届かなかった日

夏木

きのう、失恋した


 彼女はとても美しかった。

 周りと比べても、彼女は抜群に美しいのだ。

 お世辞って言うわけではない。誰が見ても美しいというのだから。

 他の女の子とは、どこか違った雰囲気で、だけど決して嫌われるような態度を示さない。

 美しいのに、彼女は誰からも憎まれることなく、むしろ多くの人に愛されて育ったようにも見えた。



 小さな顔に大きな瞳。吸い込まれそうなその瞳で、こちらを見てきたとき、俺はすぐに恋に落ちた。

 彼女の見た目はもちろんのこと、歩いたり座ったり……そんな何気ない仕草や、高いのに嫌と感じさせない声も。もう何もかも、全てが美しかったんだ。


 いつしか俺は彼女の姿をずっと目で追ってしまっていた。

 いつ何時でも、俺の頭の中は彼女でいっぱいだ。

 今日は何をしているのか、何を考えているのか気になってしまう。

 学校の授業なんて、頭に入ってこない。

 授業中は外を見ながら、彼女への思いをどうしようかとひたすら考えていた。


「そこ! 外を見てないで、私の話を聞きなさい!」


 一番嫌いな数学の授業。

 眼鏡の男性教師に何度も怒られた。


「なぁ、お前はいつも何を考えてるんだ?」


 ぼけーっとしていたことを心配した友人たちが問いかける。

 素直に彼女のことについて、説明した。


「お、おう……そうなのか。うん、まぁ……頑張れ」


 なんでそんな微妙な反応なんだ?

 あまりにも身分が違うからか?

 確かに俺が彼女の身分にあっているかと聞かれると、頷くことはできない。

 だけど、彼女に惚れてしまったんだ。諦めるなんて男らしくない。

 男なら当たって砕けろ! だろ?

 いや、砕けたくないけど。

 せめて応援はして貰いたい。頑張るから。

 理解してもらえないから仕方なく……そう、仕方なく彼女の姿を友人たちにも見せた。


「確かにこれは……可愛いし、美人だわ」

「お前には不釣り合いだよ。って、俺たちみんな不釣り合いだけどな」


 俺だけじゃなく、みんなも同じで、いつしか彼女は大勢の注目の的となっていた。

 気付いたときには、話の中心は彼女になっているほどに。


 それを知ってか知らずか、彼女は毎日美しい姿で歩いて行く。

 性別問わず魅力的な彼女に俺は片思いしてから早二ヶ月は過ぎた。


 誰かが彼女に話しかけていれば、俺は嫉妬する。

 何で自分じゃないのか。何で彼女に話しかけているのかと。

 何を話しているかはわからないけど、モヤモヤした気持ちになる。

 俺が彼女と話したい。

 気まぐれな一面を持つ彼女に、話しかけるのはリスクがある。

 つまらない人だと思われたらどうしよう?

 生理的に無理と判断されていたら……。

 こんなことを考えてしまうから、一向に彼女に話しかけることは出来なかった。


 誰かが彼女に触れたのを見かけたとき、怒りで狂いそうだった。

 どんな人にでも愛想よく振る舞う彼女。

 嫌な顔ひとつせず、誰にでも同じように対応する。

 触られているのを見たくないはずのに、優しい面を知った。そしてもっと彼女を好きになった。

 でもやっぱり他の人には触れてほしくない。なぜなら美しい彼女が汚れてしまうから。

 ああ、また触れられて……しかも今日は汚らしい太ったおっさんに。

 触るな、汚れる。

 こんなどす黒い気持ちがこみ上げてくる。でもこの気持ちを、決して口にすることはない。

 そんなことをしたら、彼女に嫌われるだろう?

 普段から悪口を言っているやつが、好きな人の前でだけ『いい人』を演じようとしても、ボロがでるものだ。

 普段から『いい人』なら、いざというときでも同じように『いい人』でいられる。

 あくまでも真摯な姿を見せねば。彼女に見られても恥ずかしくない対応を。

 いつかきっと、彼女が俺に気付いてくれるはず。


 そんなに気にしているなら、声でもかけろって?

 俺だって、彼女にアプローチしようとも考えたさ。

 でも、あいにく俺は貧乏でビビりのチキン野郎だ。

 アルバイトが禁止された学校に通うしがない高校生。

 収入は月に一度、五千円のお小遣い。

 部活にもお金がかかるし、月末には手元に数百円しか残らない。

 いくら節約しても、財布にはその程度しか……。

 こんな男に彼女が振り向くとでも思うか?

