第7話 忠告
その日もいつものようにドアを開けようと手をかけると、勢いよく扉が引かれ、慌てて手を離すとおっちゃんが飛び出してきた。
「おうたなちゃん、またな」
肩を叩かれ、どこへ、と聞く間もなく走り去っていってしまった。
人にぶつからずに商店街をうまいことすり抜ける後姿を眺めていた。
弾むような足取りで長い髪をたなびかせながらビーサンで駆けていった。どこかへ行こうと息を弾ませるあなたはいつでも輝いていたから、引き止めることは俺にはできなかった。
「今日おらんよ」
奥の厨房から葉山さんがでかい銀のボウルを抱えて出てきた。業務用のようなサイズの氷がたくさん入っている。
さっきそこですれ違いました、と言いながら腕をさする。店の中は寒いくらいに冷房がきいていた。
どこから持ってきたのか、でかい竹を割って傾斜をつけて設置して、流しそうめんをやっていた。ちょうど今から一陣を流すところらしい。箸と器を手渡され、否応なく最後尾に並ぶ。
はじめは何にでもびっくりしていても耐性がついてきて、最近はあまり驚かなくなった。ここでは何をやっていても不思議ではない。今日のように扉を開けるといきなりそうめん大会が開かれていようと、驚きはしない。
並んだもののなかなか満足に取れるほど流れてこない。上流を見ると、川崎さんと五十嵐さんが争っている下で、計算高い女性陣にごっそりといかれている。思いやりという言葉はないんかいな。ぼやくと、戦やけんねこれは、と近づいてきた五十嵐さんに顔をのぞき込まれる。サングラス越しの目がぎらりと鋭い力を放っていた。
争いに加わるのは早々に諦め、ちょろちょろと流れてきたそうめんを地道に掬って、まあもうええかなと思った矢先、五十嵐さんは詫びるように器に大盛り持ってきてくれた。やさしさの使い方が、みんな少しだけずれている。そこを、何かうまく言えんけどええなと思ったから俺はすっかりここに居ついていた。
みんながやりたい放題やるので、収集がつかず、止める人がいないまま、店の中がえらいことになってきた。破損した竹が横たえている上を飛んで、ビールかけをはじめてしまった。誰もやらない、葉山さんでさえ笑いながらも止めない。膝を突いて床を拭きながら、俺最年少なんやけどな、と納得がいかない。
呼ばれて顔を上げれば、いい笑顔の和泉さんに割り箸を口に突っ込まれた。餌付けのように素麺を食わされる。麺も汁も上物らしい。薬味は川崎さんから。そうとなると、割り箸の木の味ですらもうまい気がしてくる。
田中くんキモいな、当たり。目を丸くして葉山さんが高級そうな正月用のようなきらびやかな割り箸の袋を振った。
俺ねえ、コントラバス舐めたことあるんすよ。あの、なんやろ、好きすぎて。いやほんまはだめすよ、そんなしたら。けどちょっと弾いてたら良すぎてぞくぞくきて、辛抱たまらんようなることってあるやろ? あるんすよ。 ..弦バスってねえ、ゆうたらでかい木なんすけどね。…木って、食えんことはないでしょう。燻したりとかにも使うし。だからいつかは腹に丸ごと入れてしまいたい。…ちなみに、表は松で、裏は楓の木なんすけどね。おすすめは裏っかわやな。
キッショいなあ!
一息に言うと、和泉さんがからからと笑った。ここでは素の自分を安心して曝け出せた。気持ち良いほどの否定は、ほとんど肯定されている気分になる。
俺はここの人達に会うまで、大人はため息をついて真面目な顔をしていなければならない決まりでもあるのかと思っていた。
ええ大人でもこんなはしゃいでええんや、と驚きがあったし、捨てたもんやないなと希望が持てた。
財力があるからな、子どもより全力でちょけれるで?
せやで~たなちゃん。遊ぶために稼ぎや。生きるためだけに稼いだらつまらんで。
ふざける時こそ、まじめに全力で。
それが彼らから得た教訓だった。
ドヤ顔をして、お遊びでやるゲームでさえも全力で負かしにくる大人達。目から鱗なことばかりで、まだ知らん事がいっぱいあるんやろうなと思わせてくれた。
ひとりで真面目にやっているのが段々と馬鹿馬鹿しくなってきて、拭いていた布巾を放り出し、無言で思い切りでかいボウルをひっくり返した。一瞬店の中がしんと静まり返り、わっと取り囲むようにビールかけの洗礼を受ける。もうええどうにでもなれ。
俺もちょっとは遊んだって、ええやろ?
べとべとになった店内を総動員で片付けながら、ずっと外を気にしていたけれど、おっちゃんは、夕方になっても戻ってこなかった。
氷はとけきって、冷蔵庫によけてある素麺も固くなってしまった。
おっちゃんがよく好んで食べていたみょうがは多目に取っておいたが、帰ってこないのなら、別にわざわざそんなこともしなくてよかった。
冷蔵庫の扉を閉めると背後に葉山さんが立っていて、思ったより大きい声が出た。うるさい心臓をなだめていると、おっちゃんが帰ってこずよほど気落ちしているように見えたのか、また来年もやるよ~、と励ますように背中を叩かれた。
机に散らかされた残骸からみょうがを拾って食べていると、ほんまに好きやなー、と伊織さんに笑われた理由が、わからなかった。
好きっすよ、みんな好きやろ? 憮然と答えると微妙な空気になる。
え? 薬味の話やんね? 困惑して周りを見るが、みんなご愁傷さま、とでも言いたげな顔をしていて余計わからなくなった。
まあまあ、うん、な、たなちゃんの気持ちもようわかる。
和泉さんに肩をポンポンと叩かれる。ここの人達は、距離が近く、ボディタッチが多かった。人から触られるのは慣れていなくて、はじめは嫌だったがそれも気にならなくなってきた。
「おすすめはせんというか、な。」
おすすめ…? 首を傾げると、伊織さんも頷く。葉山さんは盆を持って引っ込んでいった。
「色々、かかえたおっちゃんやからなあ。」
みんななにかしらあるやろうけどな、と付け足すと、伊織さんも、そおやなあと連携が取れている。
まあおっちゃんはなあ。
わざとらしくひそひそと内緒話を始めるので気になって、なんすか、と問いただす。
ゆるいからな。
ゆるい?何が。
股が。
飲みかけていた茶を咳き込んでこぼすと、いたずらが成功したこどものように二人はきゃっきゃとはしゃいだ。
ヤリマンやから。
・・・んん?どうゆうことや。だって。・・・ないやん。その、それが。
純っ粋やなあ
え、なんなんすか・・・でもあんま、おらん人のことは、言わんほうがええんとちゃいます、よう知らんけど・・・
この人らの言うこと全部真に受けたらえらい目みるわ。
今日も甲斐甲斐しく通い妻やって、こりんよなあ、おっと口止めされてるんやった。
断片的に聞こえてくる声をしっかり拾って聞こえないふりをして片付けながら、おっちゃんが酔ぱらってじゃらじゃらとかぎを見せてくれた時のことを思い出す。
これが月曜日、これが火曜やろー、ほんでこれが・・・
あの時の妙な明るさが少し、ひっかかっていたがその時は俺も酔っていたから、特に聞かなかった。店を出ると夕日が輝いていた。ビール臭い服と拭いてもべたつく体を引きずって、家に向かう。
おっちゃんは今、どこでなにをしとるんやろう。
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