あなたより先に

明智ゆずる

第1話

「記念日、おめでとう」

「うん、おめでとうございます」

「なにそれ、なんか他人事だなあ」

「ごめんごめん、これからもよろしくね、有里子。大好きだよ」

「あはは、なにそれ、あんたらしくないじゃん」

 そういってかちゃん、とワインの入ったグラスを合わせる。高校生のころから通い詰める、あいつの実家の最寄駅の近くにある手ごろなイタリアンの店で、いつも記念日のお祝いをすることにしている。

 実をいうと、あいつの給料を見れば、ゼロのけたが違うお洒落な高層ビルの最上階にあるようなイタリアンで、夜景を見ながら記念日を祝うことだって難しいことではない。最も、私だってあいつほどではないけれど、同世代の女の子より稼いでいる自信はあるから、おごってもらわなくたって大丈夫なくらい、余裕はあるのだ。

 それでも、毎月決まってくるのはこのお店。イタリアンレストラン、フィレンツェ。もうだいぶ前からある店だけれど、安価なワインとパスタが楽しめると、地元民に愛されているのだとあいつは言う。

「最近、仕事はどう、うまくいっている?」

「ああ、そりゃあもう絶好調だ。うなぎ上り、って感じ。有里子は?まだあの鬼上司やめてないのか?」

「もう、真太郎。確かに霧生さんは鬼だけど、とってもやり手なんだから。嫌いだけど尊敬はしているの。プラダを着た悪魔の編集長って感じ。あの人いなかったら、うちの会社は終わりよ」

「有里子も、俺の父さんの会社にくりゃよかったのに。そうしたら、内輪のコネでも何でも使って、安定した地位と給料は約束されているのに」

「あなたと同じ職場なんてまっぴら」

「なんだそれ、酷い」

 真太郎と私は高校二年の夏に出会い、大学二年から付き合っている。かれこれもう8年の仲になるが、不思議と飽きは来ない。もちろんけんかもいっぱいしたし、倦怠期だって数えきれないほどあるけれど、私たちはそつなく乗り越えてきた。恋人、というより親友に近いのもあるかもしれない。それでも私たちはムードが作られればいちゃいちゃはする。本当に心地よい距離感、関係。この先に待ち受けているのはあの漢字二文字しかないだろう。

 真太郎の父は誰もが知るような車の部品を取り扱う大企業の社長だ。彼は大事な一人息子、真太郎に会社を譲るつもりでいる。ゆくゆくは社長夫人。一生遊んで暮らしていけるわけ。もちろん、金目当てではないし、彼が御曹司だって知ったのは、就職活動が始まってから。彼は自分の会社にインターンだけして、そのまま何の苦労もせずポンと就職した。私は毎日ノイローゼになりながら、なんとか大手の海外雑誌を取り扱う会社に就職した。雑誌の編集者は長年の夢だった。

「もし俺が父さんの会社継いだらさ、若手イケメン社長誕生っていう特集記事書いてよ」

「わが社が扱っているのは海外ブランドのトレンドだけです。エンタメなら他をあたってください。っていうかなにその需要が一切ない記事は」

「ちぇっ、俺が顔出ししたら売れるって母さんは言ってたけどな」

「はいはいはい」

 こんなにバカっぽくても、一応彼は超有名国立大の出だし、高校も県内随一の進学校に通っていた。社交性もカリスマ性もあり、社長としての素質は申し分ない。たまに調子に乗りすぎるところもあるけれど、彼なら許される。

 このまま結婚出来たらな。ってまずは同棲からスタートか。私たちなら少しお洒落な街のお洒落なマンションを借りることができる。誰もがうらやむ生活。さすがに今の会社を四年足らずで辞めるのは惜しいし・・・なんて考えながら、勘定を割り勘し、キスしてお互いの家へとそれぞれ向かった。お互い明日は朝が早い。ゆっくりいちゃつくのは、また次の機会だ。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたより先に 明智ゆずる @susan_yuzu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る