第7話 幸良くんはおっぱいがお好き?
「おそーい!」
「…………ごめん」
仁王立ちをした立夏がエプロン姿で出迎えてくれた。しかし、頬をむくれさせている。
「上司に飲み会に誘われて、断れなかったんだ」
「それならそうって連絡してよー! ご飯作って待ってたのに。てかお酒クサいっ」
大袈裟に鼻を摘まみながら、立夏が顔をしかめた。
「そう、それ。そもそも俺たち連絡先交換してなかったんだよな」
「あ、そっか。むう……じゃあしょうがないか。あとで教える。ご飯は冷蔵庫入れとこうか」
「いや、食べるよ。せっかく作ってくれたんだし」
「でもお腹いっぱいでしょ? 無理しなくていいよ、食べ過ぎは身体に悪いし」
「大丈夫。ほとんど水分しか取ってないから。……準備、してくれるか?」
部屋に上がりながらネクタイを緩める。立夏は頬を上げてキッチンに向かっていった。
やがてテーブルに運ばれてきたお盆には、三色揃ったバランスの良い品々が並んでいた。常にコンビニ弁当だった俺からすると、とても健康的な生活をしている気分になる。
「なんか、栄養士の食事みたいだな」
「ちゃーんと食事バランス考えてますから。身体はご飯で作られるんだよ」
「そういうところ、しっかりしてるよな。基本的にがさつなのに」
「聞こえてるぞ、幸良くん!」
二人で並んで食事をしながらの会話は、俺が参加した飲み会の話になった。
「幸良くんってお酒強いの?」
「いや、下戸」
「ふふ、かもなって思った。普段しっかりしてるのにそういうところでダメなのって幸良くんっぽい」
「どういう風に見られてるんだか。お、この野菜炒め美味いわ」
「え、嬉しい。ご飯の感想とか言ってくれるんだ」
不意をつかれたような表情をする立夏。昨日はなんだかんだでちゃんと伝えていなかった気がしたというのもあるけれど。
「普通に言うよ。マズくても普通に言うけど」
「うっ……が、頑張ります。で、その嫌な上司はなんて言ってたの?」
「ああ、彼女できたのかって」
「できたの?」
「できてたらお前なんか速攻追い出してるわけなんだが」
「あはは、だよね」
笑いながら、立夏は正しい箸の持ちかたで上手にほうれん草を口へと運ぶ。子供の成長を見守る親というのは、常にこういう気持ちなのだろうか。
「他には? なんか色々追求されてそうだけど」
立夏の身体にチラリと目を向ける。俺は下世話な話があまり好きじゃない。厳密には、人とそういう話をするのが苦手なのだ。
「その……胸が大きいのかどうかとか、聞かれた」
「あーゲスい感じだ。てかそれセクハラじゃん。なんて答えたの?」
「彼女は居ませんでなんとか乗り切った」
「幸良くん、おっぱい好きなの?」
「…………は?」
「いや、なんかさっき見てたから。わたしの」
けろりとした表情でそんなことを言ってくる。俺の耳が途端に熱を帯びる。
「み、見てない。それに……せめて胸って言えよ」
「え、なんで? 耳……赤いよ。ていうか何恥ずかしがってんの?」
「恥ずかしがってなんか……ない」
「……ちなみに、大きいと思う?」
「し、知るかそんなこと」
「ふふ、さては君ムッツリだな。うぶだねー、年上のくせに。男の子ってホントにおっぱい好きだよねえ、こんな脂肪の塊のどこが良いんだか」
自分の出っ張った部分を見下ろしながら、立夏は楽しそうに言った。このままではマズい、と俺は話題を変えるために、テレビを付けてみる。今人気のアイドルが画面に映し出された。
「そういえば、幸良くんってどういう子が好きなの?」
その質問が恋愛的な意味合いの問いかけであることに気付き、俺は少し戸惑う。
「優しい人かな」
「顔のタイプは? あのアイドルの子とか、どう?」
