2013年【疾風】お姉さまの名刺
「で、お客様。ご注文は?」
いつの間にか勇次はエプロンをつけていた。シャツの返り血が隠れた姿をこの店の制服と言い張りそうな面構えだ。
「そういう言葉遣いできるんだな。じゃあ、スペシャルで」
「スペシャル二つっすね」
「二つ?」
「ああ。守田もあがりだから、なんか食うだろ?」
厨房に入っていく勇次の背中が、なんだか大きく見えた。成長を感じる。
これもまた、守田のおかげだろう。
勇次と守田は、中学時代から友達付き合いしている。
一匹狼を気取り、しかも一人で大勢の相手と喧嘩をして勝ってしまう勇次は、中学生の頃から浮いていたらしい。誰もが関わるのを恐れる中で、守田だけは勇次の本質を見抜いたのだ。
自分のルールに従って、男として信念を曲げずにいるだけだと、守田は勇次の性格を正しく理解している。
勇次自身、守田に救われている部分が少なからずあるはずだ。
舐めた口を聞かれても、決して本気で殴らないことからも、心を許しているというのは、間違いない。
「むっちゃくちゃ、いい匂いがしましたよ。カレーの香りを忘れさせてくれるぐらいの、メスの香りが漂ってましたよ」
鼻息を荒げながら、守田は疾風の隣の席に腰かける。
「コーヒーショップなんだから、そこはコーヒーの香りを忘れさせるって言えよ」
守田は疾風のツッコミを聞いていない。にやけた表情のまま、饒舌をふるう。
「近くでみたら、マジで胸がでかかったですよ。店から立ち去るときに、ずっとお尻を見てたわけですが、形よかったですよ。生まれ変われるのならば、あの短いズボンになりたいです」
厨房には守田の両親がいるはずだ。にも関わらず、守田はカウンター席で自らの性癖をさらけだしている。ある意味、男らしい。
「でも、生まれ変わる前に、この人生で、さっきのお姉さまの乳を揉んでみせますよ」
「頑張れよ」
「ちょっとシップーさん。無理だって思ってるんでしょ。これでも、いまの間に連絡先を聞いてますからね、守田裕はチャンスを無駄にはしない男なので」
疾風がカレーの注文をしている間に、そんな面白いことになっていたとは。普通に感心してしまう。
「へー、凄いな。僕なんて、優子の連絡先を聞くのに出会ってからだいぶかかったぞ」
「マジですか? 車を走らせたら、あんなに速いのに、そういうところは残念ですね」
「うるせぇよ。で? 連絡先を聞いたって、電話番号を交換したのか?」
「実は、お姉さまの名刺をもらえまして」
鼻息の荒い守田が、ポケットから一枚の名刺を取り出した。
「なんか店の名前っぽいの書かれてるんですけど、どこか知ってますか? てか、漢字が難しくて、読めないんですけど――えっと、なんとか会?」
名刺を見ずとも、予想はつく。
巌田屋会――いわたやかい。
勇次とつるむぐらいだから、守田もちょっとアホなのだ。痛い目を見る前に、教えてやらねばならぬこともまだまだ多そうだ。
「これは、イワタヤカイって読むんだ。極道だから、よく覚えておけよ」
「マジで?」
疾風がうなずくと、守田は泣きそうな顔になった。店内に流れるジャズと相まって、切ない雰囲気がカウンター席に漂う。
だが、守田がジャズに歌詞をつけるかのように「おっぱい、おっぱい」と何度もつぶやきだした。
ダメだこいつ。真面目な雰囲気をぶち壊された。
厨房から皿の割れる音が聞こえて、守田はおっぱいと唱えなくなった。
結果的にナイスなことをしてくれたのは、バイト戦士の勇次だ。
「あ、そうだ。僕はまだ、勇次がバイトをはじめた理由を聞いてないぞ。夢がどうとか言ってたよな?」
守田は目の前の水を一気飲みする。気持ちが落ち着いたのか、ゆっくりと口を開く。
「実は、おれもアイツの口から直接働いてる理由を聞いたわけじゃないんですけどね。でも、長い付き合いだからこそ、夢のために動き出したとしか考えられないんですよ」
「なんだか新鮮な気分だぞ。勇次も普通の高校生みたいなところもあるんだな。ダチと夢を語りあうなんてよ」
夜中に月の光の下で、男二人が海辺で語り合っている姿を勝手に想像した。なんともロマンチック。
「実際のところ、語りあってはいないんですけどね。勇次の夢をきいたら、唖然となって俺は何もいえませんでしたから」
勇次がどんな夢を語ってきたら疾風は唖然となるだろう。一つの過程が頭をよぎる。
「もしかして、オレの夢を受け継ぐとか言ったのか?」
「ちがいま」
す、と続けずに守田は中途半端に言葉をとぎる。
「なんだよ。本当は、ちがわないんじゃねぇのか?」
「そんなんじゃありません。単に、シップーさんが久しぶりに自分のことを『オレ』って言ったことにびっくりしたんですよ」
「マジか。『オレ』って使ったかな?」
疾風は丸くなってから、一人称を『僕』にしている。それでも、テンションが上がるとついつい『オレ』と口にしてしまうことがあるのだ。
どうやら守田は『オレ』と言っている疾風のほうが好きなようだ。
いまの嬉しそうな表情で確信を持った。
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