第13話 我が家へようこそ!


 電車の座席シートに腰を下ろした立夏の隣に座ると、彼女は俺を避けるように一つ隣へ移動し、俺も負けじと立夏が座っていたシートに移動する。何度かそれが繰り返されて、結局端まで行くと移動するのをやめた。終始顔はむすっとしていた。

 立夏と二人で並んで座っても、会話をすることはなかった。


「…………」

「…………」


 こいつと一緒に居るのに、こんなにも静かなことってあっただろうか。

 立夏が機嫌を損ねている理由はわかった。でも、こちらとしても納得がいかない。本当に無実なのだから、俺だってムキになっているのだ。

 もうこうなったら、相手が口を利くまで黙っておこうと決めた。空気が悪くなろうが知ったことか。

 立夏がサプライズで空港まで迎えに来てくれたことが嬉しかったし、何より五日ぶりに顔が見られて俺は内心ほっとしていた。こんな不機嫌な態度を取られたところで、その気持ちが帳消しになることはない。俺は、仲直りがしたかった。

 顔を俯ける立夏を覗き込む。


「まだ泣いてるのか」

「……泣いてない」


 素っ気ない対応の立夏。アイメイクが落ちて結構悲惨なことになっていた。


 ――彼女ならそうだって言ってよ、そしたらわたしはあの家を出て行くから。


 さきほどの立夏の言葉がずっと胸の中でこだまする。

 こいつ、俺と一緒にちゃんと家まで来るよな? このままどこかに消えたりしないよな? という不安がやってくるのと同時に、俺は立夏がなぜ“春香”という偽名を使っているのかずっと考えていた。

 出会ったばかりのときに立夏が言ったように、俺たちは恋人同士だったのだろうか。だとしたら、どうして俺と立夏にはその頃の記憶がないのだろう。ときおり見ることのある幻覚の女性は、立夏なのだろうか?


 ずっと奇妙だった俺と立夏の記憶のほころびが、顕著になってきている。

 もしかすると、立夏は何か嘘をついているのかもしれない。彼女にあのプリクラを見せて問いただせば、何かわかるかもしれない。

 でももし立夏が隠している秘密を俺が知ってしまうことで今の距離感が壊れてしまうくらいなら、俺はそんなの聞きたくない。だけど、悶々とする居心地の悪さはずっと胸に残り続ける。気持ち悪くて、早く解放されたいジレンマに陥る。


 ……一体、俺たちの間に何があるっていうんだ?


 * * *


 最寄り駅に停車してからも、立夏はちゃんと俺についてきた。

 この場合、怒っているのは立夏のほうなのだろうが、俺はなぜか叱られてしょげている犬を連想した。


 俺が鍵を開けて扉を引くと、少し離れて様子を見ていた立夏が突然俺を突き飛ばして部屋の中へ突入して行った。


「痛ってえな……何するんだよ」

「は、入らないで!」

「お前今更何言ってんだよ……ここは俺の家でもあるんだぞ」


 スーツケースを玄関に入れ込み、五日ぶりの我が家を見渡す。


『ハッピーお帰りなさいデー! ようこそ我が家へ、幸良くん!』


 手書き文字の大きな垂れ幕が、俺の視界の中に入る。その周辺には小学生のとき良く目にした、折り紙を丸めてリングにしたものが部屋の至るところに飾り付けられていた。


 俺はこれを準備したであろう立夏にチラリと目を向ける。彼女は顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにしていた。その姿を見て、俺は突然今の空気が馬鹿馬鹿しくなった。


「あっはっはっはっはっは!」

「ちょ、ちょっと! 何で笑ってんの」

「なんだよ、ハッピーお帰りなさいデーって。意味不明な造語作りやがって」

「ひどい! い、意味不明なんかじゃないもん、幸良くんをお出迎えしようっていうわたしの慎ましやかな優しさが込められてるでしょ、この手書き文字に!」

「文字の配分バランスがおかしい、後半文字小さくなってるじゃん。もっと上手くやれよ」

「続けてひどい! あんまり細かすぎると嫌われるよ、このわたしに!」

「あれ、もう嫌ってるんじゃ? さっきまでいくら声かけても返事返ってこなかったし」

「そ、そうだよ。幸良くんなんて……嫌い!」


 立夏は面白いぐらいに頬を膨らませると、トイレに駆け込もうとする。その一瞬を見逃さず、俺は立夏の手首を掴む。


「おいまたか、お前キレるとなんでトイレ直行すんだよ。また深夜に水流し続けるつもりか? あれに一体なんの意味があるっていうんだよ、花子さん」

「なっ、またその名前で呼んだな? まったく……こっちはシリアスモードなのに」


 振り返りざまに睨んでくる。拗ねた子供のような表情だった。


「……悪かったよ、ヘンな意地張ってた。でも信じてくれ。あの人はなんでもないよ」

「……わたしのほうこそごめんなさい。本当は……わかってたの。でも、なんか引っ込みが付かなくなっちゃって」


 しおらしい表情で頭を下げる彼女に、俺は一つだけ質問してみたくなった。


「……もし、本当にあの人が彼女だったとしたらショックか?」

「は、はあ? バカじゃない? ていうか、よくよく考えてみれば別に幸良くんに彼女ができようがわたしにはなんの関係もなかったわ。ていうか、逆にせいせいするかも。ふん、さっさと彼女でも作ったら? モテない幸良くん」


 そんな風に虚勢を張る立夏に、俺はつい表情がにやけてしまう。


「ふふ、そういうこと言うなよー」

「うわ……何? 凄い気持ち悪いんだけど、今の幸良くん」


 ゴミを見るような目で蔑まれてしまったが、何はともあれ俺たちはもう一度お互いの目を見て、笑顔になることができた。


「お、おかえり……幸良くん」

「ただいま、立夏」


 やっぱり俺とお前はこの空気間が心地よい。

 たとえ俺と立夏にどんな過去があったのだとしても、何か理由があってそれを隠しているのだとしても、別に構わない。今の立夏が立夏であれば、なんの問題もないじゃないか。


 俺と立夏が今こうして楽しく生きられているのであれば、それで。

 ……ただ、幻覚の存在だけはやはり気がかりだった。


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