年輪

穂積

第1話(最終話)

 蝉の声が聞こえ始めた初夏のある日、いつものようにシンジと学校の校庭へ向かう。朝早いこの時間帯はそうでもないが、これから死ぬほど熱くなると考えると憂鬱になる。

「あっちぃ、木陰で涼みてぇ」

 堪え性のないシンジはもうすでに我慢できないらしく、手に持った団扇を忙しなく扇いでいる。が、突然何かに気づくと視線の先を指さす。

「あれ、なんだあのテープ?」

 シンジの指先を辿ると、通り道にある空き地が「危険、進入禁止」と書かれたテープで仕切られていた。

 神樹広場と近所の学生達に呼ばれるその空き地には、樹齢数十年と思われる立派な大樹が鎮座している。正確な年数は知らない。誰かが勝手に名付けた神樹広場というのは、この大樹の下で告白するとカップルになれるという眉唾な話が由来になっているとか。そのせいか結構な頻度で生徒たちがたむろしている広場ではあったが、何かあったのだろうか。普段なら見慣れすぎて何の興味も湧かない空き地だが、何か変化があると途端に気になってしまうのが人間だ。そしてこういう時には必ずシンジが、

「気になるな。ちょっと入ってみようぜ!」

 と言い出すのだ。


 サトシはテープを跨ごうとしているシンジの首根っこを掴んで目的地の方向へと引っ張る。

「おいサトシ、ちょっとくらいいいじゃねえか。お前も気になるだろ?」

「少しな。だけど、今はそれよりも大事なことがあるんじゃないのか?」

 サトシがユニフォームから手を離すと、渋々ながらも外れかけた道を戻るシンジ。

 そう、今は3年最後の高校野球地方大会を控えた大切な時期。今日は大会前最後の練習試合。

 そして、明日はレギュラー発表の日だ。時間は少しも無駄にできない。



「やらかした・・・もう終わりだ」

 セカンドスタメンで臨んだ今日の試合、1,2打席ともに凡退し向かった第3打席は2点ビハインド1アウト満塁の絶好のチャンスだった。監督は今日の試合で地方大会のレギュラーを決めるつもりだろうし、ここでアピールするしかないと考えていた。

 サトシは正直、内心かなり焦ってた。セカンドのレギュラー争いの相手は2年の月島だったのだが、彼は守備が上手く、打撃成績こそ上回っていたものの、総合力では安心できるほどの差はなかった。このままレギュラーを守り切れる保証はなく不安だったのだ。

甘く入ったかのように見えた変化球を引っ掛け、ボールはショートへ転がっていった。結果は最悪のダブルプレー。この結果に動揺したサトシはその裏の守備でめったにしないトンネルをやらかしてしまったのだった。

「そんな落ち込むなって。まだレギュラーになれないって決まったわけじゃないだろ?」

 いつもエラーをすると茶化してくるシンジだが、このときばかりは慰めの言葉をかける。気を使わせてしまったか。

「あぁそうだな」

 気の抜けた返事を絞り出すのが精一杯だった。この3年間自分なりに努力を重ねてきた自信はあったが、最後の最後で努力は裏切ってくるのだ。


「おい、サトシ見ろよ」

「なんだよ。今日はもうさっさと帰りたいんだが」

「いや、朝のアレ。切り倒されちゃったみたいだぞ」

 気が付けば朝通った空き地の前に来ていた。相変わらずテープで仕切られていたが、シンボルの神樹様の姿はなく、代わりに切り株がひっそりと佇んでいた。

 シンジがテープを跨いで切り株に近づいて行く。

 今朝はあんなに存在感を放っていた大樹が今や低い低い切り株になってしまった。その寂しさになんとなく惹かれるものがあり、その後を追う。

「へー、あの木の中ってこうなってたのか」

 感心したようにシンジが呟く。確かに、これだけの大樹の切り株を見るのは初めてだ。

 円形状の断面には、内側へ行くにつれて小さくなるいくつもの円が描かれている。年輪、1年に一つづつ円が増え、一番外側が最も新しく、逆に内側の円ほど古い、と聞いたことがある。

