第3話 消えた、見えた。
二人がもう再び顔を合わせたのはたかだか十分後のこと。
スマイリーは右手にコーヒーのカップをぶらさげて「やあ」と言うかのように左手を半分挙げた。こうして明るい場所で見るスマイリーは圧倒的にカッコいいとそう感じた。黒のスキニーズボンに無地の白シャツを着こなすスタイルの良さ。主張しすぎないネックレスに人差し指にちらりと光る指輪は細くすらっと伸びたスマイリーの指に合わせにいっているようだった。
「何買ったの?」
突然の質問に少し慌てながらも丁寧に答える。
「えっと、キシリトールとお茶とチョコです」
えらくすらっと答えた自分の適応能力に驚きながらも親友の感覚を思い出したような気がして少しうれしくなった。
「それじゃあ、行こうか」
ヒロキさんは自分のことは話したがらないのかと率直に思った。
「ヒロキさん、年齢と何を買ったか教えてください。一方的ではずるいでしょ」
少しの間が二人の緊張感を示しているように広がった。
「確かにそうかもね。年は二十六歳で夜行バスに乗っている理由はさっき話した通り。買ったものは今手に持ってるコーヒーとこのキシリトール。これで大丈夫かな」
「ありがとうございます……」
そっけない対応に単調な言葉しか出せなくなってバスの階段にトーク履歴は吸われてしまった。
席に戻り、イヤホンを装着する。その後にお茶を軽く流し込み、すっとしたガムを口の中に漂わせる。ここまでの一定な流れを一瞬のうちに作業していた自分を達人か何かだと思えるほどだった。なぜか一連の流れというものは自分の中のカッコよさを助長させる。ほどなくして消灯の時間が来るといつのまにか副交感神経へと切り替わっていた。耳元で流れるのは、この世の真理をうたった巷には浸透しなさそうな歌だった。
[広島駅]
はたして着いたのだろうか。薄暗い空間に外の状況がまったくもって伝わってこない。外は今雨なのか晴れなのかそれとも雲りなのか。広島駅はどのくらい栄えているのか。初めて来た客がのらりくらりとしているように、ぼくもその一部と化していた。バスに乗っていた若干十名程度の客が完全に降り切った後、固くなった腰を掛け声とともに上げて車内からでは伝わらない空を求めてドアに駆けた。曇天の空に油と水のように分かれたバスを後ろにする。台風の接近に伴ってかえらく暑い。いや、蒸し暑いといったほうが正確か。それでも幸運なことに今現在雨は降っていない。
ケンちゃんにアポは取ってあるし、ぼくの親にも言わないようにケンちゃんの親にも筋を通してある。けどさ、まだ八時。店も開いてなければ多分ケンちゃんも起きていない、昔の性格が変わっていなければ。雨が降っていないとはいえ、今までで最高規模の台風が近づいているのだ、そりゃあ店なんか開いているわけもない。とりあえず、わけもなく、あてもなく歩き出す。商店街みたいな場所にも人はまばらで閑静な住宅街のような雰囲気だった。店のシャッターには、『台風の影響により、休業させていただきます。』の文字。
結局辿り着いたのはファミレス。想像の四倍の人がいた。もともと想像していたのが一組だったから、誤差の範囲内だけど。四人掛けの席に優雅に腰掛ける。今日あったこと、これからすること、昨日あったことを整理する。
「あったこと、会った人……ヒロキさん!」
思い出した衝撃で少し大きな声を出してしまったが、それでも振り返ったのは一人の従業員だけだから特に支障はない。それにこの街にはそうそう来ないだろうから覚えるやつなんていやしない。それよりも、ヒロキさんのことを完全に忘れていた。コンビニで用を足したぼくらはそのままバスにもどり消灯と同時に眠りに就いた。そのあと、ぼくが起きたときに乗っている人はきっと全員。降りた人が誰もいないことになる。ヒロキさんの乗っていた席はぼくの真右だったからわからないはずもない。それに、ぼくが起きたときに降りるスポットは一つも通ってなかった。けど、この時にぼくはヒロキさんを一切意識していなかったからまだ確認はしてなかったんだ。でも、ぼくが降りるときにぼくを通り過ぎた人はだれもいなかった。だって、一番後ろの席だから。人に挟まれることが嫌いなぼくは席を予約するときに、わざわざ一番後ろの席にしたのだ。だから、ぼくを通り過ぎる人はいるわけがない。けど、そこにヒロキさんの存在感はなかったように思える。ぼくの思い違いか何かであってほしい。けれど、分かることは、寝起きだったから頭がぼーとしていたことくらい。不毛な思考に疲れて、座ってから十分。やっと注文を取る。
「このハンバーグをひとつ。あと、ライスもお願いします」
そういって、指さしたあとは、不毛な思考を忘れて、『これからすること』という作戦を立て始めた。
まず、このファミレスを十時には出る。その後で、おそらく一時間程度かかるであろう道のりを超えてケンちゃんの家に行く。そうすれば、お昼が食べられる時間だからご馳走させてもらう。その前に、東京のお土産渡す。たくさん遊んだ後に、別れを惜しみつつ、帰らなければと言い、七時に帰宅。多分、ケンちゃんの家の夕ご飯は早い、変わっていなければ。だから夕ご飯もご馳走させてもらおう。ここまでは完璧な段取りだ。あとは、台風との闘い。迫りくる台風は広島に雨を降らせることはなくてもこのファミレスに打ち付けることで存在を一生懸命に主張していた。迫りくるのは台風だけではない。この店から出る時間とハンバーグとライスを抱えた店員もそのうちの仲間だった。
「お待たせいたしました。鉄板の方、大変お熱くなっておられますので気を付けてお食べください」
営業スマイルに営業ことばにすでに着替え終わった新人クルーが商品を順に置いていく。ぼくは店員の話なんか聞かずに目の前に広がる湯気にまとわれたハンバーグに食らいついた。ものの十分で食べ尽くす。ついつい忘れてしまう、ライスの存在を。ハンバーグは無くなってしまっているのに残ったライスを味もないまま食べ尽くした。三分の二を過ぎたあたりでとてつもない飽きが襲ってきたがなんとか跳ね飛ばして食べた、食べた。ここまで食べてお腹はちっとも満たされていなかったが、ケンちゃんの家でお昼を食べる予定だったから食べるのもここまでにして視線をスマホに落とした。
親指でフリックを繰り返すけど、することは特に見つからずに右往左往を繰り返す。けど、暇な時間は嫌いだ。ポケットからイヤホンを取り出して右耳だけ装着する。今の時間はちょうど九時。あと一時間で何ができるだろうか。もうすでにこれからの予定は作戦会議してあるし、とくにこれといってやることもない。スマホに頼ってみてもこれまたやることもない。ニュースを見ても台風のことしか載っていない。もう、
「歌に頼るしかないか」
そう呟いて、瞼を閉じる。瞼を閉じる前の景色は窓に打ち付ける台風。
17:31 ためひまし @sevemnu-jr
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