第8話 他人の噂



 佳苗と千寿の一騒動は、あっという間に噂になってしまったらしく、翌日にはそのことについて好奇心一杯の佐代に、佳苗は質問攻めにされることとなった。

「昼ドラしたんやって?」

「昼ドラ?」

「そうや!千寿の嬢ちゃんと付き合っとる田岡とあんたが浮気して、お嬢ちゃんに密かに思いを寄せる寺山が田岡を『不埒者め』っちゅうて殴ったっちゅう話や」

「浮気?寺山君が殴った?」

と、佳苗が頭を抱えると、佐代はシャーペンの先で頭を軽くつついた。

「あんたが田岡と仲よう手ぇ繋いでデートしとんは、うちも見た。どないなっとんねん」

「どないも何も誤解だし」

「ほほう、それはあんた、説明する必要があるんちゃうかな。こういう噂は尾ひれ、羽ひれが付くもんやし、今の話だけでも、親友の彼氏を取ったっちゅう感じで、あんた悪役やで」

「みんな、ヒマ?」

 南楽学園の高校入学組は、中学からの進学組と違って学校のカリキュラムが違うため、勉強について行くのが難しい。中学では学んでいない部分が平然と既に終わったこととして進められてしまうので、ただでさえギリギリラインで合格した佳苗は必死の思いで勉強している。

「ヒマとはちゃうな。恋愛話っちゅうんは、どこの学校でも一番盛り上がる娯楽やで」

 吐いたら楽になるでぇと、明らかに面白がっている佐代に、げっそりとしながら早苗は昨日の出来事を話した。

 すると、

「なんや、よう分からんけど、大体の噂は合っとって、殴ったのが千寿のお嬢やっただけかいな」

「違う、違う、何から何まで違うから」

「さよか?あんたの話によると、あんたは気付いとらんかったけど、お嬢は田岡のことが好きやったんやろ。そんでもって、あんたは田岡とデートしてしもうたと」

「いやいや、私、デートのつもりも無いし、田岡君のことは、そういう対象として考えたことなかったし」

「うわぁ、ひどいわ。あんた地味ぃな顔して悪女やなぁ。ごっつ美人よりも地味ぃな女に男は騙されるんやってホンマやったんや」

「どうしてそうなるの!というか、すっごく失礼なんだけどっ!」

「うちは、そっちの方が面白いからそう思うんやけど、一般の意見もそうやと思うで」

 佳苗が周囲に気を配ってみると、確かに数少ない女生徒達からの視線が、ひしひしと突(つ)き刺(さ)さるようなものになっていた。

 聞こえよがしに、

「千寿さん、可哀想」

という声も聞こえる。

 重苦しい。

 佐代が、『まっ、人の噂も七十五日や。きばり』と、他人事のように言うのが、更に佳苗の気持ちを重苦しくさせた。




 佳苗に嫌がらせが行われるようになったのは、それからだった。

 誰がという訳でもなく、気がつけば、机の中がぐしゃぐしゃにされていたり、体操着がゴミ箱に入れられていたり。

 最初は積極的ではなかった男子生徒達までそれに助長して、聞こえよがしに佳苗を非難するようなことを言う。

「誰かさんみたいな尻軽がいると、迷惑なんだよなぁ」

「ホント、脳味噌も軽けりゃ、尻も軽い」

 七十五日、七十五日。

 と、無関心を装って耐えているが、無視をすればするほど、エスカレートしている。

 すれ違いざまに聞くに堪えない雑言を言ってくる輩もいるし、廊下をあるいていただけで水をぶちまけられ、ごめんなさいと謝りながら雑巾で顔を拭われたこともある。

 いずれも千寿が職員室に呼び出されて佳苗から離れたときにばかり行われ、佐代には逆に

「あんた、覇気がないけんなぁ」

と、叱られたりして、気分はますます落ち込むばかりだ。

 勝気な佐代からすると、やられっ放しで黙っている佳苗の方が許せないのだそうだ。

「そんなんやから、やられるんや。誰かが助けてくれると思うたら間違いやで。自分で解決せなあかん」

 佐代なりに心配していることは分かるが、佳苗はどうすれば良いのか分からない。

 佳苗に出来るのは、ただ身を小さくして嵐が過ぎ去るのを待つだけだ。

「ちょっと、お前ら、佳苗ちゃんに何てことするんだ!やめろよな!」

と、通りかかった田岡が庇ってくれることもあるが、それは逆効果だった。

 その時は、田岡の制止で終わっても、次の日からの嫌がらせがエスカレートする。教科書を破られたり、書き溜めていた授業のノートをマジックで塗りつぶされたり。祖父母も、明らかに痛めつけられた鞄や制服を見て、南楽学園からの転校をほのめかすようになった。

 千寿が心配そうにして、良ければ相談に乗ると言ってくれたが、言えば千寿がますます傷つくことになるだろうし、田岡のことを蒸し返すと千寿までもが離れていくのではないかと不安でもあった。

 それに、こんな状態では、兄など見つけられない。

 兄を見つけても、嫌われ者の妹だと嫌がられてしまう。

 泣くまい。

 泣いてしまえば、嫌がらせに負けてしまうと思っていた佳苗だったが、茶道の楊枝を折られ、帛紗をズタズタに裂かれているのを見た瞬間、我慢していたものが堪えられなくなった。

 佳苗は階段をひた走り、誰もいない北校舎の階段の踊場に向かった。

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