第5話 ダーツ
「刺されへんやろこんなん」
絶望しながら先端が曲がってしまったダーツの矢を拾いながらひとり文句を垂れると、おっちゃんが面白がるような目でこちらを見るのが分かった。
店内では陽気な音楽が騒がしくかかっていて、丸く高さのあるテーブルに肘を突いて甘えるような声で近くの女性に話す声が途切れ途切れに聴こえる。
えー、おっちゃん40なん、45ぉ!?見えへんわー!と言われて、せやろ~?と阿保が酢に酔ったような顔でぶりっ子しているのを横目に、いやお世辞に決まってるやろ、と思いながら矢を投げる。
ダーツなんかやったことないんすけど、と言うと、ええからええから、やればできるから、と言われて投げているが笑いが出るほどに上手くいかない。
おっちゃんにダーツの矢(はじめに正式名称を聞いたが、忘れてしまった)を手渡され、「まずな、構えるやろ、ほんでな、よう見とけよ、投げるやろ? ほい刺さった」という雑なレクチャーを受けてダーツ盤に向き合ってはいるが、上達の兆しが見えない。
この頃おっちゃんは、折に触れて電話をかけてくるようになった。
午前でも午後でも関係なく、スマホが震えた。いやいつかけてもええんすけど、授業中は取れへんから、と言っておいてもかけてくる。かけておきながら、不在着信が入っているのを見て折り返しても、滅多に出ない。
待ち合わせ場所におっちゃんが来ず、待ちくたびれてかけてみてもろくに出た試しがなかった。ほんま勝手やなあ、と思いつつも、ぼんやりと暇を潰している時に、気まぐれにかかってくるのを期待する自分がいた。
履歴を遡るとバイト先、親、大学の事務室、生協、くらいで、そこにある時から足羽のおっちゃん、という名前が新しく連なるのが新鮮に思える。
おっちゃんは知り合いが多く色んな人と会っているようだったが、暇な大学生は捕まりやすいからだろう、早朝から夜中までひっきりなしに電話が鳴って、色々な所へ連れていってもらった。
特に商店街の近辺がおっちゃんの得意とする範囲なようで、朝っぱらから叩き起こされて行った市場のせりや、店の食器の買い付けと称した得意先巡りも、普段行けるようなところではなくて、新鮮だった。
まだ先だったが、遅いよりは早い方がいいと入学式の為に買ったまだ新しいスーツを出してきて就活の準備をしていた。
おっちゃんの方は、平日の昼間から週末の夜中まで遊び回っているようで、見かけに似合わず優雅な生活を羨ましく思う。
この人基本暇やからな、先生とかやってんねん、とそういえば和泉さんが言っていた。
夏休みや連休に不定期に陶芸の教室をやっているようだ。早くに引退したらしいが、若い頃はプロ棋士だったいうのだから驚く。言われてみればらしいといえなくもない見た目をしている。もっと詳しく聞いてみたがったが、おっちゃんはあまり過去のことは語りたがらなかった。お上品やないやろ?と微笑みながら煙に巻かれてしまう。
今日も合同説明会で目当てのブースを何か所か回り、近くのファミレスで昼飯を食っていたところに電話が掛かってきた。
電話口で騒がしい音が漏れ聞こえてきて、いま何してるんすか、と聞いたら、遊んでんねんけどたなちゃんも来るか、せやな、おいで、パチ屋の横んとこのビルやから、そうそう。分かるな。と一方的に切られて、迷ったがママチャリを漕いで、この慣れない空気に身を浸している。
両腕のごつい筋肉を際立たせるように刺青が入ったタンクトップのいかつい店員から受け取ったコーラが汗をかいている。口に含むと炭酸が舌の上で弾けて、鼻から抜けていった。
気さくに話していたので店員とは知り合いなのかもしれないと思ったが、おっちゃんは初対面の人にもフラットに話すので、どちらかは区別がつかなかった。
足羽のおっちゃんは、いつも誰に対しても物怖じせず、見るも鮮やかな所作でつるりと懐に入りこんだ。
飲み屋などでも初対面で打ち解けて、一杯奢らせて、それでもまあいいか、と気持ちよく帰す手法は鮮やかで、俺も隣でちゃっかり恩恵を与っている。
この近辺に知り合いも多いようで、並んで歩いていると必ず声を掛けられた。
