第5話 観察

「雨嶺ってよ、ここに来てから誰かと話してるとこほとんど見ねぇよな。こう言っちゃなんだが友達できてねえのかな」


「言われてみればほとんど見た事無いな。時々話してるとこ見るが、友達同士の会話だとは到底思えなないようなものだった」


 だよなぁ、と頷く海斗。


「お前彼女の世話係だろ? 協力してやれよ」


 世話係と言うと聞こえは良くないが、やっていることはいわばそれである。水原は『全部任せる』と言ったが、こういう事も全て含んだ『全部』だったのだろうか。



「……今日は取り敢えず様子を見てみるよ」




 こうして純は、空の観察を始めることになった。






 ───朝。


先程の話が一旦終わって数分たった頃、彼女は登校してきた。荷物は小さいリュックひとつだけ。割と頻繁に教科書を見せて欲しいと頼まれるのだが、理由がわかったような気がした。と、彼女を見ていたら、「おはよ!」と笑顔で言われた。


 やはり彼女に友達が出来ないとは思えない。



「あ、一限の古典の時に提出するやつ、1問だけ分かんないんだよね……。教えてよ」


「うーん、問題にもよるかな」


 彼女はプリントを見せてきて、分からないという問題を指さして教えてくれる。その問題は、高1の頃にやった伊勢物語の芥川という話についての問題だった。


「ああ、芥川に出てくる男のモデルとなったとされている人物か。在原業平ありわらのなりひらだよ。先生はぎょうへいで覚えろって言ってた」



 今の古典の先生は1年の時と同じ宮崎という女性の先生だ。教え方も良く、話も面白いので生徒の評判はかなり良い。ただ、授業で教科書に載ってないことをポロッと吐き、それをテストに出すものだから、なかなかにハイレベルなテストになる。今日のこの問題も1年の時にポロッと言っていたのだが、同じ授業を受けていなかった空はもちろん、大抵の人が忘れていて解けていないだろうと思う。現に今、教室の前方で小さな会議が催されている。



「水瀬くんはやっぱり頭良いね」


「やっぱりってなんだよ」


「ふふっ。、覚えとくね。ありがと!」


 そう言って軽く笑みを浮かべる。


 一瞬、教室が明るくなったように感じた。一瞬、クラス中の視線が彼女に集まった気がした。一瞬、クラスの男子の嫉妬を集めてしまった、ような気がした。多分、全部気の所為だと思う。そのぐらい魅力的で悪魔的な笑みだった。



   □   □   □   □



 ───昼休み。


朝から昼までの休憩の度、彼女はとても忙しそうにしていた。授業が終わった途端、何かが書かれた紙を持って教室を出ていく。これでは友達云々以前の話なのだが、まだ彼女はやらなければならない事があるのだろう。仕方が無い。なんて思っていると、彼女はまた紙を持ってどこかへ行ってしまった。



「純、食堂にパン買いに行くからついてきてくれよ。お前の愛しの空ちゃんはどっか行っちゃったんだしいいだろ?」


「そういう事なら嫌だ」


 即答してやる。


「あー!すまんすまん!冗談だよ。頼むからついてきてくれよぉ……」


 動く気が失せた純にすがりついて頼む海斗。その姿はとても滑稽で、見た者全てが口を揃えて言う。


「不憫な子」


 これがお調子者の末路である。





「……なんでそんなに一緒に行って欲しいんだよ」


「だって今日チョコホイップメロンパンがひとり一個の限定販売なんだよぉ。めっちゃ2つ食べたい……」


 なにそれ食べてみたい、なんて思ったので、この機を上手く活用する。


「……はぁ。半分食わせろ。それなら行く」


「ありがとうございます、純さま!」


 バカが釣れた。本当にちょろくて助かる。


 海斗は純を崇めるかの如く礼拝を始める。気持ち悪いからやめて欲しい。ほら、周りからの視線がゴミを見る目に近づいた。本当に不憫な子だ。


「ほら、行くならさっさと行かねえと無くなるぞ」


 そう言って、海斗の襟首を引っ張って連れていく。目的地は食堂のパン売り場。今いる教室は3階にあり、食堂は1階なので階段を降りなければならない。その上校舎からほんの少し離れた位置にある。まあ、徒歩15秒圏内だが。



 食堂に近づくにつれ、だんだんチョコホイップメロンパンが楽しみになってきていた純だった。



   □   □   □   □



 ───食堂。


限定販売というプレミアの恐ろしさが身に染みて分かった。普段、自販機ついでにパン売り場に寄ることはあるが、多少の人集りができる程度の盛況具合だった記憶がある。それが今日はどうだろうか。パン売り場どころか食堂の入口すら塞ぐほどの長蛇の列。あまりに長くて、先程下ってきた校舎の階段付近にまで達している。。



「多いな。これ買えるか?」


「いやぁぁぁあ……、絶対買いたい。この前初めて買えた時マジ美味かったんだよ」



 そんなことを言われたら食ってみたくなる。人間とはそういうものだ。多分。少なくとも俺は。



 それからだんだんと食堂に近づいていき、あと自分達の前に数人という所まで来た。


「うーん」


 海斗が背伸びをしてチョコホイップメロンパンが入っているだろう箱の中身を見る。


「あと7個かな? で、自分らの前が、1、2、3、4、5……。おお!めっちゃぴったで買えんじゃねぇか!」


 なんとか買えるらしい。隣でよっしゃよっしゃとうるさいが、確かにこれは嬉しいので許す事にする。こいつがこの事を言ってくれなかったら、俺はこのパンを食べることができなかった、いやそれどころか存在を知ることすら無かっただろう。今回は大儀であった。



 そして順番が回ってきた。


「チョコホイップメロンパンを2個ください!」



「はい、360円ね。

 ありがとねぇ」



 こうして無事に買うことができた俺達は教室へと踵を返す。背後から、「チョコホイップメロンパンは売り切れました〜」と聞こえる。


 早く食べたい。2人ともその一心で、早足になる。




 が、純は途端に歩を止める。先程の列の後方に見慣れた顔があったのだ。そしてその人は、心底残念そうな顔をしていた。





「海斗、200円払うからそのメロンパン1個まるまるくれ」



 俺が珍しくこんな事を口にしたものだから、海斗は頷くことしか出来なかった。


「お、おう……。」



 受け取ったチョコホイップメロンパンを持って、俺はその人の方へ向かった。

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