情熱乃風R
郷倉四季
2013年【疾風】MR2の赤グラサン
1
ヤクザの息子を車ではねた。
相手の素性を知った上で、事故を起こしたわけではない。
むしろ、このバカと過去に五分以上喋ったことがあったならば、時速十キロ以下の速度でぶつかるなんて生易しい真似はしなかった。
四十八手を模したステッカーの貼られたヘルメットが砕けるぐらい痛めつけたのに。
それがかなわなかったとしても、事故直後に「おれはヤクザの息子だ」と偉そうに語らせはしなかった。
お前の親父がヤクザだろうがUMAだろうが、正直どうでもいい。
それでびびるようなやわな人生を川島疾風は送っていない。
なんにせよ、今日はついていない。
今年で二十七歳になるが、巻き込み確認を怠ったせいで事故を起こしたのは初めてだ。
バカのせいで、休日の午前中が潰れてしまった。
歩道と駐車場の境目に突っ立ったまま、疾風はため息をもらす。
運気は下り坂だ。
しかも、まだ底についてもいないようだった。その証拠かのように、ヤクザの息子が苛立ちを表に吐き出す。
「おい、てめぇ。バイクに詳しくないのか? エンジンがかからないんだよ」
キックペダルを何度も踏み込んで疲れたのか、ヤクザの息子は顔中汗まみれだ。
猿みたいに不細工な顔が、汗のせいで脂ぎっていて、気持ち悪さが増している。
「黙ってないで、なんとか言えよ。くそが」
いやいや、口を開いたら、お前が泣くまで暴言吐くけど、それでもいいの?
「まぁ、どうせバイクに詳しくないんだろうがな」
「はい、そうです。詳しくないですね」
自分程度の知識で、二輪車に詳しいなんて胸をはれない。
かつて走り屋だった疾風の周りには、二輪車に精通している連中がたくさんいる。
走り屋チーム『情熱乃風』のリーダー格で、県内でもそこそこ有名だけれども、それがどうした。
『MR2の赤グラサン』などの通り名で有名になったものの『二輪に自信ニキの赤グラサン』とは一度も呼ばれたことはありません。
ヤクザの息子に踏まれ続け、キックペダルはメキョッと、悲鳴をあげる。
「ああぁっ!」
アホが叫ぶのは、意味不明だ。
あくまで疾風はバイクに詳しくないけれど、当然の結果が起こったのに、騒ぐんじゃねぇよ。
そもそもキックペダルの操作は、ライダーの体重をかけて行うものだ。
そのため、スタンドを立てたままだと、スタンドの取り付け部分に大きな負荷がかかる。
そんな間違った方法をとり続けていたら、いまみたいにキックペダルが変な方向へ折れ曲がるに決まっている。
めでたくパーツ交換が必要な状態となりました。
この場で、どうにかできないと気づくと、ヤクザの息子がにらんできた。不細工な顔がよけいに歪んでいる。
もしかして、このタイミングで疾風を笑わせようとしているのか。正気か?
「どうしてくれるんだ? このバイクは借り物なんだぞ。お前のせいだ。お前のせいだからな。わかってんのか?」
「はぁ、そうですね。巻き込み確認を怠ったのがいけなかったんですよね、反省してます」
心をこめて、疾風は謝った。
ヤクザの息子にではなくて、視界の端にうつった自らの赤い愛車に対して誠意を見せたのだ。
「ごめんよ、MR2」
と、心の中で言葉を続ける。
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