第2話 美しい少女

 後ろから風が吹いたような気がした。

 振り向くと、長い黒髪の少女が佳苗を見下ろしていた。

 桜の若葉、ゆるやかに注ぐ春の日差し。

 つややかな黒髪は腰の辺りまで三編みつあみに結わえられている。

「あなたも、一年生?」

 少女の桜色の唇からつむがれる上品な言葉に、つられたように佳苗の口調も丁寧ていねいなものになった。

「ええ、あなたも?」

 戸惑とまどうような佳苗の口調に、少女はくすりと笑い、口調が少しくだけたものになった。

「うちは福本千寿というの。『ちず』と呼んで貰えると嬉しいわ」

「私は杉野佳苗。佳苗でいいよ」

「『かなえ』」

 良い名前やね。と千寿は微笑み、彼女の二重まぶたの大きな瞳が少し細まった。

 白い手足は長く、同じ茶色のブレザーの制服を着ていても、彼女が着るとまるで上等なあつらえ品のように見えた。

「クラスは?」

「6組」

「一緒やねぇ。

 この高校って、女生徒少ないから、嬉しいわぁ」

 今年初めて女子生徒枠を設けた南楽学園高等部。女子生徒数は、外部受け入れ生徒三百名の4分の1である七十五名だけだ。七十五名というと、大人数のように思えるが、一学年八百名の中では10分の1。そのため一年生のクラスでも、女子生徒のいないクラスもあるし、2年、3年に至っては女子生徒は一人も存在しない。

 佳苗が校舎を見上げると、そびえ立つ四階立ての建物は、佳苗が過ごした中学の小さな学び舎とは比べるべくも無く大きく、威圧感に溢れていた。コンクリートがむき出しになった上階のベランダからは、紺色のブレザーを着た男子生徒達が鈴なりになって新入生達を見下ろしている。

 黒々とした千寿の大きな瞳が、佳苗を吸い込むようにのぞき込んだ。

「心細い?」

 千寿の言葉に、佳苗は首をひねった。

 ずらりと並ぶ男子生徒達は、圧巻あっかんだ。だが、自分とは違う世界の生き物に見える。

 名門進学校の生徒達。きっと家も裕福で、奨学金でここに辿りついた自分とは違う存在なのだろう。

「心細いことは心細いけど、なんとかなると思う」

 成績こそは良かったものの、小学校・中学校と、佳苗はひっそりと生きてきた。

 男子生徒が多少多くなったと言っても、地味な佳苗は注目されることも積極的に彼らと関わることもないだろう。

 一つ気になるのは、兄のこと。

 妹がここにいることを知らない兄が、紺色のブレザーを来てこの校舎にいるかもしれないと思うと、佳苗は変な気持ちになった。





 千寿と教室に入ると、教室の空気がざわめいた。

 男子生徒達はもちろん、女生徒達の視線が千寿に集中する。

 出席番号順の佳苗の席は、『杉野』と『福本』で千寿と離れた席になった。

 佳苗が離れた途端、遠巻きに千寿を見ていた周囲の少女が彼女に群(むら)がった。

 千寿は、決して派手ではない。

 だが、凛として人を引きつける不思議な空気を持っているようだった。

「なあ、あのお嬢と知り合いなん?」

 前の席に座る小林佐代という少女が話しかけてきた。

 赤い眼鏡の奥の瞳が好奇心に輝いている。

「校門で会ったの」

綺麗きれいな子やな」

「うん、綺麗よね」

「あんまり綺麗過ぎて、男子のヤツラ、遠巻きにじっと見とるわ」

 佐代は、人の悪い笑みを零した。彼女が言うには、ここの男子生徒は女慣れしていないとのことだ。

「なあなあ、杉野さんは、なんでこの学校を選んだん?」

「どうしてって、なんとなく?」

 兄を探しに来たと言えば、兄に迷惑がかかる。

 はっきりしない返事をすると、佐代は口先をすぼめて口笛を吹いた。

「なんとなくで、この高校に受かったんや。えらいなぁ。

 うちはさ、親兄弟が入れって五月蝿くて入った」

 佐代は男だらけの兄弟の末っ子として育ち、皆この学園の卒業生のため、当然のように入学することになったらしい。

「ふうん」

「うちんとこは、病院をしとるけど新参やから、学歴にはくを付けないといかんのや」

と、大人の事情のようなことをぺらぺらと話しだした。

 そして、教室の女生徒達についても知っている限りのことを教えてくれた。

 千寿を除いて、全部で8名。佐代と同じ京都の塾仲間で、みんな、医者だったり、弁護士の娘だったり、大企業の商社マンの娘だったり良いところのお嬢様なのだそうだ。

「男子は地方から来てる寮生とかがいるけん、知らんヤツもいる。でも、このクラスの女子で、素姓が分からないのは、あんたとあのお嬢ぐらいやな」

と、佐代はこっそりと千寿を指差した。

「ふうん、でも、千寿さんは、京都弁を話してたよ」

「そうなん?まあ、うちも、京都に来て日が浅いけんなぁ。それに、昔からここに住んどるような子達には近づけんし」

「そうなの?」

「そうや。京都は閉鎖的やもん。だから、新規でここに来るような女子は、改革派……ぶっちゃけ昔からここに住んどるというより他所から来た子が多いんちゃう?出来の良いお嬢なら、昔からの名門の公女学園とか星圓学院に行くはずや」

 男子は、昔から京都に住んどるような腹黒いヤツも多そうやけどな。

 佐代が笑い飛ばすように言うと、近くに座っていた幾人かの男子生徒がじろりと佳苗達の方をにらんだ。


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