第10話 0距離ホテルーム
日が沈み、オレンジと紫が混ざった幻想的な空は少しずつ暗闇の色へと変わっていく。
「わー、いつのまにか真っ暗になってる」
「もう人気アトラクションはほとんど制覇しちゃったよな、あと乗ってないのどれだ」
俺たちは二人でマップを開きながら指を差し合った。結局閉園時間ギリギリまでアトラクションを回りまくり、この遊園地を一番楽しんでいるんじゃないかというくらいにエンジョイしてしまっていた。夢の国は恐ろしい。
「はー、もう足の裏痛いよー。ひいー」
「最初の立夏のはしゃぎようは凄かったからな。むしろ良くスタミナ持ったな」
「幸良くんだって、途中からわたしを置いてあっちこっち走りまくってた! 夜のパレードの穴場スポットまでネットで検索しまくってたくせに!」
「やるときはとことんやるんだよ、俺は」
「ふう~疲れたけど楽しかったね! 今日はもうホテルで休も! 夢だったの、遊んでそのまま併設ホテルに直行するの」
「まあ滅多にできることじゃないな。金かかるし。そういう意味じゃ今回は立派な旅行だった」
「もう、雰囲気ぶち壊しだよ! この、おバカさんめ!」
「お前疲れ過ぎてテンションおかしくなってるぞ、わはは」
「それは幸良くんもだろー! あはは」
俺たちは夜の空の下でバカみたいに笑い合いながら、予約したホテルへと向かった。
煌びやかなロビーで鍵を受け取り豪華なエレベータに乗り込んで、目的の部屋に鍵を差し込む。扉を開けると、まさにそこは夢の部屋だった。
「きゃ~、すごーい! お姫様の部屋みたい」
立夏が巨大なダブルベッドに飛び込む。予想通りの動きをするやつだ。
「こら、ジャンプするな。良くそんな元気が有り余ってるな」
「疲れてるけど、興奮するものはするの」
立夏の笑顔を見ていると、自然と俺も笑みがあふれる。こんなに疲れているのに。
「それより、本当に部屋は別にしなくて良かったのか? せっかくの旅行なのに」
「いつも家で一緒なのに、なんでこういうときだけ別れようとするわけ?」
「いや、まあ確かにそうなんだけどさ」
シングルベッド二つの部屋は数が少ないのか、予約がいっぱいだった。というか、奇跡的にダブルベッド部屋が空いていただけだ。
時刻は深夜十一時前だった。まだ早いとはいえ全身の疲労は凄まじい。
「もう寝るか?」
「んー……お酒でも、飲まない?」
「酒? お前飲めるのか?」
「ううん、あんまし飲めないけど、それは幸良くんも同じみたいだし」
俺たちはルームサービスを取って、多少のアルコール類とつまみを注文した。ホテルマンが豪勢にテーブルごと用意してくれたのだが、立夏はテーブルのキャスターを動かして、ベッドの下部に引っ付けた。
「ね、ベッドの上で飲も」
「行儀が悪いな」
「今日くらいいいのー」
「ま、いいか。夢の国だし」
グラスの三分の一もいかないくらいで、俺の体温は上昇し、身体に熱を持ち始めていた。顔が赤いのは当たりだとしても、手のひらまで真っ赤である。
「わー、ホントだあ。幸良くんってホントにお酒弱いんだねえ、顔真っ赤だよ~」
「お前だって似たようなもんだぞ。なんか、全体的にふにゃふにゃしてる」
「ふにゃふにゃ……? ふにゅあー」
「痴態晒してんじゃねえよ」
猫撫で声でそんなことを言いながら、耳を赤くさせる立夏。こいつも大分弱いらしい。
「んふふふう……幸良くん……んふふふふ」
「何がおかしいんだよ、お前は魔女か。水……飲むか?」
冷水の入ったグラスを立夏に向けてやる。じろりと睨まれて、ぷいと顔をそらされる。
「……なあに、わたしとお酒飲むのつまらないの!?」
「お前の外見がオッサンだったら、それめっちゃ嫌われるやつだからな。覚えとけよ」
「オッサンじゃないもん、わたし結構可愛いもん!」
「いやそりゃわかってるけども」
「あー、今幸良くんわたしのこと可愛いって言った! わたし聞き逃さなかった」
「ちげえよ。お前の外見がオッサンじゃないって事に関して――」
「ねえねえ、もっかい言って!」