「木の本体ってさ、外側にあるらしいぜ」

「はぁ?」

 突然変なことを言うシンジに思わず、上ずった変な声がでてしまう。

「年輪って外側の方が新しいだろ?それって、木の細胞を生み出している部分、いわば木の本体は、細胞を生み出すとどんどん外側に移動してるんだよ。で、古い細胞たちは内側に取り残されて何もしなくなるらしいぜ。」

 こいつは好奇心旺盛だから、たまに変な知識を持っている。そんなことどこで知るんだか。

「野球ボールを真っ二つにしたら切り株みたいになってるじゃん?それで興味が湧いて調べたんだよ」

 こちらの疑問を察知して教えてくれるのはいいが、突拍子がなさ過ぎてり納得できない。てか、野球ボール割ったのか?シンジのよくわからない説明に困惑するサトシだったが、ここでふと単純な疑問が湧く。

「なぁ、つまり内側は必要なくなった部分ってことだろう。なんで木はそんな風になってるんだ?普通なら内側には大切なものを置くだろう。俺たちの心臓みたいに」

「うーん。確かに、なんでだろうね」

 シンジは頭をひねってしばらく考えるが、やがて分からないと降参ポーズを取る。長く考えないのもシンジの特徴だ。

 別に答えを期待していたわけではなかった。何となく心に引っかかったのだ。

 そこから家に帰るまではそのことについてじっくり考え続けた。考えている間は落ち込まなくて済むから気が楽になった。結局答えはでなかったが、気をそらしてくれたシンジには感謝しておこう。



 次の日早朝、いつも通り学校の校庭へ向かう。

 昨夜は帰り道こそ考え事で乗り切ったが、自宅の部屋に一人佇むと自責の念に駆られて苦しんだ。ベットに入っても、自分を責める思考がループして寝付けなかった。目にクマを付けた俺を見ていつも通り茶化すシンジ。今はこの態度がありがたい。

「なぁ、昨日の答えだけどさ」

「なんだ?」

「年輪のことだよ」

 あの飽き性で忘れっぽいシンジが、昨日のことをまだ考えていたことに驚く。

「木にとってはさ、大事なものだったんだよ。今まで生きてきて、成長してきた証だったんだよ。例え何もしなくったって、木にとってそれは大切なものなんじゃないかな」

 なんだかシンジらしくない答えだ。生きてきた証だなんて、今を生きている代表のような奴が言うと違和感がすごい。

「木にとって、それが積み重ねてきた物だったんだよ。だからさ・・・」

「うん?」

「今までの積み重ねって切り株にしないと分からないものなんだよ。外側からじゃ分からないんだよ。でもずっとその木を見ている人にはその成長がわかるじゃん?」

「うん」

「お前が積み重ねてきた物は俺がちゃんと見てるよ。誰よりも早く朝練に来て、誰よりも素振りして、誰よりもグラウンド走ってたお前の姿を。」

 ・・・なんだ。キャラじゃないことを急に言い出すと思ったら、俺を励まそうとしていたのか。気づけばおかしくなって笑い出してしまう。

「ははは、お前、俺が見てるって!急に何言いだすかと思ったら」

 大笑いする俺を見て顔が赤くなるシンジ。ひとしきり笑い終えた俺はシンジに向き直る。

「でも、ありがとな。もし、今日選ばれなかったら俺の慰め会付き合ってくれよ!」

 笑顔になった俺を見てシンジもいつもの笑顔になる。

「まぁでも」

「うん?」

「積み重ねを見てきたのは俺だけじゃないと思うぜ」



 レギュラー発表の直前、監督の前に整列する野球部員達。緊張の面持ちで監督の言葉を待つ。



「セカンド、高倉智」

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年輪 穂積 @onion2914

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