2013年【疾風】譲れないものを捨てて、優子と生きていく

 自分では、やるだけやっているつもりだが、優子はそんな風に評価してくれない。

 将来のことを本気で考えていないと決めつけている。

 彼女にしてみれば、互いが互いのことを好きでなくなったときに、金すらない悲惨な状況だけは避けたいらしい。


 金を儲けるだけでいいのならば、疾風は運び屋を本職にする道を選べた。

 だが、優子が「闇の仕事はダメだ」と止めるのだ。

 そのくせ、

「シップーが老後まで安心できるような働き口をみつけないんなら、私は夜の仕事をはじめる」

 などと発言したりもする。


 矛盾していないか。

 お前が闇の仕事に手を出すのは、いいのかよ。

 こんな我侭な奴とは別れてやる。


 そんな風に言ったほうが、楽になれるのかもしれない。

 優子のムカつく発言が、頭の中でよみがえる。


『ほんと、シップーって口ばっかりだよね』


 お前が、人のこといえるのか。


『そういうところが、きらいなのよ』


 欠点を愛することのできない奴だな、お前は。


『やっぱ価値観がちがうよね。私たち、やっていけない気がする』


 同じ価値観を持つ相手がいると思ってるのか。そんな奴いたら気持ち悪いだろ。


『私はね。いつだって、シップーのことで真剣に悩んでるんだよ。あんた以上にね』


 どれだけ、悩んで苦しんでいるのか、わかっていないくせに。

 お前に何か言われるたびに、死にたい気分になってるの知らないだろ。


『いいたいことあるんなら、黙ってないでハッキリいったらどうなのよ』


 さらけ出して、否定されるのがこわいんだよ。


『男らしくない。弱音なんて情けないよ』


 それぐらいいいだろうが。

 ネガティブなことを言い尽くせば、男っていうのは勝手に立ち上がる生き物だから。地面に手をついたところで、叩きのめすように罵声を浴びせないでくれよ。


『私のために働いてるって言うけどさ。それって、私のせいって聞こえるのよね。本当は働きたくないの?』


 疾風は必要以上に金はいらないと思っている。贅沢な暮らしができなくても、優子と一緒にいれるだけで満たされるからだ。

 ただひとつ欲をいえるのならば、優子と共に生活をしながら、自らの夢を追いたい。


 一度は捨てた夢が、心の奥底でいまだに燻っている。

 誰よりも速く、車を走らせたい。


 なんともふわっとしていて、具体性に欠ける夢だと、我ながら思う。

 さて。ひとまず落ち着こう。

 優子への文句を出し切ったのならば、次のステップにいこう。


 思い出してみろ。

 楽しい日々を。

 とびっきり甘えた声で、優子がよく口にする言葉があるだろ。


『好きだよ』


 同じ意見だ。優子を愛している。

 自らの譲れない信念――夢――を捨てて、優子と生きていく道を選んだのは嘘ではない。


 人生を捧げると誓った相手を信じてみようではないか。

 優子が浮気なんてするはずがない。何かの間違いに決まっている。


 ほぼ無意識に、絶妙なタイミングでシフトアップする。

 ごちゃごちゃ考えるのは、いい加減にやめろと自らに言い聞かせるようにMR2を加速させる。

 運転中は、車を速く走らせることだけに集中しろ。昔は、そうやって峠のレコードタイムを更新してきた。

 無心になったら、いいことがあるものなのだ。


 実際に、褒美が与えられる。進行方向で、車のブレーキランプが赤く光っている。

 はやる気持ちをおさえこむ。焦りは禁物だ。MR2の能力をフルに引き出すには、冷静さは必要不可欠。

 感覚にだけ頼るな。頭を使え。

 目から入って来る情報を処理し、全てを速さに変えろ。


 左コーナーが迫ってくる。

 反対車線に車を移動させて、アウトコースからインにかけてせめていく。


 次は右コーナーだ。

 ブレーキペダルを踏み、反対車線に迫るようにステアリングを操作。


 クラッチペダルをキック。シフトダウン。ブレーキペダルに乗せている足のかかとをアクセルペダルにスライドさせる。シフトチェンジと同時に、アクセルペダルにつま先を乗せる。

 左手をステアリングから離して、シフトアップ。


 一連の動きを流れるように行った。

 ブランクを感じる。

 ペダルを踏む力をもっと繊細にしなければ。ステアリングを切るタイミングは、コンマ単位で修正が必要だ。


 反省しながら、峠道特有のストレートともコーナーともつかない道を進んでいく。

 この区間は、ステアリング操作とアクセルペダルの強弱がキモとなる。

 ブレーキを一切使わずに、走り抜けることがなんとかできた。


 感覚が戻ってきている。

 戻るだけではダメだ。かつての自分に勝ちたい。

 いまは走り屋として一線を退いてはいるものの、全盛期の『MR2の赤グラサン』を凌駕したかった。


 車を速く走らせたい。

 心の奥底で燻っていた欲求に、心も体も支配されはじめている。

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