「はは、話聞いてねえなこいつ」
大層楽しそうに酔っ払う立夏の相手をしながら、俺はちびちびとアルコールを口に含む。これほど愉快な酒の席は人生で初めてだった。
「ふふ、今日は楽しかったなあ。わたしね、実は遊園地って初めてだったんだ」
立夏は枕を胸に抱きながら、とろんとした瞳で言った。
「マジか、立夏好きそうなのに」
「小さいときは身体が弱かったから、普通の子供みたいに遊ぶことってあんまりできなくてさ。学校とかも休みがちだったし……だから憧れてた。こういうこと、ずっとしたかったの」
「へえ、今のお前からじゃ考えられないけどな」
だからあのはしゃぎっぷりだったのか。それにしても、立夏が病弱な子供だったというのがなかなか衝撃的だった。生命力に満ちた元気の塊みたいなやつなのに。幼少期の立夏は、一体どんな感じだったのだろう。
「だからね、今までのわたしの人生の中で今日って一番楽しい日だった」
潤んだ瞳で、立夏が俺の顔をチラリと見てから言った。
「いくらなんでも大袈裟だろ。病弱って言ったって、大人になってからは平気なんだろ? 友達と来ようとか思わなかったのか」
「わたし友達居ないからね」
「嘘つけ」
「本当だよ、もしかしたら幸良くんだけかも」
「俺への当てつけか? でも残念だったな、俺にだって友達の一人や二人は居るぞ」
「幸良くんって友達と一緒のときってどんな感じなんだろー、気になるなあ」
けらけらと笑う立夏。それから、会話は雑談へと変わっていった。
「そういえば、最近は立夏の化粧姿を見る機会が多いな」
「おっ、ときめいちゃってる? お兄さん」
「うぬぼれんな。見慣れてないだけだよ、基本お前って毎日すっぴんじゃん。その……抵抗はないのか? 男と一緒に居るのに、素顔を見られること」
「別に? なんで?」
「良く言うじゃん。彼氏の前ですっぴんなんて見せられないっていう女性」
「幸良くんはわたしの彼氏なの?」
「いや、違うけどさ。気にならないもんなのかなって」
「別に他人からの評価なんてどうだって良いし。わたしはわたしだし。自然体のわたし最高」
立夏はシーツを引っ張ったりしていじくりながら、言った。
「……そういや最近、風呂場で鼻歌歌わないよな」
「や、何聞いてんのよ変態!」
「普通に聞こえるだろ……部屋の狭さ考えろよ」
「ていうか何、今日の幸良くんは色々と聞いてくるな……」
言われて、確かにと思った。今まで立夏のことをあまり聞くことがなかったせいだろうか。
「幸良くんってさあ……お風呂覗こうとかって思わないの?」
「いきなり何言ってんだ……」
「いや、男の子ならそう思うのかなって思って。幸良くん、おっぱい好きそうだし」
「それ完全に誤解だから」
「じゃあわたしが触らせてあげるって言ったら?」
どくんと大きな鼓動が胸の中で暴れる。それは、あまりに強力なワードだった。
「…………は、はあ?」
「ほら、今ちょっと悩んだでしょ。ふふ、このムッツリスケベめ」
試されているようで少し腹が立った。俺だって男だ。内に秘めた性欲は尋常じゃないだぞ、本当だぞ! ……というくらいの心意気で立夏を睨み付けてやる。
「……そ、そうだよ。巨乳が好きで何が悪いんだよ」
酒が回っているせいか、いつもだったら絶対に言わなそうなことを口走る。
「あ、本性が出た、やっぱりムッツリだ!」
「違う。そういうことは言う必要がないと思ってるだけだ」
「……理想のカップサイズは?」
「F以上に決まってんだろ、ふざけんな」
「あはは、マジウケる」
それから俺たちの会話は少しずつ色っぽい雰囲気のものになっていった。きっとしらふだったら絶対にしないようなものだ。思考がふわふわで判断力が散漫になっていたに違いない。
「――立夏の好きなタイプは、どういうやつなんだ」
「えー……あんまり考えたことないかも。わたしが好きになった人、かな」
「そういうガッカリ回答じゃなくて、顔とか性格とか色々あるだろ」
「ふふ、ガッカリしたんだ。ホントに今日の幸良くんってばグイグイくるよね。面白いんだけど」
