第6話 同性ルールはお約束
学校でイジメにあっていた女子中学生が自殺したというニュースが流れていた。
「自殺とか、ホントに許せないよね」
朝っぱらから立夏の機嫌は悪いらしかった。起こされたばかりの俺は彼女が焼いてくれたトーストをかじりながら、相づちをうつ。
「でもこの子は本当に辛かったんだと思うぞ。自殺したってしょうがないと俺は思うけどな」
悲痛な表情をしたニュースキャスターが、なぜ少女が自殺に至ったか、その経緯を説明していた。生前の少女の笑顔がテレビ画面いっぱいに映し出される。なんだかとてもやるせない気持ちだった。なんの関係も無いが、イジメをした加害者どもを代わりに殴ってあげたい。
「全然しょうがなくないよ。どんなに辛いことがあったって、死にたいくらい嫌なことに毎日打ちのめされてたんだとしても、何よりも大切にしなくちゃいけない自分の命を投げ捨てるなんて……そんなの、どんなことよりも悪いことだ。ホントに、バカだよこの子」
「……ちょっと不謹慎だぞ」
「本当のこと言ってるだけだよ。なんでわたしが会ったこともない大嫌いな人間の死を労らなくちゃいけないの。世間の評判気にする芸能人じゃあるまいし」
テレビ画面に釘付け状態の立夏は、片目でいい加減に視聴している俺とは違って、特別な思いがあるようだった。立夏は本気で怒っているのだ。だとしたら、過激なことを言ってはいるが、その根本は優しさにあるのかもしれない。
「……でも、この子の気持ちはわかるだろ?」
「わかるからムカつくんじゃん。わたしがこの場に居たら、この子に思いっきりビンタさせて自殺なんて下らないこと止めさせてやるのに」
「ビンタするのそっちなんだ」
「当たり前でしょ。もちろんイジメする奴らもはっ倒すけど」
「みんながみんな、お前みたいに強いわけじゃないよ。むしろ大半は弱い人だ」
「弱いから、不幸だから、で自殺されちゃたまんないよ。……幸良くんは、絶対こういうことしないでね。これ、同棲ルールに追加だから」
「流石にそれはないけど……お前って、器用に見えて案外不器用なのかもな」
「え? なんの話?」
「いや、なんでもない。朝ご飯ありがとう。顔洗うわ」
テレビにかじりつく立夏を置いて、洗面台で顔を洗い身支度を調える。さっさと準備を終わらせて愛用のリュックを背負って、俺は玄関へと向かった。
「今日は何時頃に帰ってくる?」
「なんで?」
「ご飯作って待ってるからだよ。昨日約束したじゃん、ご飯は一緒に食べるって!」
じとっとした視線で睨み付けられる。特に意味もなく忘れたふりをしたのは失敗だった。
「ああ、そうだな……頑張れば……九時には上がれる……かも」
「もう少し早く終わらせられないわけ? 幸良くんってまさか仕事できない人?」
「黙ってろ。ウチの会社に一人で完結する仕事があると思うなよ。全員巻き込み事故だ」
「むう……でも早くね」
「ああ、行ってくる」
「あ、待って幸良くん」
立夏が俺のワイシャツの裾を引っ張った。
「なんだ」
「ネクタイ、曲がってる」
「いいよ別に」
「なんで細かい性格してるくせにファッションに関しては無関心なの!」
有無を言わさず立夏が俺の胸に手を伸ばし、手直しを図る。……えらく時間がかかっているな?
