第15話 不細工な二人組


 週明けの月曜日、立夏が熱を出した。


「幸良くん……怖いよ、死んじゃう」

「はは、大袈裟だな。身体が正常に機能してる証だよ」


 仕事に行く準備をしながら、少し不安が残る。いつになく弱音を吐く立夏に俺は戸惑っていた。


「行かないで……幸良くん」


 立夏は涙目でタオルケットから手を伸ばし、ワイシャツの袖を摘まんでくる。


「わかった。今日は会社休むよ。ちょっと連絡入れるから待ってろ」

「ごめんね。わたしのせいで……でも不安で」

「有給消滅しまくってるしな。こんなときくらい理由こじつけて休んでやるさ。俺が居なかろうが会社なんかどうにでもなるんだし」


 不機嫌そうな上司に適当な嘘をつきまくって、俺は休むことになった。近所のドラッグストアでいくつかの熱冷ましとドリンク、スーパーで食材を買ってから家に戻る。

 扉を開けると、火照った表情の立夏がとろんとした瞳で俺を見つめてきた。


「幸良くん、帰ってきた……?」

「ただいま。にしても……えらく弱々しくなっちゃってまあ」


 玄関で靴を脱ぎながら、俺は笑みを浮かべた。

 今にも泣きそうな顔の立夏が珍しくて、俺はしれっと写メを撮った。


「ひどい。わたし病人なのに」

「これから手厚い看病してやるんだから、その前払い金だよ。感謝したまえ」

「うぐ……それじゃなんも言えない」

「それでいいんだよ、ゆっくりしてな。今おかゆ作ってやる」


 立夏のおでこに手を当ててから、髪を撫でてやる。ふにゃふにゃした表情の立夏の頬を指で突いてやると、おもちゃの人形みたいに怒り出した。


「あ、お薬飲まなくちゃ」

「薬? なんだ、病院なんかいつ行ったんだ」

「……実はちょっと前から具合が悪くて。幸良くんが出張行ってる間に」


 言いながら、立夏は重そうな身体をゆっくりと起こした。


「ああ、いいからいいから。俺が取ってきてやる。どこにあるんだ」

「……お皿を収納する二段目の棚の奥にある」

「なんでそんなとこにあんだよ」


 言われた場所を探すと、小袋があった。中にはいくつかの錠剤。


「お前はへそくり主婦か何かか」

「へへ、そういうことしたくなっちゃう主義なの」


 立夏は薬を飲んで、ベッドで横になる。


「ホントに変わった奴だな。ただの風邪なのにそこまで臆病になったり、薬隠したり」

「疲れちゃったから、もう寝るね。幸良くん……今日はわたしのワガママ聞いてくれてありがとう」

「ああ、しまった。今の言葉録音しておけば良かった」

「うう、今日の幸良くんはイジワルだ」

「冗談だよ。何かあったらなんでも言えよ。俺は配信サービスの映画でも観てるわ」

「ああずるい、わたしも観たいのに」

「うるせ、病人は寝てろって」


 立夏をベッドに寝かしつけ、音量を絞って映画を観た。後ろで寝息を立てる立夏のことが気になって全然集中できなかったが。

 立夏はときおりうなされていた。何か悪い夢を見ているのかも知れない。彼女のそんな声を聞いていると、俺は結局立夏の過去が気になってしかたなかった。立夏と話さない時間が長いと、ずっと彼女のことを考えてしまう。


