2013年【疾風】コーヒーショップ・香
2
カランコロンという鐘が店内に響く。
チョコのような形の入り口扉が開いた音だ。
カウンター席に座る疾風は、入り口のほうに視線を向ける。
店の入口からレジまでの通路には、両面に背の高い本棚が置かれている。そのせいで通路は狭く、客は一列になって進まなければならない。
結果として、カレーをたくさん食べてくれそうなデブお断りの店になっているわけだ。
とはいえ、デブ以外でも帰る客はいる。
たとえば『コーヒーショップ・香』という喫茶店の名前に釣られて入った新規さんが、コーヒーよりもカレーの匂いが店内に充満しているのに戸惑って、引き返したとか。
その感覚は常連に通じるものがある。店名を『カレー屋・香』に変えればいいのにと思っている人は大勢いるのだから。
なんにせよ、疾風がカウンター席に座っているのを見て、回れ右したのでなければ、なんでもいい。
以前、いまの彼女の中谷優子と、元カノの久我朱美と星野里菜の三名が、この店に揃ったことがある。
肉体関係を持った相手のスリーカード。
あれは気まずかった。そういえば、三名のカレーを食ったことがあり、それぞれ味に違いがあったなぁ。
「なに、キョロキョロしてるんすか。疾風さんも、勇次に言ってくださいよ」
「カレーの味も、マンコの味も千差万別だな」
「なんの話ですか、それ?」
耳にピアスを開けた銀縁眼鏡の似合う若い男が戸惑う。ネームプレートがエプロンについてはいないものの、名前は知っている。
守田裕だ。
ちなみに、この店は守田の両親が経営している。
そのため、息子の守田裕も黒いエプロンを着て接客の手伝いをしているのだ。たまに平日の昼間でも働いていることもあるのだが、守田も勇次と同じで、高校の三年生だ。
どうやら守田家は、勉学よりも仕事を優先させる教訓があるらしい。
「つっても、いまさらいうこともねぇよ。店までの道中で説教かましたからな。こいつには、年上に怒られるよりも、同い年に何か言われるほうが、心に響くものがあるんじゃねぇのか」
椅子に座ることなく、疾風の脇で勇次は突っ立っている。反省して廊下に立っている雰囲気はいっさい出ていない。
「てなわけで、こいつがヤクザに喧嘩売るのを控えるようにガツンと頼むぜ、守田くん」
「おまえ、ヤーさんを相手にしただと?」
守田は勇次の頭をメニュー表で叩く。
「バカだバカだと思ってたけど、本当に救いようのねぇバカだったんだな」
「うっせぇ。オレの武勇伝に興味はなしか? どうやって勝ったのか気になるだろ?」
「聞かなくても想像がつく。無傷ってことは、苦戦なんかしてないってことだろ?」
守田の予想通りだ。
仮に語ったところで、あまりにも圧倒的過ぎて、面白くない話になる。勇次の喧嘩の話は、いつだってハラハラドキドキの展開に欠ける。
「と・に・か・く・だ! お前の遅刻の穴埋めに、俺はタダ働きをしてたんだからな」
「ん? 遅刻の穴埋めにタダ働きってなんだ?」
守田は目を丸くする。その横で、勇次は気まずそうにそっぽを向いていた。
「あれ? ひょっとして知らないんですか? 勇次のやつ先月の中頃からウチで働いてるんですよ」
真剣な表情で守田が言い終える。いまだにそっぽを向いている勇次を疾風は指さす。
「この勇次が接客業って。やべぇって、客を殴っちまうだろ」
「いまのところ我慢してますよ。あくまで仕事中は、ですが」
なんだそれ。
終わったあとは、殴ってるのか? 疑問に思ったが、たずねない。勇次のことを少しぐらい信じてみようではないか。
断じて、面倒そうなことは認知していないほうがいいだろうと判断したのではない。
「でもなんだって、バイトしてんだよ?」
チーン、という音が店内に響く。レジの所に置かれている従業員を呼ぶベルの音だ。
胸の谷間が特徴的な、茶髪の女性が鳴らしたようだ。長い爪を伸ばした指で、押しにくそうに、またベルを鳴らす。
「はい! ただいま参りますので、お待ちくださいませ、お姉さま!」
そういえば、守田はギャルが好きだった。
疾風も、あれはあれで有りだと思う。疾風と付き合っている頃の星野里菜は、あそこまで胸もなければ肌もこんがりしていなかったが、いまはいまで高評価だ。
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