2013年【疾風】お前には、夢があるか?
「ああん? な、なんか言ったか?」
言葉を発するのも苦しそうに、坊主頭は口を開いた。
車の窓が開きっぱなしなので、大きな声を出せば聞こえるだろう。
「邪魔だから、どけっつってんだよ!」
「てめ! 誰に舐めた口をきいてやがる! おれの親父はな――」
反射的に、坊主頭は叫んできた。
だが、体力が尽きたのか、言葉尻が小さくなっていた。
「お前こそ、誰に舐めた口きいてんだよ」
すぐにクラッチを繋いでMR2を発進させる。
ボンネットにもたれかかっていた男を轢くつもりだったのに、失敗する。
勢いよく走り出したせいで、坊主頭はフロントガラスを昇っていく。そして、そのまま車の後部に落下した。
一速から二速にシフトアップしながら、バックミラーに視線を送る。
いままでMR2を停車させていた場所は暗い。坊主頭の倒れている姿が、肉眼では確認できない。
ふと、さっきの坊主頭がいったい誰なのかとようやく考えるに至った。
滅多に車が通らない山道に、徒歩で来たとは考えにくい。
おそらく車でやって来たのだろう。
怪我を負っているということは、その車で事故でも起こしたか。そういえば、白いライトバンの運転手が誰だったのか確認していなかった。
可能性として非常に高いのは、ライトバンの運転手が坊主頭の男だったということ。
なるほど。
順を追って結論を出す前に、直感で相手を敵だと判断したのか。生の感情に身を任せて、車を発進させた自分を褒めてやりたい気分だ。
と同時に、少なからず後悔もあった。
片道一車線の狭い道で、すぐさまMR2を旋回させる。
旋回と同時に車の速度を緩めていた。
その甲斐あって、道の真ん中でゴミのように転がっている坊主頭を見つけてからでも、轢かずに寸前で止まることができた。
ヘッドライトで照らされている男は、仰向に倒れている。
車内からでは、生きているか死んでいるか、よくわからない。
とはいえ、あの交通事故でも生きていたような男だ。
悪運と呼べるものが強いと考えてもいいだろう。それに、生きているのならば、疾風にもしてやれることがある。
坊主頭のために、ダッシュボードから紙袋を取り出す。
「じゃあ、行ってくるよ優子」
呼びかけても答えない彼女に、疾風からキスをする。
「すぐに終わらせるから、待っててくれ」
エンジンをかけっぱなしにしたままMR2から降りる。
道端に転がっている男は、目を開いたままだった。つられて視線を辿ってみる。
空には雲ひとつなく、満月が浮かんでいた。
綺麗な月の下、誰もがそれぞれの人生を送っていることだろう。
願い事をするように月を見上げている者もいるはずだ。疾風は昔、よくそうやって月を眺めていた。
あの頃、こんな状況がやって来るとは想像すらしていなかった。
「てめっ――ゆるさねぇ――生きてられると思うなよ」
蚊のなくような声しか出せない男を見下ろす。
疾風は紙袋に手を突っ込んだ。指先が冷たいものとぶつかる。
運び屋から足を洗う際に、巌田屋会の近藤旭日から貰ったものだ。
紙袋の中でリボルバーの感触を確かめる。
一度として使うことはないと思っていた。にも関わらず、近藤旭日から教わった拳銃の使い方は、頭の片隅に残っていたようだ。
あとは、トリガーを引くだけで発砲できる。
狙うべき場所は、レイプするような男が持っているべきではないところ
――チンコだ。
「何してやがる、おい?」
紙袋に拳銃が入っているなどと、坊主頭は想像すらしていないのだろう。突きつけられたものを振り払う力も出せないくせに、口調は強気だった。
生殺与奪の権利は、いまや疾風の指先ひとつに託された。
このまま撃っても良かったが、最後のチャンスを与えてやることにした。
「お前には、夢があるか? ある時は生かされ、ある時は殺されるような夢が?」
解答次第では、気分が変わるかもしれない。
「あるぜ。おれを見下してるお前を不幸にすることだ。おれの運転でダチが死んだみたいだけど、全部お前のせいにしてやる。それだけじゃすまさない。この体が動くようになったら、お前の女を犯してやる。全部、中に出してやる。そうだ。生まれてきた子供も女なら犯してやるってのは、どうだ? ハハハハハハハハハハハハハ」
トリガーを引いた。
銃声が響く。
耳が痛くなるような音に、心臓が掴まれたようにドキリとなった。
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