 そんなとき、突然あの目眩が俺を襲った。車酔いのような感覚がすぐにやってきて、とても気持ち悪くなる。


 気が付くと、女性が隣で一緒に映画を観てくれていた。

 また、“あの幻覚”だった。


「――わたし、この映画好きだな~。特に主人公の子があそこで果物食べちゃうところ。それまでの脚本で微妙に匂わせてるところが絶妙だと思うの」

「――次は何見るー? 今日は映画三昧デーなんでしょう?」

「――うふふ、流石幸良くんだね~。映画のことになると本当に楽しそう」


 幻覚の女性の言葉は、とても既視感のあるものだった。

 ちょうど昨日、俺と立夏も同じように映画を見た。そのとき感想を語り合ったときとどうしてもシーンが被る。


 俺は、顔の見えない相手に告げる。


「君は……立夏なのか?」


 * * *


 翌朝、立夏は嘘のようにケロッと回復した。


「いやあ、ご迷惑おかけしました。立夏ちゃん、この通り完全復活しました」


 ソファに座る立夏が、少し照れくさそうに頭を下げる。


「びっくりするくらい弱ったお前を見て、俺は若干引いたぞ」

「あ、ひどーい! わたしは……その、病気に対して潔癖っぽいところがあるので、ちょっとしたやつでも過敏になっちゃうことがあるの」

「動画でも撮影しとけばよかった」

「あ、そういえば盗撮されたんだった! ねえ、消してよ幸良くん!」

「やだね、こいつをネタにして困ったときにお前を揺する予定なんだから」

「うっわ最低、自分は写真撮らせてくれないくせに!」


 立夏にそう言われて、なんだか今なら立夏と一枚の写真に収まってもいいような気分になっていることに気が付いた。

 俺はネクタイを絞めながら空いているソファに腰を下ろす。


「写真、撮るか」

「え、どうしたの突然」

「お前がうるさいからだよ。それに……今ならあんまり嫌な気持ちにならない気がする」

「……幸良くんがそんなこと言うなんて」

「ほら、早く撮ろう。俺の気が変わらないウチにな」

「え、ちょっと待ってよ! せっかくだからお化粧くらいさせてよ! すっぴん状態でカメラに入るとか女子として許されることじゃ――」

「“自然体のわたし”が最高だったんじゃないのか?」

「そ、それとこれとは話が別だよ!」

「――という隙にスキヤキ!」


 俺は声を上げると不機嫌そうな立夏の隣に身体を詰めて、用意していたスマホで自撮りを実行する。いつかの日の仕返しも兼ねているのは言うまでもない。


「化粧したときは、またそのとき撮ればいいだろ」


 立夏から身体を離すと、立夏が呆けた顔で俺を見上げてきた。


「…………び、びっくりした。ホントにどうしたの幸良くん」


 俺はしてやったりとほくそ笑み、保存された写真データを確認する。


「うわ、見てみろよ立夏、最悪の写真が出来上がったぞ」

「ちょっとぉ! ほんとそれダメなヤツだから! 幸良くんはスーツで格好良いけどわたし寝巻き姿だしすっぴんだし! 撮り直しだよ撮り直し!」

「そんな時間あるわけないだろ。んじゃ、俺は会社行ってくるわ」

「え、ホント!? あ、待って。これ今日のお弁当! 幸良くんの好きなひじきときんぴらごぼう入れといたから」


 まだ温かい巾着袋を受け取って、俺は立夏の目を見て言った。


「……いつもありがとな」

「ホントに毎日感謝してるー?」


 立夏が得意げな表情で鼻を高くする。今の立夏に昨日の立夏を見せてやりたい衝動に駆られる。でも……やっぱり少しだけ心配だった。


「……立夏、何かもし悩みがあったりしたときは……俺に絶対言えよ」

「驚いた。本当に今日の幸良くんは素直な感じだね。なんか、ちょっとだけ可愛い」

「うるさい。同棲ルールの第三条だろ。『何か相談事があったら、絶対に言うこと。一人で抱え込まない』ってお前が考えたんじゃないか」

「え、嘘……覚えてくれてたの。何、愛を感じるっ……わたしは忘れてたけど」

「お前ってホントずぼらな! 無神経! 最低だわ!」


 玄関先でこんな大きな声を出すなんて、少し前の俺からしたら考えられない光景だろう。でも、今は自然にそうしている自分がいる。立夏と言い合っているのが心の底から心地よいし、楽しい。


「じゃあ行ってくる」

「うん……あ、幸良くん」

「なんだ」


 立夏は俯いてもじもじしたかと思うと、ぱっと顔を上げて言った。


「今日はね……朝から嬉しいことがいっぱいでね……なんか幸せだった。お仕事、頑張ってきてね!」

「……お前、あんまりド直球で恥ずかしいこと言うなよな……こっちが照れるわ」

「なんでよ、わたし本気でそう思ってるんだよ」


 立夏のこういう混じり気のない純真な部分は、俺には少し眩しい。けれど、少しでも側にいたいと思ってしまう自分がいる。


「……お前も頑張れよ。気が向いたら読んでやるよ、立夏先生の作品」

「あ、これ絶対読まないやつだ」

「バレたか」


 通勤途中にスマホを確認する。画面には、驚いた顔の立夏と不器用な笑みを浮かべた俺がどアップで写っていた。

 不細工な二人組だなと、俺は頬を上げた。


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