 数百円じゃ、彼女を満足させられる自信がない。

 安いものを何度もプレゼントするより、高いものを一つプレゼントする方がよくないか?

 彼女に片思いしてから少しずつ貯めた貯金は、まだ四桁にもなってない。

 これじゃダメだ。


「あんた、いったい何をしようとしてるの? 最近ずっと上の空だし、母さんは心配してるんだよ」


 どうやら、俺は上の空だったらしい。

 言われてみればそうだろうな。

 教師にも友人にも言われ、改めて彼女への気持ちが俺の頭の中を埋め尽くしていた。


「なんか変なこと、やってないだろうね?」


 変なこと、とは?

 高校生だから、犯罪とかクスリとかに手を出してないかってことか?

 大丈夫。俺はそんなことをしている暇はない。

 彼女に嫌われるようなことは何もしていない。

 彼女のことでいっぱいなだけなんだよ。

 こんなこと母さんに相談するのも恥ずかしい。

 うぶな男とか言われ、親父に笑い話として言うこと間違いない。

 近所のおばさんたちにも言われたら、俺はただ恥ずかしい思いをしたまま生きていかねばならない。

 それは嫌だ!

 絶対に母さんに言うもんか!


「何にもないっていうならいいんだけど……」


 母さんも深く聞くことは諦めたようだ。

 親父は無口だし、あとの問題は姉貴か。

 社会人の姉貴には夜しか会わない。会ってもろくに話さない。

 共通の話題もないからなおさらだ。

 最早顔をあわせない日の方が多い。

 今日も会わな……。


「たっだいま~!」


 は? 帰ってきたぞ。

 どのタイミングで帰ってきてるんだよ。


「あら、お姉ちゃん。今日は早いのね」

「今日はノー残業デーだから、まっすぐ帰ってきたの」

「へーご苦労さま。ところでお姉ちゃん、ちょっと聞いてくれる? この子が最近ずーっと上の空なのよ。何か悪いことしてるんじゃゃないかって不安で不安で……」

「へぇ……あんたがねぇ。ま、大丈夫だよ、お母さん。あたし、こいつが何してるか知ってるもん」


 は? 何を言っているんだ?

 いったい何を知って……


「毎日毎日、あそこに通ってるんだもんねー? 見ちゃったんだー。それに、あの店にあたしの友達もいるから、情報がくるし」


 待て待て待て待て。

 なんで? 嘘だろ?

 顔が熱い。


「ちょー顔真っ赤! ウケる」

「あら、そうなの? 青春ねぇ。それだったら母さんも安心だわぁ。ねえねぇ、それってどんな子?」


 よし、逃げよう。

 顔が熱すぎる。

 彼女のことはもちろん好きだ。だけどぐいぐい質問されるのはお断りだ。

 家にいたら質問される。明日は学校は休みだし、彼女の様子を見に行こう。



「いらっしゃいませ~」


 店に入ると、必ず挨拶される。

 でもそれよりも、彼女を見たい。

 彼女は奥にいるはず。

 早く会いたくて、早歩きになってしまった。


「あ、いつも来て下さってありがとうございます。弟くんだよね?」


 彼女がいる売り場の店員。

 この店員に顔がバレてたか……流石に通いすぎたかもしれない。

 足早に向かった彼女の定位置。

 そこには一枚の紙が貼られていた。


『家族が決まりました』


 いつかこうなることはわかっていた。

 恋をしたのはペットショップの猫。

 何十万もする彼女は、美しいのになかなか家族が決まらずにいた。

 まだ中で彼女は眠っている。

 ガラス越しに彼女に触れてみる。


「あ、その子がお目当てだったんですね。よかったら、抱いてみます?」


 店員の提案に、何度も首を縦に振った。

 すると、店員は彼女を俺に手渡した。

 優しく彼女を抱きかかえる。

 光る美しい毛はとても柔らかい。

 頭を撫でれば、嬉しそうにグルグルと喉を鳴らした。



 初めて彼女に触れたこの日以降、彼女に会うことはなかった。

 きっとどこかの家で幸せに暮らしていることだろう。

 俺の数カ月の片思いはあっけなく終わった。初めての恋。そして初めての失恋だった。

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