第19話 だから、今もここで生きてる


 俺が落ち着くと立夏は普段通りの口調で言った。


「ちょっとだけ、昔話しても良い?」


 俺が頷くと、立夏は喋り始める。


「わたし生まれつき心臓が弱くてさ、二十歳まで生きられないって言われてたの」

「……親御さんから聞いたよ」

「それを知ったのが中学生だったってこともあったんだけど、もうぎゃんぎゃん泣いたわけ。長生きできないんだ知ってから、飽きもせず毎日毎日干からびるくらい。そりゃそうだよね、死ぬ前にやりたいこと……いっぱいあったんだから」

「……どんなことがしたかったんだ?」

「ええ、それ聞くの……まったくもう、幸良くんはスケベだなあ」

「聞かせてくれよ、その頃の立夏のこと」


 俺の真面目な顔を見て、立夏は困ったように笑った。


「そりゃあ……青春小説みたいな学園ドラマを体験してみたかったし、大人になって立派にお仕事してお金たくさん稼ぎたかったし、お化粧して可愛い洋服着て、素敵な男の人と少女マンガみたいな恋愛してみたかったし……」

「……ほう」

「……ほう、じゃないよ! 何言わせんのよ」


 立夏は照れくさそうに微笑みながら、続けた。


「わたしの身体に適合するドナーの人を待ちながら夜な夜な泣いて、好きなだけ小説読んで、ネットニュース漁る怠惰な生活してるとさ、ふと思っちゃうんだよね。明日突然最後の日が来るかもしれないなあ……って。一度考えちゃうともう生きた心地しなくてさ、面白いくらいにどんどん性格悪くなっていくんだよね。ヒステリックに周囲の人に怒鳴り散らしたり物投げたり、自傷行為だけは怖くてできなかったけど。ホント最悪な患者だったと思うよ。当然友達なんか一人も居なくて、調子の良いときは学校にも通ってたけど、ずっとぼっちだった。おまけに性格暗くてコミュ症だったから、病院で優しくしてくれるおじいちゃんおばあちゃんにも態度悪かったと思う。……今思うと黒歴史でしかない」


 立夏の表情は明るかった。もはや彼女にとっては過ぎ去った昔話なのかもしれない。

 涼やかな風が吹き、立夏の栗色の毛先が空で散らばった。

 彼女の瞳が遠くの空を見つめる。


「ある日ね、わたし自殺しようとしたことがあったんだよ」


 立夏が突然告白する。いつしかの朝、自殺について二人で話したことを思い出す。


「人の少ない時間帯に病院の屋上の柵よじ登って、飛び降りて死んじゃおうとしたんだ。ホントバカだよね。あ、これ笑い話だよ?」

「だとしたら、お前には笑いの才能が一切ない」

「ちぇ、じゃあせっかくだから湿っぽくいこっと。結局地面を見下ろした時に高所恐怖症になっちゃって、身体が動かなくなったところを看護師さんたちに保護されたの」

「それでもう懲りたってことか」

「全然。わたしも頑固なとこあるから、まだ死ぬ気ガンガンにあったよ。病室に連れ戻される間、次はどうしようって必死に新しい自殺方法を模索してた。今のわたしから言わせてもらえるなら、そのやる気を是非別方向で使って欲しいよ」

「今の立夏なら、昔の立夏を完全論破できそうだな」

「タイムマシンでもあるなら実際やりたいよ。それくらい後悔してるんだから」


 立夏は頭を抱えながら大きくため息をついた。


「それで病室に戻った後、凄い顔したお姉ちゃんが病室に飛び込んできたから、わたし自殺しようとしたことを正直に言ったの。多分お姉ちゃんの気持ちとか、なんにも考えてなかったと思う。そしたらいつも優しかったお姉ちゃんがさ、滅茶苦茶な力でビンタしてきて、『自殺なんてふざけるな』って怒鳴ってきた」