「俺も自分でビックリしてる。さあ、さっさと答えてくれ」
「さあって……ふふ、そうだなあ……顔の造形は割とあんまり気にならないかな。でも清潔感は欲しいから、ちゃんとお髭剃って、洗顔して安物でいいから化粧水までやってくれてればなんの文句ない」
「性格は?」
「それも得に要望ないけど、面白い人がいいな。お話ししてるだけで一緒に笑えちゃう人」
「体型は?」
「健康的な肉体してる人は見惚れちゃうかも。言っとくけどね、男の人の筋肉って神秘だよ、最高なの。その点幸良くんは全然ダメ、0点。いや、マイナス20点かも」
「待ってくれ、それは聞き捨てならない。流石にマイナスじゃないだろ、ほら、見てみろよ」
精一杯の力でぐっと曲げた右腕を維持する。若干ぷるぷるする。すると立夏は俺の力こぶにそっと触れる。ジェットコースターに乗っているときに絡めた立夏の細い指を思い出す。
「……ぷっ、可愛いこぶだね。わたしのほうが硬いかもなあー」
「そんなわけあるか、バカにするな」
「どうかなー、在宅だからってのもあるけど、健康には気を遣ってるんだよ。週に一回は筋トレしてるもん。ほら、ここ触ってみなよ」
白い肌が剥き出しになり、それが俺の目の前で震えている。
「……触っても、いいのか」
「ちょっとやだ、そういうのいちいち確認するのやめてよ!」
「いや、だって」
「ばか! いいからほら、もう力入らなくなっちゃう」
遠慮しつつも彼女の肌に触れる。冷たくて、柔らかい。雪見だいふくみたいだ。
「……ふにふになんだが」
「幸良くんのせいだよ、おかしなこと……言うから。ヘンな気分になっちゃったでしょ」
「…………ヘンな気分」
「復唱すんな! 演技に決まってるでしょ、本気で受け取らないで!」
肩をぺちんと叩かれ、俺たちは笑い合った。時刻はいつの間にか深夜の二時を回っている。時間の早さに素直にびっくりする。
「そろそろ寝るか」
「そだね」
ベッドの上に散らばった物を片付けながら、今夜俺は一体どこで寝れば良いんだという事柄が頭の中で巡り始める。
「わたし右側がいい」
立夏がそう言ってくれたことで、俺の寝床は決定するのだった。
いつものように並んで洗面台で歯磨きをしてから部屋の照明を落とし、同じベッドで天井を見つめる。改めて思う。俺と立夏は良くわからない関係だ。ロクに相手のことを知らないのに、同じベッドで眠っている。
「眠れそう?」
立夏が眠そうな声で訊ねてくる。
「瞼閉じて数分もすれば簡単に落ちそうだ」
「なーんだ。ドキドキしたりしないのかあ」
「しないね、それよか全身が悲鳴をあげてる」
「ふふ、でもわたしも一緒。今日はいっぱい動いたもんねえ」
「……そうだな。まさかお前と遊園地に来て一緒のベッドに眠ることになるとはな。この間までの俺からしたら……考えられなかっただろうな」
「ふふ、だね。最初の幸良くん警戒心凄かったもん。犬みたいだった」
「立夏はフレンドリー過ぎる。いきなりおかえりーって言ってきたときはこいつマジかって思ったぞ。俺が危ないやつだったらどうするつもりだったんだ」
「心配してくれてるの?」
「いや、まあ……この場合はそうなるのか」
「ふふ、ワンちゃん、良い子良い子」
布団をもぞもぞさせて、立夏が俺の頭を撫でてくる。身体が疲れているせいか、抵抗する気力があまりなかった。子供扱いされているようであまり面白くはなかったが、なんだか気持ちよくて、ぐっと睡魔がやってくる。
「幸良くん、髪の毛さらさら」
「……そうなのか」
「うん。触ってるの気持ちい」
その言葉がなんだかとても色気のある言葉のように思えて、俺の心臓が静かに反応する。そのまま俺はされるがままの状態で、立夏は撫でる手を止めなかった。
「出張、頑張ってね」という声が聞こえたときには、もう俺の意識は朦朧としていた。
でもとりあえず仕事は頑張ろうかな、と思えた。
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