、遠いところに行ったりして、気持ちを切り替えることも大事だと思うわ」
「そんなものなのかな……?」
「だから、あなたは真面目だと私は思うわ。それもあなたの素敵なところよ」
黒猫は私の手を放したと思うと、カウンターの下から何かを取り出した。
それは空のような澄んだ青色の髪止めだった。
「これ、あなたにあげるわ」
黒猫は私の手を取り、その髪止めを握らせた。
「私はあなたに頑張れなんて言わないわ。沢山頑張っているから。だからきっと大丈夫。今はまだ見つからないかもしれないけど、あなたのしたいこと、きっと見つかるわ」
「……ありがとう」
お礼を言ってから髪止めをポケットにしまい、カフェオレを飲んだ。
ほんのり温かいそれは、私の心の空白を埋めてくれた気がした。
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