 沈みかける太陽の日を浴びた頬に触れながら、感傷的に立夏が言った。


「それでお姉ちゃん言うわけ、『あなたの苦しみを一ミリでも理解してあげたいけど、してあげられない。自分勝手なわたしの意見かもしれないけど、自殺なんて、今を生きてる人が一番やっちゃいけないことだよ』って」


 春香が言いそうなことだなと思った。春香はのんびり屋で優しい子だが、大切な誰かが岐路に立たされるような状況ではバシバシとモノを言ってくる。


「……それ、立夏、キレたろ」


 立夏が驚いた顔で俺を見つめる。


「え、幸良くん凄い。エスパーなの?」

「いや、状況とお前の性格からして推察するとな」

「ああ、思い出すなあ……健康体に生まれたお姉ちゃんにはわからないんだよ! って怒鳴り散らして二人でわんわん泣きながらもう大げんか」


 懐かしむように笑いながら、立夏は煙の上がる線香を見つめる。


「春香も……頑固なところがあったからな」

「ふふ、やっぱり姉妹だし、似たもの同士なのかもね」

「そういや春香は料理が下手だったけど、立夏は上手だよな。女子力的な意味ではまるっと逆だが」


 立夏は手先が器用だが心は不器用だ。春香は基本不器用だけど、ここぞというときの潔さはハンパない。姉妹らしく共通する部分も多いが、正反対な部分も多いんだな。


「お姉ちゃんの料理については同意するけど、そういうことお姉ちゃんの前で普通言う?」


 じっとりした瞳で立夏に見つめられる。でも、生前の春香の前でも言ってた。


「根が正直者なもんでね」

「それに、女子力ならわたしだって負けてませんけど」

「良く言うよ、Tシャツ一枚で部屋うろついてるくせに」

「う、うっさい。ホントは部屋の中でくらいずっと裸で居たいくらいなんだよ。これでも……一応抑制してんだから」

「……お前、マジか……そこまでか」


 軽く衝撃的なことを暴露されてちょっと動悸がする。驚いている俺を余所に、立夏はばつが悪そうに話を続けた。


「……そ、それでね、大げんかして泣き疲れちゃったときにお姉ちゃんがわたしを抱きしめて、『もしドナーが見つからなかったら、わたしがあなたに心臓をあげる』って言ってきたの。そんなことできるわけないじゃんお姉ちゃん生きてるんだから、って返しても、『この世に不可能なんて言葉はない。やりようはいくらでもあるんだよ。お子ちゃまの立夏にはわからないだろうけどね』とか怖いこと言ったりしてさ。結局わたしの自殺衝動を抑えるためにでまかせ言ってたのか、本気で言ってたかわからないけど」


 春香なら、本気でそう言っていたかもしれない。もう……知るよしもないけれど。


「わたしはその言葉を聞いて、もう少し頑張って生きてみようって思ったんだ。この世の中にはきっとわたしよりも重い病気にかかってる人はごまんと居るし、世界の紛争地帯じゃ子供たちが銃を持ってる。災害で死んじゃった人だっている。その人たちは迫り来る理不尽な死がすぐそこまで来ていても、一生懸命藻掻いたのかもしれない。凄い月並みっていうか……安っぽい言葉に聞こえるかもしれないけどさ、暇な時間、ずっとこのことを考えているとね、自殺しようだなんて一瞬でも思ってたことが本当に情けなくて、恥ずかしくて、逆に涙が出たよ。……後から聞いた話だけど、わたしが十二歳の頃にはドナーカードに『親族優先』って書いてくれてたらしい。我ながら、凄いお姉ちゃんだなと思うよ」


「……春香は、ずっと気にしてたよ。立夏のこと」


 立夏は知らない。春香が最愛の妹のことを想い、毎晩泣いていたことを。妹の前でだけは気丈に振る舞っているであろう彼女の姿が思い浮かぶ。


「やっぱりわたしのこと話してたか。そうだと思ったんだよなぁ。あのお姉ちゃんだし」

「どういうことだ?」

「こっちもおんなじってこと。病室で幸良くんのこと、めっちゃ話してきたよ」

「マジかよ……」

「やれ奥二重の瞼が可愛いだとか、基本人見知りでクールなのに二人だけのときは甘えてきて動物みたいで可愛いだとか……ああ、胸元にある星型のほくろがセクシーだとも言ってた」

