第2話 静かなドア
いつも奥手なぼくの性格では、親が何かと面倒。ただそれだけの理由で行動をすることをやめるようになっていた。いつからだろう。こんなに逃げるようになったのは。もしかしたら最初から逃げることしか能のない人間だったのかもしれないな。そんなことを考えながらもぼくの身体はりんかい線沿いに運ばれていた。八月十三日の二十時を回った時のことだった。
周りに人は見えない。あたりもすっかり暗くなっていて、今聞こえてくるのは最近では珍しくなったカノン進行のメロディだけだった。傘を弾く雨粒もノイズとしてこのイヤホンが全てブロックしていた。マップを開いて東京営業所までの道のりを確認する。左に一度曲がるだけの簡単な道のり。歩くことだいたい五分。
[東京営業所]
両備高速バスの乗り口、東京営業所。東京から広島への架け橋だ。値段も手ごろに抑えられる夜行バスを選択したぼくの采配は完璧なものだった。お盆だというのに人はまばらで少し幸せになる。特に隣の人がいないのはガリガリ君であたりがでるくらい嬉しかった。人がいないのはきっとすぐそこまで近づいてきた台風の影響だろう。まだ沖縄にも上陸していないというのに九州だけでなく東北を除く本州全土を巻き込むほどの大雨を降らせている。ここ三日ほどはニュースでも台風情報しか流れないほどだった。どこかの天気予報士は『超大型台風では表しきれないほどの台風』そう言っていた。その売り文句にいち早く反応したのはぼくではなく母親だった。「嫌になるな……ここ一週間ずっと雨じゃない……せっかくのお盆なのに……」途切れ途切れのため息が雨音に吸われてぼくの家へとしみ込む。その言葉だけで一段と雰囲気を悪くさせる。それがつい八時間前の話。考えたくもない現実なんかは遮断するのが一番だ。イヤホンを装着して半径ゼロセンチメートルの世界へと飛び込む。
光を感じたのはそれほど時間も経っていないサービスエリアだった。コンビニで水分と軽い食べ物を買おうと思い左手付近に携帯していた折り畳み傘を取る。先月メジャーデビューを果たしたバンドの歌を聴いてるぼくの外から声がした気がしたので装備一式を外し、まず、右を確認する。すると隣に座っていた二十代半ばくらいの青年が
「雨は降っていないようですよ」
そう、ジェスチャー程度に軽くカーテンを開けて言った。
「買い物ですか」
笑顔が絶えない彼の言動にぼくは気を払いながらも軽く返事をしてみせた。
「はい……」
間を開けずにスマイリーは言った。
「よかった! それじゃあ一緒に行きませんか」
いやいやながらも了承し、装備品を座席に放り投げスマホと財布を手に取りスマイリーのあとを追っていった。
「お名前聞いてもいいですか」
「あ、えっと……ユウスケです」
自分の名前を言うだけなのに声が喉に詰まったのが恥ずかしくなる。
「ぼくの名前はヒロキ! よろしくね」
やけに威勢のいい自己紹介に少し身を引いた。それと、『ヒロキ』という名前に違和感を覚えた。何か引っかかる違和感。
「そういえば、なんで夜行バスなんて乗ってるの。ていうか何歳なの。結構大人びてるよね。もしかして年上じゃないよね?」
人とあまり会話をしないぼくにとっては質問が多いとパニックに陥って、言葉が詰まる。それだけならいいのだが、礼儀の『れ』の字もなくなる。
「えっと、質問多いですね……」
スマイリーが慌てて返事をする。
「あ! ごめんなさい」
ぼくも悪い事をしてしまったと思って応えていく。
「大丈夫ですよ。一個ずつ答えるとですね、年は16歳で……」
話の途中でスマイリーが割り込んできた。
「え! 中学生なの! あ、高校生か……」
自問自答がすぎるスマイリーに返す言葉が見つからなかったので得意の愛想笑いでなんとか行間は埋めた。なぜ中学生と間違えたのだろうか。
「次に、なんで夜行バスに乗っているかですよね……」
少し言葉に詰まる。喉で詰まった唾液を飲み込む。
「きれいごとを言うなら、『自分』を見つけるためですかね……」
スマイリーは真顔になって口を尖がらせるように言った。
「へー、ぼくと同じじゃないですか。ぼくも『自分』ではないですけど、『何か』を探し回っている身ですから」
その一言に自分はただ逃げているだけなんてとても恥ずかしくて言えやしなかった。
「いえ、カッコいいと素直に思います……」
「そう? ありがとうね……まあ、逃げてるだけってのもあるけど」
スマイリーの言葉が妙に心に刺さる。自分のことを全部知っているようなそんな感じ。
コンビニのドアが開くと同時に止まった会話には何か妙な違和感があった。その違和感は自分を語った後のスマイリーの仕草のせいなのだろうな。
コンビニのドアをきっかけにして二人は別の方向へと歩みだした。
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