「悪くは……ないけど」
「恋愛界隈の話になると途端に口数減るね。面白い」
悪戯な笑みを浮かべて、立夏がこちらを見つめてくる。俺はつい顔をそらした。
「別に、そういうわけじゃない。ただあんまりしたことがないだけだ」
「わたし、一応恋愛小説家だからさ、男性の恋愛感情とか知りたいんだよね。だから教えてよ、幸良くん。今好きな人とかって居ないの?」
「居るわけないだろう。会社と自宅の往復しかしてないんだから」
「……昔は? 過去に付き合ったことがある人とか」
「いるわけ――」
その瞬間、あの飲み屋で見た幻覚が頭を過ぎった。
「そういえば……ヘンな幻覚を見た」
「幻覚……? 大丈夫なの」
「昨日ご飯食ってるときもそれっぽいのを見たんだ。女の人に声をかけられたというか。今回は背中をさすられたような……気がする」
「そういえばあのとき具合悪そうだったよね、今の具合は?」
「いや、今は平気。本当にそのときだけって感じで……」
「何それー、酔いつぶれて夢でも見てたんじゃないの? あまりにも彼女欲しいもんだから理想の彼女を創りだした的な」
「そこまで夢見がちじゃない」
「夢見がちだよ、男性って女性に夢を見てるところあるもん。もちろん幸良くんもねー」
立夏はにやにやしながら香ばしい匂いの焼き魚を頬張る。ちょうどテレビ画面に映っているアイドルが、視聴者に向けて愛らしいウインクを飛ばしてくる。実に完成された角度だった。
「男の人はこういうわかりやすいのが好きでしょ」
「女だって、男性アイドルのウインクは好きだろ」
「あ、確かにそうかも……そだ、幸良くんちょっとウインクしてみてよ」
突然ふられたが、恋愛から話が逸れたのでこちらとしては都合が良かった。茶碗を片手にパチリと片目を閉じてみる。愛らしさのかけらもない業務チックなものだった。
「えー、凄い。なんなの? 幸良くんアイドルなの?」
「誰でもできるだろ、こんなこと」
「ところがどっこい。わたしできないんだよね」
「普通に片目閉じるだけだろ。できないってどういうことだ」
「じゃあ行くよー、ほら」
立夏は両の瞼をぴくぴくさせながら、隙間から白目を見せつけてくる。
「……何してんだ。ふざけてんのか?」
「ひっど! これがわたしにとっての精一杯のウインクなんだってば!」
「ふっ、なんだよそれ」
凄く久しぶりに笑ったような気がした。人付き合いで作る笑顔じゃなくて、ふとした瞬間に訪れる自然な笑み。一人でいると、なかなかそういう風になることはない。
「本当に不器用なんだな、お前」
「そんなところも可愛いでしょ? っていうか、幸良くん笑ったね。初めて見たかも。結構可愛い笑顔だったよ」
立夏は瞳を細め、優しい表情でにっこり微笑んだ。
「そういうこと……平気で言うなよ」
「なんでよ、言葉の通りじゃん。幸良くん、いつも死んだ魚の目みたいだし。あ、ちょっと褒めたからって俺のこと好きなんだろとか勝手な勘違いしないでよ、表情への評価をしただけなんだから」
「するか、別に全然なんとも思ってない」
「むふふ~、ちょっとは嬉しいくせに」
「うるさい、箸が止まってるぞ」
「そうだ、今日はどう? お箸もう完璧にできてるでしょ。ねえねえ、見てよ幸良くん」
立夏は頬を上げながら自慢げに箸を見せてくる。無邪気な子供そのものだった。
「あ、因みにわたし、部屋の中じゃノーブラ主義だから」
「…………なんの、話だよ」
「照れた?」
「照れるか! さっさと食え!」
立夏と一緒に居ると、俺は自然と声が大きくなる気がする。
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