「……よ、よくもまあ、実の妹にそんなことを」


 恋人との二人だけのやりとりを他人に聞かれることがこれほどだとは。尋常じゃなく耳が熱くなっているのは、きっと夕日のせいだ。夏のせいだ。そうに違いない。


「のろけにのろけまくってたまにウザかったけど、でも……お姉ちゃんが人生を楽しく生きてるのが……羨ましくもあり、誇りでもあったの。妹としては、やっぱり嬉しかったんだよ」


 くるりと身を翻して、立夏の赤く光る髪がふわりと舞い上がる。


「わたしね、実はお姉ちゃんからとあるお願いをされてたんだ」

「……お願い?」

「お姉ちゃんがさ、のろけついでに言ってたんだよ。『もしわたしの心臓を立夏が受け取ることになったら、わたしの代わりに幸良くんのことを幸せにしてあげてね』って。そのときは冗談だと思ってたし、相手にもしてなかった。でも、本当に心臓移植することになってからは……胸の奥がずっともやもやしてたの」


 当然だ。大好きな姉からの遺言だったとはいえ、見ず知らずの異性を幸せにしてくれだなんて、馬鹿げてる。


「心臓移植後、半年くらい経って普通の人と同じような暮らしができるようになったとき、親に幸良くんの部屋の合い鍵を渡されたの。『もし何かあったら立夏に渡せって春香から言われてた』って。拒んだんだけど、結局無理矢理渡されてずっと持ってた。……幸良くんがお姉ちゃんのことを忘れちゃったっていう話を聞いたのもそのときだった。お葬式も……来てないよね、幸良くん」

「……ごめん。行けなかった」

「ううん、いいの。けどそれ以降顔も見たことない幸良くんのことが無性に気になっちゃって。お姉ちゃんが大好きだった男の人はどんな人なんだろう、今何をしていて、どういう気持ちでいるんだろう……って考えるようになって、鍵はいつか会って返そうと思ってたんだ。まだそのときは踏踏ん切りが付いてなかったんだけどね」


 そのときは仕事に忙殺されていた。いや、自分でそういう風にしてた。他のことを何も考えられないように。


「ちょうどそのときダメ元で応募した新人賞でわたしの作品が受賞したんだ。小説家デビューすることになって、念願の夢が一つ叶ったの。そのとき気付いたんだ。やりたいことはやってみないとわからない。もし死んでたら、叶わなかったんだなって」

「その経験からか。俺の仕事の仕方に口だしてきたのは」

「そうかも。幸良くん、だいぶ人生投げやりだったからね」


 俺と出会ったばかりのときを思い出しているのか、立夏がくすくすと笑った。


「お姉ちゃんに繋いでもらった命だし、少しでもやりたいと思ったことは絶対実行しようって心に決めたのはそのときだった。憧れの職を手に就けたせいか、嬉しさとやりがいでそのときは幸良くんのこと忘れてたんだけど、ふとあの鍵を目にしたときにはやっぱり気になっちゃうしで、いつしか居ても立ってもいられなくなってて……気が付いたらあの部屋に上がり込んでた」

「その行動力は立夏の凄いところだよ。色々、粗は多いと思うけどな」

「ふふ、あのときは気持ちだけで行動してたからね。最初は居座るつもりなんかさらさらなかったんだよ。お姉ちゃんと幸良くんの同棲部屋をいっぺん見てみたくてさ」

「その時点で不法侵入だけどな」

「う……それを言われると……ごめんなさい」


 ぺこりと素直に頭を下げてくる。こういうところも立夏の魅力だと俺は思う。


「ていうか俺が帰ってくる前に引き上げろよ」

「いやあ……そのつもりだったんだけど、なんか始めちゃうと夢中になっちゃってさあ…………気が付いたらソファで寝てた。これは失敗でした……」

「とことん熱中型だなお前も。だからこそ作家とかには向いてるのかもしれないけど」

「えへへ。褒められた」

「褒めてねーよ」


 そういえば、初めて会ったとき立夏の眦は少し濡れていた気がする。


「ガチャンってドアの音がしたときに目が覚めてさ、幸良くんが部屋に入ってきたときはもうわたしもパニクっちゃって、咄嗟に頭に浮かんだのが“ここを自分の家ということにする”、だったの」