「……立夏、お前やっぱ不器用だわ。ぐちゃぐちゃにしてくれてありがとう」
「…………てへっ」
わざとらしく舌をペロリする立夏。詫びてるつもりか、それ。
「別に可愛くねえんだよ。あ、そうだ立夏、お前また部屋汚したら罰金だからな。自分だけの部屋じゃないんだから」
「べーだ、汚しまくってやる。それで、幸良くんが帰ってくる前に頑張って掃除してやる!」
「お前は一体何と戦ってるんだ!」
* * *
俺と立夏は二人の同棲ルールを決めた。それは、大体こんなところだった。
1 お互いの記憶に関して、何かわかったことがあったら必ず報告すること
2 『これは自分のものだ』は原則禁止とする
3 何か相談事があったら、絶対に言うこと。一人で抱え込まない
4 家賃、生活費などはすべて割り勘とすること
5 ご飯は絶対に一緒にたべること。食事は立夏が担当
6 皿洗い・風呂掃除・朝のゴミ出しは幸良が担当
7 お風呂は絶対に立夏が先。暑くても湯船は沸かすこと。尚、残業で幸良が不在の際は立夏が風呂掃除担当になる。その際、立夏ちゃんポイントが蓄積していく
8 週末、一緒に映画を観ること
9 絶対に自殺はしないこと
このルールを破ったあかつきには、とても恐ろしいことが待っているという。立夏ちゃんポイントについても意味不明である。なんで幸良くんポイントはないんだよ。
担当現場の作業責任者との電話連絡を終えて、俺は一度だけ背伸びをしてから、再びモニターに向き合って資料作りを再開する。早く帰るためには、のんびりしている暇なんてない。
時刻は既に定時時間を回っていた。今日中に絶対やらねばならない資料を終えたら、あとは明日に回してさっさと帰ろう。
凄まじい速さでキーボードを叩く俺を見た同僚の吉川が、驚いた表情で言った。
「どうしたよ雨澤、今日は偉くやる気あるじゃねえか」
「やる気なんてねえよ。早く帰りたいだけだ」
「……ほおー、やっぱりアレか彼女でもできたか。……お前やっぱ同棲してんだろ!」
楽しそうである。なんでこんなところで異常な鋭さ発揮するのか。
「ま、でもこの部署にいる以上、それは望み薄だろうなあ。個人がガンガン仕事進めたところでなんにもなんねーしな、ウチの部署。ほんっと上司がゴミ過ぎる」
「お前はむしろ楽しんでるよな、その状況を」
「じゃないとやっていけるわけねえだろ」
「俺はなかなかそういう風に割り切れない。嫌なものは嫌だ」
「っていうか、あの海坊主今日はどこで何してんだ」
「さあな、会議室引きこもって昇進するためのパワポでも作ってんじゃないか」
「それ、マジの奴。あはは」
「作っとらんぞ」
背後から、特徴的なべらんめえ口調が聞こえた。俺と吉川はお互いをゆっくりと見つめ、少し微笑み会う。デスクチェアごと身体を回すと……やっぱり海坊主。
「おい雨澤、吉川、今日飲み会行くぞ」
なんだかいつもよりやけに上機嫌なのが実に気持ち悪い。何を企んでるんだ。
嫌な予感しかしないし、家では立夏がご飯を作って待ってくれている。
「あー、今日は僕……」言いながら、なんでこんなに気を使わなくちゃいけないんだと思い始める。『あなたとは行きたくないんです』って言ったっていいはずなのに。
「おら行くぞ。ほら、吉川もさっさとPC落とせ」
「あ、いや俺は今日残業しようと思ってて」と吉川が慌てながら言った。
「仕事もできねえくせに何言ってんだお前、殺すぞ」
突然表情をひん曲げて、不機嫌そうにする。しかし、これがこいつの通常フェイスである。
「……わかりました」
観念した吉川に、俺は「仕事大丈夫なのか?」と小声で訊ねる。彼は唇を突き出した面白い顔を左右に振った。それ、是非ともこの海坊主に見せてやってくれ。ブッ飛ばされそうだけど。
結局、断るに断れず俺たちは飲み会に参加することになってしまった。そして、俺は重大なことに気が付いた。
立夏の連絡先を知らなかったのである。
* * *
他部署を含んだ数十のメンツで、俺たちは近場の居酒屋にやってきていた。
「聞いたぞ雨澤、お前彼女ができたって? 写真見せろや写真、おっぱいデカいんか?」
上司の加藤はスタートからクソ人間街道を大爆走していた。俺へのセクハラから始まり、自分だって前髪後退しているくせに部長のハゲをネタにした悪口や、よく独り言で死ね死ね言っている客先に対してもここぞとばかりに爆弾級の刺々しい言葉を発散しまくった。そんな上司のクソつまらない冗談交じりの会話に俺は百点の笑みを浮かべながら、大声で笑った。全然面白くないのに、不思議なことにこうしていると少しだけ面白いような気がしてくる。病は気から、という言葉があるが、なんだかそれに近い気がしてくる。
酒が弱いのにガンガン飲まされてしまったせいか、俺は泥酔状態に近かった。トイレに行くときに立ち上がると、急激に意識が朦朧として、ついには席の端っこでうずくまってしまった。
そんなとき、誰かが俺の背中に手を置いてくれた。
「――平気? 大丈夫? 気持ち悪いの?」
「――無理したらダメだよ~。幸良くんお酒弱いんだから」
背中を優しく撫でてくれる手には、やはり実態がない。少し前から現れるようになった幻覚らしかった。
――――君は……、一体、誰なんだ。
気が付くと、同僚の吉川と一緒に店の外に出ていた。
冷たい風が頬を撫でる。吉川は辺りをきょろきょろと見渡しながら、何かを探していた。
「あ、起きたか雨澤、今タクシー探してる。流石に帰れねえだろ?」
「タクシー」
突然、車酔いのような吐き気が催し、俺はその場で嘔吐した。
「あちゃー言わんこっちゃない。待ってろ、今拾ってやるから」
「いや、いい……大丈夫だ。ちゃんと帰れるよ」
「あー忘れてた。お前車嫌いなんだっけ。珍しい奴だよな」
「苦手なものなんて人それぞれだろ……じゃあな吉川、また明日」
「気をつけて帰れよー」
吉川に見送られながら、俺は立夏の待つ自宅へ帰ることにした。
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