2013年【疾風】ムカつく交通弱者
事故後もMR2は自走ができた。
いまは、パチンコ屋の駐車場の白線内で、疾風の帰りを待っている。
MR2は、リトラクタブル・ヘッドライト方式の車だ。
つまり、消灯時にはライトがボンネットの内部に埋没する。それはさながら、車が目をつぶっているようにも見える。
運転手が揉めている姿は、見てほしくないので、そのまま目を閉じていてくれ。
思い起こせば、疾風がMR2に乗り始めて、今年で九年目になる。
いまの彼女よりも付き合いが長い。そんな相棒ともいえる車の左側面が傷だらけになった。
左側のサイドミラーは折れ曲がり、ボディの下部には、黒い横線が入っている。この線の色は、ヤクザの息子が履いているブーツの色と同じだ。
おおかた、ブーツが車体をこすったのだろう。
痛々しい姿のMR2を見て、つくづく思うことがある。
どうして交通ルールというものは、一番下手な奴を基準に作られているのだろう。
「とにかく、お前には弁償してもらうからな!」
ムカつく交通弱者が叫んできた。
大声を出さなくても、聞こえる距離にいる。そんなこともわからないから、十分な車間距離もとれなかったのだろ、ボケが。
「はいはい。とにかく、弁償うんぬんの前に警察呼びましょうよ」
「ふざけんなよ。警察なんかに来られたら、親父に迷惑がかかるだろうが。最初にも言っただろ、おれの親父はヤクザなんだよ」
おれの親父はヤクザなんだよ。
それが決め台詞のつもりなのか、現代のウンコことヤクザの息子は得意げになっていた。
親父がヤクザだったら、自分自身もヤクザになると勘違いしているようだ。
お前は、ただのバカにしか過ぎない。
「だったら僕も最初に言いましたよね。警察を呼ばないと保険が使えないから、一円も払えないって」
「ふざけたこといってんじゃねぇぞ」
「いや、真面目な話ですから」
父親に迷惑がかかるといったが、どうせパパに怒られるのが怖いだけだろう。
これ以上、こんなバカと付き合っていられない。
疾風は携帯電話を取り出した。
警察を呼ぶために、『1』『1』とボタンをプッシュする。最後の『0』を押す前に、新着メールに気づいた。
もしかしてと思い、先に受信メールを確認する。
彼女の弟の中谷勇次を迎えにいっている途中で、この交通事故は起きた。
だから、勇次を待たせることになるだろうと思って、車から降りる前にメールを送っていた。
『パチンコ屋のとこで事故った。それで、遅れてる。すまん』
『いまからいく』
勇次の返信は、絵文字や顔文字の類いが全く使われていない。
平仮名を多様していることからも、勇次がおバカだというのがわかる。
素っ気ない文面を見て、警察を呼ぶのをためらう。
ヤクザの息子に視線を向けた。ヘルメットを脱いだことで、短い髪の毛があらわになっている。数ヶ月前まで野球部に所属していたようなマルコメ坊主だ。
特徴的なのは下品な笑い方。どことなく猿に似ている。とにかく偉そうで、知性も猿並みに低い。
それなのに、電話は使いこなせるという奇跡の猿。
「だから、なんべん言ったらわかるんだよ。チャンさんとちがって、お前らは本当にバカだな。パチ屋の駐車場だっての」
アホの仲間が、ここに向かっているのならば、警察を呼ぶべきではない。
どう考えても、勇次が敵と判断するタイプがやって来るはずだ。
人数がいくら多くても問題ではない。
顔を合わしただけで、喧嘩になるのが問題なのだ。
勇次は敵に容赦しない。
すなわち、警察がいたら不利になるのは勇次だ。
あいつは、絶対に『勝つ』だろうから。
最悪の場合、駆けつけた警察官さえも蹴散らすかもしれない。
警察官の数にもよるが、留置場に送られる可能性もあるだろう。
それはダメだ。
勇次の姉と結婚する予定の疾風としては、義理の弟になる男を守ってやりたい。何より未来の嫁の泣き顔を見たくはなかった。
どっちつかずの半端な優しさが、疾風から選択権を奪う。
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