第14話 0距離ベッドイン


 その夜、久しぶりに二人で洗面台で歯磨きをしていると、立夏が言った。


「もうひえばねうきらふん」

「ペっ、してから喋りなさい」


 言われたとおりに口内のものを吐き出してから、立夏はベッドに腰掛ける。


「幸良くんの出張中ね、君のいびきがなくて、静かすぎて逆に眠れなかったの」

「嘘だろ、俺はいびきなんてしない」


 布団に入り込みながら返事をする。こうして同じ部屋で眠るのも久しぶりだった。


「いや何言ってんの! 滅茶苦茶うるさいんですけど。録音しといてあげようか? そういうアプリあるから。寝言とかも撮れるらしいし、面白そう」

「やめい。もう遅いしそろそろ寝るぞ」

「えーだって明日はお休みじゃん。夜更かししたいよ。あとねあとね――」

「喋りたがりか」

「そうだよー、……むふふ。このー」


 突然立夏が立ち上がり、俺の布団の中に潜り込んできた。


「なっ、お前……何してんだよ」

「こっちのほうがお話しやすい」


 甘い表情で楽しそうに立夏が微笑む。そんな顔をされると、何も言えなくなる。


「……わかったよ、久しぶりだもんな」

「えへへ、やった。今日の幸良くんは優しい幸良くんだ」

「俺はいつだって優しいだろ」

「いいえ、幸良くんは基本的にはイジワルです」


 大きなタオルケットに包まれながら、うつぶせの状態で溜まっていた話題を一気に発散するように喋った。立夏は胸にぎゅっと俺の枕を抱きしめていた。


「じゃあ出張、上手くいったんだね」

「現地立ち会いをしてくれたお客さんに凄い褒められたよ、真面目でやる気があるって」

「すごい! 良かったじゃん。評価してもらえたんだね」

「うん……ていうか俺さ、今まで投げやりに仕事をしていたんだと思う。立夏が言っていた通りだったよ。たとえ好きじゃない仕事をしていたって、俺の気持ち次第で仕事への充実感はいくらでも変えられるんだ。そう思ったら、なんか少しだけ楽しく思えてきたよ、心なしかダサい作業着で社名を背負うのも悪くない気がしてきた」

「ふふ、幸良くんが満足しているのが一番だよ。でもどうしてそういう意識に変わったの?」

「それは……」


 お前と一緒に暮らすようになったからだよ、とは恥ずかしくて流石に言えなかった。


「秘密だ」

「えーなんでよう、教えてよ~」

「嫌だね」


 もどかしそうにする立夏が面白くて、つい意地悪をしたくなってしまう。


「けち! 見知らぬ女と密会していたくせに! 物にしようとしていたくせに!」

「物にするって……お前、嫌がらせか。早くもネタにしてきやがって」

「ふっふっふ……幸良くんの弱点を一つ手に入れた気分だぜ」

「お前って……本当にいつも楽しそうにしてるよな」

「それだけが取り柄ですから」


 気が付くと、暗がりの部屋が差し込んできた朝日で明るく照らされる。立夏と一緒にいると時間の経過が驚くほどに早い。


「にしてもこの部屋の有様……お前ってホント子供だよな」


 立夏のしてくれた飾り付けはまだそのままだった。明日にでも二人で撤去しよう。その作業も立夏と一緒なら楽しそうだった。


「そうかも。自分でもたまにそう思うよ、わたしは大人にはなれないなって」

「まあそうは言っても物事への考えかたとか、ときどき鋭いとは思うけどな」

「それ、褒めてるの? だったらもっと崇めよ」

「うるさい、調子乗るな」


 ぽかりと立夏の頭に軽くチョップを入れる。まんざらでもない顔をしていた。


「……そろそろ寝よっか。外、明るくなっちゃったし」

「ああ、そうだな」


 立夏のほうから切り出してきたのが意外だった。彼女は俺の布団から出て、ベッドに向かおうとする。

 俺は――気が付くと彼女の手首を握っていた。


「その、今日は……一緒に寝るか?」


 言ってから思ったが、これ、捉えかたによってはとんでもないことになり得るんじゃないか。立夏は、一体どう受け止めるのだろう。子供っぽいとはいえ、大人の女性だし……もしや。


「……うん」と素直に頭を振る立夏。

「お、おう」

「なら、せっかくだしベッドのほうで寝ようよ……一緒に」

「あ、ああ……そうだな」


 胸の鼓動が少しずつ高まっていくのを感じる。立夏が先にベッドに入り、俺がその隣を埋める。遊園地のホテルでも同じ状況になったとは言え、あのときは身体が疲れてそれどころではなかった。それに、二人でシングルサイズのベッドは狭かった。身体を少し動かすだけで相手の肌が接触する。シーツが少し生温かい。


「…………」

「…………」


 突然なくなる会話。俺たちは一言も発さないまま、明るくなりかけた天井を見上げていた。異様な雰囲気。やはり先ほどの俺の言葉が、立夏に多少なりとも影響を与えているのは間違いない。いつもの俺たちの空気感に、“男と女”が放り込まれた感じだった。


「幸良くんってさ……こういう雰囲気になるといきなり喋らなくなるよね」

「こういう雰囲気って?」

「なんか……良くわかんないけど」


 立夏も言葉にするのを躊躇っているように感じる。恋愛小説家のくせに、その辺うぶだよな、こいつも。


「一応わたしたちって成人した女と男だよね」

「え? ああ、そうだな」

「なんか面白いね。不思議……こういうのって、ありえるものなんだね」

「さっきから言葉が抽象的だな」

「わかってるくせに……このムッツリ」

「…………」

「わたしね、ちょっとだけドキドキするの…………幸良くんは?」

「す、するかよ」

「む、つまんないの」


 立夏はふて腐れたように寝返りを打って、俺に背中を向ける体勢を取った。かと思いきやいきなり振り返ってきて、俺の身体をまさぐってくる。


「ばかっ、何してんだよお前!」

「なんか、ムカついたから! ほれ、こちょこちょこちょ~」


 立夏の細い指が俺の脇腹あたりでうごめく。


「子供か!」


 俺が手を止めると、立夏が悪戯な表情で訊ねてくる。


「ねね、ドキドキした? キュンってなった?」

「こんなんでなるか! ったく……お前と……色っぽい空気になんか、なるわけないだろ」


 今度は俺が立夏に背を向ける。


「ま、そうだよね。流石幸良くん。……だから、こういうことをしても良いってことだ」


 立夏の細い手が俺の身体を背後から包み込んでくる。温かさと、女性らしい柔らかい感触が俺の背中にふわりとあたる。


「おやすみ、幸良くん」

「ああ、おやすみ」


 俺は、立夏のことをとてもずるいと思った。


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