2013年【疾風】ただ車を速く走らせて、追い抜くだけ

 前方の車は、疾風が怪しいと睨んでいたライトバンではなかった。

 ロードスターだ。

 車体の後部に『情熱乃風』のステッカーが貼られている。同じチームによくいる、三流走り屋の典型みたいな奴だ。


 特徴がないせいでドライバーを知っていても、名前は思い出せそうにない。直線だけ元気がよくて、コーナーが恥ずかしくなるほど遅い。

 速度計に目を落とすと、時速百キロ出ていた。

 法定速度は四十キロだったと思うから、六十キロ以上は速度オーバーしている。


「――クソだな、どれだけんだよ。この直線で、たかだか百キロだ?」


 相手ドライバーの力量は把握した。

 いつでも追い抜ける。

 次の左コーナーの途中に、街灯がある。乗っている奴の顔を確認するには、もってこいの場所だ。


 反対車線にMR2を移動させながら、アクセルペダルを踏み込む。

 コーナーに突入する前にMR2のハナ先がロードスターの後輪と並ぶ。


 相手ドライバーは、いままで以上に意地を見せる。

 ブレーキングのタイミングが、ほぼ同じだ。『情熱乃風』のステッカーを貼るだけの根性を持ち合わせていたようだ。褒めてやろう。


 とはいえ、意地だけしか持っていなかった。

 それ以降の技術が伴っていない。

 ステアリング操作。ペダル操作。ライン取り。

 全てにおいて疾風に劣っている。


 コーナー入り口でMR2のケツを外側に滑らせる。

 肉眼で見えはしないものの、ガードレールすれすれをテールランプが通過しているのが、手に取るようにわかる。

 MR2のヘッドライトはロードスターのボディサイドを照らす。やがて、コーナーの角度が一番きついところになると、運転席を右側から光で貫く。


 街灯の下で追い抜かねば顔が見えないと思っていた。

 が、ドリフトをすることで、MR2のヘッドライトの光でロードスターの狭い内部が鮮明に見えた。

 運転に集中して、いっぱいいっぱいの横顔に見覚えがある。すまん、やっぱり名前はわからん。それから、助手席には女が乗っている。

 優子より乳がでかいので別人だ。


 コーナーの出口付近に来た頃には、相手は戦意を喪失したようだ。

 次の直線では、アクセルを緩めたようで、バッグミラー越しにぐいぐい離れていくのが見える。


 なんだか可哀想なことをしてしまった。

 女にダサいところを見せてしまったな、後輩よ。


 顔を見て、あんな奴もいたなぁと思った。

 疾風が『情熱乃風』を終わらせる前に、チームに入って来た奴の一人だ。山田だか山口だか山なんとかって名前の若白髪くんの相棒的なやつだったような。

 考えごとをしながらも、疾風はコーナーに突っ込んでいく。

 ドリフトは人並み以上にできるのだが、あまり好きではないので、今回はグリップ走行に徹する。

 ドリフトはあくまで曲芸の一つ。速く走らせるためには、活用するべきではない。


 自分の持論をもとにMR2を操縦する。

 六十キロオーバーのスピードでコーナーを曲がる。よく見れば、いま曲がったところのガードレールは縦に二重設置されていた。

 ガードレールに突っ込んで、崖下に落ちて誰か死んだ場所なのかもしれない。本当か嘘か知らないが、二重のガードレールは落ちたら死ぬぞという意味があるのだ。

 ちなみに、この速度でロードスターの後輩が突っ込んだら、間違いなく崖下に落ちていくことだろう。


 次の直線からコーナーに向かうまでの間に、ルームミラーに車のライトが見えることはなかった。

 どうせなら引き返して、近くのラブホに行ってちちくりあってください。


 なんにせよ、ぶっちぎれた。

 体は車を速く走らせる術を覚えている。だが、全力で走らせると粗が見えてならない。

 走り屋から足を洗ったのに、改善点を探している自分が嫌いではなかった。

 ただがむしゃらに、MR2の運転だけはストイックであろうとする。

 速く走るのは、いまの自分が果たしたいことに通じている。


 また前方に車が見えた。おそらく、ライトバンだ。

 ほどなくして、無料の高速道路の入り口が近づく。そこには信号機があるのだが、前の車は赤信号を無視して、下道を突き進む。

 疾風は信号機の手前で、一瞬だけブレーキを踏んだ。結局は信号無視をしたのだが、少しのブレーキで前の車との車間距離は広がる。


 とはいえ、そんなハンデがあったにもかかわらず、ライトバンとの距離はみるみるうちに近づいていく。

 追い抜かれまいとライトバンは必死だ。

 片道一車線の道路で、センターラインの真ん中を沿うように走っている。


 車を速く走らせるつもりもないのか、コーナーでも終始、真ん中を走る。

 ライン取りという言葉を知らないバカだ。

 進路妨害を続ける相手の追い抜き方など、いくらでもあった。


 右コーナー入り口で、MR2をアウトコースからインコースに移動させる。

 いつもどおり、ライトバンは幅寄せをしてきた。急にステアリングを切ったうえに、速度を緩めた様子もない。とはいえ、幅寄せは中途半端なものだった。

 右側に斜面があるので、ぶつかるのをおそれているのだろう。


 ライトバンのドライバーが根性なしだったから、イン側にMR2の入る隙間ができた。疾風は道路の溝にMR2の右前方のタイヤを落としながら、アクセルを踏み込むチャンスをうかがう。

 無理なライン取りと、速度オーバーのために、ライトバンはアウトコースにふくらんでいく。

 早くブレーキを踏まなければ、崖沿いのガードレールにぶつかるぞ。


 そんなことを考えながら、疾風はアクセルをベタ踏みにする。

 開いたコースから悠々と抜き去った。すでに、車に優子が乗っているかどうかを確認する気もない。

 いつの間にか、ただ車を速く走らせて、追い抜くことだけが目的となっている。


 MR2が苦もなく目の前で曲がっているからか、ライトバンは速度をなかなか緩めない。

 変に意地になるのは、よしたほうがいい。物理的に考えて、曲がるのは無理だ。


 もの凄い音が聞こえた。

 全開の窓から入って来る風の音よりも大きな音。破滅音。


「嘘だろ」


 つぶやきながら、MR2を百八十度ターンさせる。

 ライトバンはガードレールを突き破り、斜面の木にひっかかっていた。

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