「本当に行き当たりばったりだな……」

「そうだね。幸良くんだったらもっとちゃんと計画練ってからやりそう」

「当たり前だろ。ミステリー小説もビックリな完全犯罪狙ってやる」


 奇妙なワンルームでの同居生活。俺の灰色だった日常が色とりどりの非日常へと変わったのは、俺と立夏が出会ったあの日からだった。

 偶然が重なり合って生まれた出会いだけど、それがなんだか俺たちらしい。


「とことんヘンな関係だね、わたしたちって」

「……何かが違えば、絶対に会うこともなかっただろうしな」

「そうだよね。でも、幸良くんがいてくれたから――」


 立夏が、はにかみながら言う。



「わたしは――、今もここで元気に生きてる」



 その言葉がどれだけの重みを抱えたものなのか、それは立夏にしかわからない。


「まあ元気って言っても、十二時間おきに薬は飲み続けなくちゃいけないし、副作用の影響で健康体の人より感染症とか、がんにもなりやすいらしいし、もしかしたら明日ぽっくり急死する可能性だって全然あるんだけどね。…………でもね、それでも――」



「わたしは、誰よりも精一杯この人生を楽しく生きていかなくちゃいけないんだ」



 立夏の言葉は、今まで聞いてきた誰の言葉よりも澄んでいて、潔白なものだった。

 その言葉には厭味がなかった。立夏の心の声がそのまま音になって伝わってくる。


「……あの部屋を自分の家にしちゃった手前、すぐに出て行くのも負けた気がして悔しかったから、最初は幸良くんに次の相手が見つかるまで一緒に居て、寂しい思いをさせないようにしようって思ってたの。お姉ちゃんのお願いでもあったわけだし」

「そう……だったのか」

「うん。……だからね、こんな風に仲良くなるだなんて思いもしなかった」

「……だな」

「……幸良くん、元気になったよね」

「どうだろうな。でも前よりは笑うようになった」

「もう、…………大丈夫だよね」

「…………立夏?」


 髪に隠れて、立夏の表情を見ることができない。


「……ああ、しくったなあ。本当に、人生って何が起こるか予想できない。生きるって一筋縄じゃいかない。楽しいことも、辛いことも、いっぱい……あるんだね」


 立夏の声が震えている。


「……立夏は、辛いのか?」


「うん……辛い。幸良くんのことを考えていると、たまに凄く苦しくなっちゃうんだよ」


 喫茶店でそうしたように、立夏は胸の前で両手を組んだ。


「ホントに……胸が、苦しいっ……こんなに、痛いなんて……」

「…………立夏、お前――」

「だめ! 何も言わないで。聞くだけにして」


 声を上げた彼女は大袈裟に深呼吸をすると、にこっりと笑った。それは、いつもの立夏らしい表情だった。


「お姉ちゃんの心臓で生きてるわたしは、どんなことがあっても人生を楽しく生きなくちゃいけない。これはわたしの生涯かけて付き合っていかなくちゃいけない天命なの。だから、わたしに苦しんだりしてる暇なんてない。それに――」


 前髪の隙間から綺麗な琥珀色の瞳が夕日に照らされて、きらきらと光る。


「あなたは絶対にお姉ちゃんのものだから。そこだけは、絶対に変わらないから」


 美しい涙の雫がぽろりと立夏の瞳から流れる。


「わたしが……あなたと楽しい日々を過ごすことは、間違っていると思うから」

 綺麗な白い歯をちらりと見せて、立夏は愛らしい笑顔をつくった。



「だから、もうこれ以上は一緒にいられない」



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