第11話 知らない写真
「じゃ、言ってくるわ」
長旅用のスーツケースを片手に、もはや言い慣れたその言葉を同居人へ伝える。
「あーあ、本当に行っちゃうのかあ……」
立夏は明らかに肩を落としてしょんぼりしていた。その姿は、表情も相俟ってなかなかに可愛らしいものがある。
「なんだよ、俺が居ないことがそんなに寂しいのか」
いつものようなノリで、俺はおどけてみせた。これで立夏は元気な反撃をしてくるはずだ。そっちのほうが彼女には似合っているのだから。
「寂しいよ」
立夏は下がり眉のまま、じっと俺の目を見つめてくる。そんな彼女の頭をぺちんと叩いた。
「もっと元気な顔で送り出してくれよ、それがお前の取り柄だろ?」
「……ん、そうだね」
「夜には連絡するよ。たった五日間だけだ。金曜の夜には帰ってくる」
「うん、わかった! 待ってるね。気をつけて行ってらっしゃい、幸良くん」
立夏はさっきまでとは打って変わり、子供が親を見送るような純真さで大きく手を振ってくれた。その彼女らしい陽気さに、つい顔がほころぶ。
「それで良いんだよ」
スーツケースを引きずりながら、一つ言い忘れていたことに気が付く。
「あ、そうだ。部屋、ちゃんと掃除しろよ。帰ってきて汚れてたら罰ゲームだからな!」
* * *
月曜日の朝から現場作業が始まることとなった。ダサい若草色の作業服には社名がしっかりと印字されている。以前はこの作業着を着るのが死ぬほど嫌だったし、現場の空気というものがとにかく自分には合って居ないものだと思っていた。しかし、心なしか今日はそういった気分にならなかった。
現地の作業員たちと初めて顔を合わせ、本日の作業内容を説明しながら、ふと気が付く。声のトーンが新入社員時代の頃のようなはきはきしたものに戻っていた。
作業員たちも、くたびれた顔から次第に表情を引き締めていく。溢れる俺のやる気を感じとってくれたのかもしれない。それが少し嬉しかった。
要は気の持ちようなのだろう。最近は立夏と一緒に居ることで俺の日常はとても充実している。だからきっと仕事にまで精が出るのだろう。
夜にはホテルに戻り、その日仕事で起きた大変だった出来事や笑えたことを立夏に伝えた。こんなにも自分の話を聞いて欲しいと思ったことは初めてだった。
三日目の作業が終了し工程も半分を超えたころ、作業員たちに飲みに誘われた。仕事で関係を持った人たちとの飲みが楽しいと思えたのは、実に久しぶりだった。
そんな風に歓楽街の居酒屋を転々としながら夜の街を歩き回っているときだった。
「あれ、もしかして幸良……? 嘘だろ、なんでここに居るんだ?」
俺の数少ない友達と言える男、悠人と偶然再会した。
作業員たちと別れ、俺は悠人と二人で居酒屋に入った。彼とは幼稚園から中学校まで一緒だった。俺は工業高校に進み就職し、悠人は進学校を卒業して大学へ進んだ。
悠人は就職した会社で出会い、社内恋愛の末に婚約したばかりの恋人の話をしてくれた。婿養子になる予定らしく、現在は相手方の地元である福岡に住んでいるというのだ。
五年前の成人式の日に合って以来の久しぶりの再会で俺たちは気分が上がっていた。悠人と彼女の恋人について色々なことを聞き出そうとする俺。酔っ払うとなんでも聞きたくなる性分なのかもしれない。
ビールジョッキを仰ぎながら、悠人がけらけらと笑った。
「お前、こんなに返しが上手いやつだったっけ」
「やっぱお前もそう思うか」
「自覚あんのかよ」
悠人は自分ののろけ話はそこまでにして、にやにやした笑みを俺に向けた。
「――で、幸良のほうは?」
「何がだ?」
「決まってんだろ。エロい話だよ。彼女は?」
「そんな浮ついた話はないぞ」
「嘘つくな。居ただろ、あの綺麗な子」
「いや、マジで居ないって。むしろ……彼女なんて居たことがない」
若干恥ずかしい気持ちになりつつも、告白する。
「はあ? 何言ってんだよ、成人式のときの打ち上げで写真見せてくれたじゃん……って言っても五年も前だもんな、流石にもう別れたか」
「……何、言ってんだ」
「それはこっちのセリフだぞ」
悠人が嘘を言っているようには見えなかった。だが、話が噛み合わない。
そこで俺は悠人の言う綺麗な子と立夏を直感的に結びつける。立夏と出会ったとき、あいつの私物が部屋から大量に発見された。それなのに、俺たちはお互いのことを一切知らないという奇妙な状況だった。
かつて立夏が言っていた、“自分たちは恋人同士だったのかもしれない”という可能性――もし考えられるのだとしたら、それであるような気がした。根拠は何もないが。
立夏のことと、俺と彼女がお互いに記憶喪失になっているかもしれない件については、伝えないほうが良いだろう。そもそも、俺が自分で説明できない。
「なんだっけ……ほら、春っぽい感じの名前で……」
「…………暑そうじゃなくて?」
もし立夏なのだとしたら、春っぽい感じなんていう印象にはならないだろう。ぬぐい去れない違和感を覚える。
「お前も酷いよなあ、いくらなんでも別れた彼女のこと頭から消し去らんでもいいじゃん。つーかあのときの写真見れば解決じゃん、残してないの?」
「写真……」
一瞬だけ、視界がぐにゃり歪んだ気がした。そして、唐突に吐き気を催す。例の車酔いのような気持ち悪さがまたやってきた。口の中が唾液でいっぱいになる。
俺はスマートフォンを取りだし、悠人と一緒に保存されている写真データを確認する。俺は必要最低限しかカメラ機能を使わない。最近写真を撮ったことを思い出して一瞬どきりとしたが、この間撮影したときは立夏のスマートフォンだった。だから見せても恥ずかしいデータなどない。
「あ、これこれ! ほら、この子だよ」
悠人が指をタップすると、画面一面に一枚の写真が広がった。
それは一枚のプリクラデータだった。
「…………なんだ、これ」
そこには、“ゆきら”と頭の悪そうなフォントがでかでかとあり、過剰なバーチャル整形を施された俺の姿があった。幸せそうに笑っていて、まるで俺でないみたいだった。隣には今より少し髪を伸ばした立夏が瞼を線のように細めて笑顔で映っている。
しかし――そこには“春香(はるか)”という名前が書かれていた。
俺は……この写真を見たことがない。
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