ムズかしいKissをした運命の輪

長月 有樹

第1話

 難しいキスをした。と安恵は年が三十手前になって思った。

 何が難しいかというと舌を入れた入れないとか口のケアをしてるしてないではなくて、キスをした相手が自分の兄だったからだ。

 兄。と言われても別に血が繋がってる訳でも無い義理の兄。名前は義人。安恵が十歳の頃に母が再婚した相手の子供である。

 年は安恵と十も離れており出会ったときには義人はオトナであり、新しく兄が出来たというよりも義理の父も含め知らない大人の男性二人と一緒に暮らすことになったということにショックに近い感情を当時覚えていた。それは20年近く経った今でも家族というよりも男性二人がいるというイメージは変わらなかった。

 二人の内の一人である義理の父は三日前に亡くなった。死因は自分が釣ったフグの毒によるモノであった。昔から義父は釣りが趣味でフグを自分で捌いて安恵達に振る舞っていた。しかし死んだ後に義父はフグの調理免許を持ってない事が分かった。自業自得という言葉で済ますにしては、なんともしっくり来ない最期であった。

 70近くになるが体はすこぶる元気で、不健康なところといえば毛髪ぐらいだガッハッハッと禿げた頭頂部をピシャリと叩いて笑っていた義父がこんな形で別れるとは。

 そんな想いが体を包む前に葬儀だ墓をどうするだで残された私達三人の家族はてんやわんやな状態が続いた。やっと少し落ち着いたら母は涙を頬へと伝わらせた。なんで死ぬの?何でこんな事で死ぬの?あんたとオロンオロン泣き出した。安恵は涙は溢れなかった。

 泣いてる母の隣にいる居たたまれなさと泣けない自分を母に気づかれないようにと安恵はソロリと二階の自分の部屋へと戻ろうとする。

 階段を二段、三段登り始めた時に手を掴まれる。

「安恵」

 振り返ると兄がいた。

「何です?義人さん」

 さん付けで呼ぶのは出会った頃と変わらない。十歳上の義理の兄。出会った頃と変わらない優しい人。出会った頃と変わってしまった義父譲りの薄い毛髪。遺伝が色濃い。そして優しい兄にしては私の手を握りしめる力が強かった。少し痛い。

「アッゴメン」

 それに気づいたのか私の手を離す。

「……聞いて欲しい事があるんだ」

「ハイ」

 真剣な表情の義理の兄。義父の事についての事だと安恵は察し、次の言葉を待つ。

「……俺は二つの約束をしていた」

「……はい?」

 要領の得ない義人の言葉に思わず顔をしかめる安恵。

「一つは親父と。親父が生きてる間は俺とお前を触れさせない事」

「……はぁ」

 何だソレは?と思ったが、そーいえば?と兄に腕を掴まれた事なんて、この20年近く同じ家に暮らしていて始めてでは?と安恵は思い至る。握られた左腕にはまだ痛みと感触が残っている。こんな感覚は初めてだと。しかしソレが何であるのかと思っていると義人は言葉を続けた。

「二つ目は子供の頃だ。俺が高校の頃に約束をしたんだ……小さいオンナノコと。公園の砂場で」

「………はぁ?」

 急に何の話を義兄はし出したのか?と先程より更に濃く、安恵の感情は顔に出てた。

「俺はその女の子と砂場で遊んだ。砂の城を作った。」

「………」

 義父が突然死んで義兄は狂ってしまったのか?と安恵に不安がよぎる。

「……あの義人さん、ソレがいったい?」.

「まぁ聞いてくれ。」

「いや……まぁ。はぁ」

「俺は当時虐められていた。ソレは酷かった。ソレは辛かった。ソレは苦しかった。」

 義人は言葉を続けた。

「俺は途方に暮れていた。公園のブランコでうな垂れていた。この現実が辛すぎて。前を向けなかった……死にたかった」

「そうしていると5歳くらいの小さな女の子がやってきて俺のズボンの裾をつかんで言ったんだ」

 義人は真剣な面持ちで顔を上げ、安恵を見つめる。


「おにいたん?泣いてゆの?いっしょにあそぼぉ?とな」


 当時の小さな女の子の再現なのか、両の人差し指を頬に当て裏声で義人は言った。

 ゾワリと背筋が急速に氷点下の世界へと駆け出し始めた。安恵は目を見開く。そして確信する。

 ヤッヤバイ!!!義兄はやっやはり狂っておる!……とコッコレハまずいと。


 と同時に義人の仕草と言葉に何故だかぼんやりと覚えがあった。


「ソレから俺と少女は毎日公園の砂場で遊んだ。ミロのヴィーナスも自由の女神も伊藤重文もプリキュアも像もキリンもトンネルも……作った」

 意外とレベルの高そうな創作をしていた。ゾワリと安恵の心の中の閉ざされた部分がゆっくり。ゆっくりとこじ開けられていく。そんな感じがした。

「……あの時俺は間違いなく救われていた。公園が楽園だった。俺に無垢な瞳で優しい笑顔をしていた幼女は……」

「ロリコンなの?義人さん」

「をい。話の腰を折るな。をい」

バッと後ろに手を向ける。ヒムロックみたいなポーズを義人した。

「エンジェル!!」

 氣志團の言い方だった。

「あの子は天使だ!!そう天使だった!!俺には見えていた!穢れ無き白い翼が!!彼女に!!天使の輪が!!彼女に!!!アッッッッタッッッッんんんんんんんんんんダァあああああああ!!!!!!れ!!!!!!!!」

 壊れたと安恵は感じたが義人の眼は輝いていた。……若干虚ろだが。

 そして安恵の心は開かれた。と同時に腋にいやな汗が伝うのを感じた。そして怯えた、次の義人の言葉に。

「俺は……俺は……約束したんだ。天使と結婚すると……キスをすると…….しかしできなかった。ある日突然いなくなった。俺は悲しみに暮れた。会いたかった。また会いたかった天使に。俺はその事だけを希望にして生きてきた。大学になっても社会人になっても俺は枠外へと追いやられた。けど生きてこれた。そして奇跡が起きた。天使が俺の前に再び現れたんだ!!!!!!俺は最高潮の幸せてこんなもんだったんだと初めて知った。しかし壁があった。ソレが何か?1つ目の約束だ。しかし親父は死んだ。約束は期限満了した?死んだんだから終わりだろ終わり。……もういい加減思い出してくれたよな?いや?何のことやら??嘘をつけ、安恵。お前は顔に出やすいと俺はよく知ってる。天真爛漫な子だと?え?違う。んなことあるか。俺のマイエンジェル………そう天使とはお前の事だ。だからキスしよう。そして結婚しよう」

「あはぁ、アッハッハ……」

 もうダメじゃコリャと私の心も壊れ始めた。そして冒頭の難しい難しすぎるキスをした。

 二週間後、義父の死が過去のモノになろうとする前に義兄も死んだ。死因は同じくフグの毒であった。

 運命は誰かにとっては喜びであっても誰かにとっては悲しみになる時もある。だから自分自身の手で。足で。前に進んでいかねばならない。そんな時もある。

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ムズかしいKissをした運命の輪 長月 有樹 @fukulama

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