2013年【疾風】人間の根本的な部分は変わらない
頭の中で『死』という言葉を繰り返すうちに、そろそろ確かめるべきかと思った。
疾風にとって、もっとも価値のある命が、まだこの世にあるのかどうかを。
膝をついたまま車内を移動する。
眠っている優子の手に、血まみれの自らの手を伸ばす。
勇気を振り絞っての行動だ。
初めて彼女の手に触れたときよりも緊張している。
頼むから、生きていてくれ。
柔らかな手は、温かった。
顔を近づける。息をしているのを確認した瞬間、キスをした。唇を離した瞬間、叫ぶ。
「優子、死ぬなよ!」
ガラス片をカッター代わりにして、拘束を解いていく。
誰かのケツに突き刺した際に、物を切断するコツを掴んでいたようだ。優子を縛りつけるものは、すぐに取り払えた。
長居は無用だ。
さっさと『MR2』に戻ろう。
優子をお姫様抱っこして、斜面を登る。
一秒でも早く、優子を病院に連れていかないと。
最寄の病院までの道を頭に思い浮かべる。現在地がへんぴな山奥なだけあって、結構な距離がある。
救急車を呼ぶという発想はなかった。それよりも、自分が運転したほうが速い。疾風の技術を活かすのは、いまを置いてほかにはないだろう。
車に戻り、優子を助手席に乗せる。バケットシートのシートベルトを装着させるのは面倒だ。とはいえ、体を固定しておかねば大惨事になりかねない。
いまから本気で運転するのだから。
本気を出すにあたって『情熱乃風』時代のスタイルを踏襲しようと思った。
ダッシュボードを開ける。
中には、車検証のほかに、紙袋がひとつ。それとは別に、赤いサングラスが裸のままで入っている。
赤グラサンだけを取り出して、ダッシュボードをしめた。
サングラスをつけて暗い夜道を走るなど、無謀な行為だろう。そんなことは承知している。だからいつも、額にひっかけるようにして装着してきた。
かつて『MR2の赤グラサン』と呼ばれたのは、このサングラス姿が起因している。
最高の走りができたならば、サングラスは絶対にずれ落ちない。
誰に教わったでもない、自分で気づいた走りの目安だ。
運転席に乗り込むまでの短い間に、かつての最速に近かった頃の自分に戻れたような気がした。サングラスを額に装着しただけで、『MR2の赤グラサン』に変身した気分だ。
あの頃の川島疾風は、感情を加工せずに突き進んでいた。
いまの自分でも、あんな風にデタラメで形の悪い生き方ができるだろうか?
シートベルトに腕を通していく。
車に乗る度に繰り返してきた動きを、疾風は思わず止めてしまう。
ボンネットに坊主頭の男がもたれかかっていたからだ。
体のいたるところから血が流れている。MR2の車体が、醜い液体で汚されていく。
「どけよ」
生の感情が、すぐにつぶやきとなった。
自分では丸くなったと思っていたが、人間の根本的な部分はそうそう変わらないのかもしれない。
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