おっちゃんは道端で話し始めると長い。はじめは相槌を打っているが、内輪の話題に段々と手持無沙汰になる。少し離れたところで露店を眺めるふりをしていると、おい、田中くん何してんねんな君、ええからええから、来いこっちにと呼ばれ、目を泳がせながらおぼつかない挨拶をするうちに、何人かと顔見知りになった。
みんな優しく笑いながら、言葉少なな自分を受け入れてくれるのが不思議だった。人脈が広がりながらも、おっちゃんといると、今のように自分からは会話にうまく入って行けず、疎外感を感じることも増えていた。なんか構ってほしくてたまらんみたいで嫌やな、と思うので自分からは輪に入れないでいる。
初めは二本指やのうてしっかり持ってやれ、と言われても、右を行け、と言われると左に行きたくなる性分なものでそのまま従わずにやっていたら、聞かんやっちゃなあまあええわ、好きにやってみいと諦められてからは、言われた通り好きにしていた。
新しく何かを始める時、コツを掴んでからは早いのだが、飲み込むまでに時間がかかる。新しいことを始めるのをためらったし、人と仲良くなるのにも段階を踏まなければいけなかった。
一方おっちゃんは、新しいことでも一通りこなせるようだった。人の言葉に耳を傾けようとする姿勢だった。おっちゃんのようにアドバイスを素直に聞き入れないのが原因なのは分かっていたが、俺は間違ってへん、という強い気持ちが勝ってしまう。
見ていると、新しいことは何でもひととおり経験してみるようだった。若者の間ではやっていることや分からないことは、偏見なく、何にでも興味を持った。
このカフェも、以前知り合いに連れられて来たらしい。そして今度はおっちゃんが俺を連れてきた。でも俺が誰かを連れてくることはこの先まあないんやろうな、という予感があった。そもそも連れてくるような仲の人がおらん。何から何まで逆や、と思った。
「もっぺんやるからよう見とき」
隣でゲームをしている姉ちゃん達に絡んでいたおっちゃんがおかしそうに笑いながら寄ってきて、やさしい所作で俺をどかすとラインの上に立った。緩んでいた口が平行に結ばれる。真剣な表情になり、二本の指でひょいと投げた矢は綺麗に真ん中を射止める。
隣でゲームをしていた若い女からすっごー、と声が上がる。ピースサイン。おっちゃんはにこにこと満面の笑みでこちらに向かってくる。はいはいすごいすごい、とあしらうつもりがつい笑ってしまう。
どや、と小突いてくるおっちゃんを適当にあしらいながら、お兄さん頑張れー、と声がかかり、注目されると余計やりづらいねんけどな、と思いながらフォームを真似して今度は力を抜いてやってみても、今度は距離が足らず落下してしまった。あらら、と笑い声交じりに声が上がり、励まされる。
「なんでかなあ。ええか?もっぺんやるで。これでほんまのほんまに最後な、見といてな、いくで」
ひょいと軽く投げた矢はまた中央付近に刺さった。ちょっとずれたな、と言うが刺さりもしない俺からすれば十分すぎるように見えたあ。
振り返り、こんどおっちゃんが手取り足取り教えたるからなあ、と肩を組んで覗きこんでくる。煩わしく感じながら内心忸怩たる思いだったが強がって笑ってみせた。今度来るときまでにはうまなって泡吹かせたろ、と思いながら支払いを済ませ、エレベーターに乗り込む。
むっちゃギャルやったなあの子ら、いかついなあこわいわ。
二人になった途端ひそひそと小声で言いはじめるので呆れて横顔を見た。
君も苦手やろ?ああいう姉ちゃんら。にこにこと楽しそうにしていたのに、そんなことを平気な顔で言う。おっちゃんが言うと、悪口ですら嫌な感じがしないので少し危険だと思った。
退屈していたことを見透かされたようで、いや?けっこうタイプですよとあらぬ方向を見ながら虚勢をはれば、ほお、と言われ、なんやねん、と見返すとおっちゃんはにやにやと笑っていた。ふてくされていると、脇腹をつついてくるので避ける。
途中の階で人が乗ってきて小声で引き続きちょっかいをかけてくるので、降りると飛び出していった背中を追いかける。逃げ足だけは速いが、体力はこちらの方があるのですぐに捕まえることができた。
息を弾ませる背中に手をかけて、こどもかあんた、と言うと嬉しそうにはしゃぐ。機嫌の悪いふりをしながら、よくそんな風に軽口を叩き合った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます