第10話 四月の兄妹

 職員室に呼び出された千寿を、通りがかった真二が呼び止めた。部活の練習前であるため、防具はつけておらず、袴姿に下駄という中途半端な格好だ。

「お前、やってくれたなぁ」

「なんのことどす?」

 おっとりと首を傾げる千寿を、真二は恨みがましげにねめつけた。

「お前のせいで、俺、何て言われてると思う?」

「知りまへんな」

 抜けるような白い肌をした千寿が、おっとりと微笑むと、彼が男だということを知っている真二も、そのことを忘れてしまいそうになる。

 彼……千寿はついこの間までは、真二とおなじ紺色のブレザーに身を包む剣道部のホープだった。高校入学式初日、退部届けとともに現れた彼は、長い黒髪のかつらをかぶり、女子生徒と同じスカートをき、剣道部の仲間達の度肝を抜いた。

 頭を抱えた教師が千寿の服装を注意するものの、彼は一向に改める様子はない。今日だって、服装についての呼び出しのはずだ。

「『知りまへんな』じゃねぇだろうが!学年一位!秀才、スポーツも出来てカッコイイーってなるハズの俺が、佳苗ちゃんと千寿の仲を引き裂こうとした振られ男。しかも、事情を知っている中等部からのヤツラにはゲイ扱いだぜ?」

「日頃の行いが悪いんでっしゃろ」

 ころころと鈴の音のように笑う千寿は、全く悪びれない。

「まあ、おかげで、佳苗ちゃんの悪女の噂は消えて、イジメもなくなったけどさ。おかしいよな。普通、レズの方が受け入れにくいだろう?それなのに、てめえを『お姉さま』と言いやがる女子まで出てきやがってる。絶対おかしいっ!それに、どうせ振られるなら、俺、佳苗ちゃんに振られたかった」

「文句の多いお人やなあ」

 佳苗の名を出すと、千寿の目が剣呑な光を孕んだ。

 昔から、千寿は何事にも執着しない性質だ。遊びに訪れた幼い真二が、千寿の手から玩具を取り上げてみても、一瞥しただけで何の反応も表さなかった。また、熱心に練習していたように見えた剣道ですら、全国大会に出場することになってもさして嬉しそうではなかった。

 しかし、妹である『佳苗』だけは別であるらしい。

「お前、そんなにスカしてるとバラすぞ。佳苗ちゃんのお兄ちゃんは、アイプチまでする女装趣味者で、レズで近親相姦……いたっいてっ!!」

「あかんお人や。うちは妹を大切にしとるだけどすえ」

「まあな、佳苗ちゃんはフツーに男が好きそうだし。寺山……いたっ!いたい!俺、今度地方大会あるんだけど!」

 千寿に体重をかけた革靴で、力一杯足袋を踏まれた真二は、悲鳴を上げた。

「そうそう、こうなった元は、どなたはんのせいどしたかな?」

 そのままぐりぐりと、女性にしては大きな踵で真二の足を踏みつける。

「うぎゃ!いた、いたい!いてえぇえええええ」

 再び真二が悲鳴を上げていると、何も知らない風情の佳苗がやってきた。

「千寿さん、先生のお話終わった?」

「これからなんどす。そこの阿呆がくだらないこというて、じゃましますのや」

「ふうん?でも、千寿さん、いくら仲良しの田岡くんでも、ひどいことしたらだめよ?」

 大丈夫?と、千寿と良く似た黒々とした瞳で彼を心配する佳苗。

 ……彼女が千寿の妹でなければなぁ、と、田岡は痛む足を押えながらうめいた。



 騒がしい春の日は終わり、静やかな雨の季節が訪れようとしている。



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