第4話 喫茶店

 飴色の扉を押すと取り付けられたドアベルが鳴って、新聞を読んでいた葉山さんが顔を上げた。挨拶をすると、お待ちかねー、と奥を指差して教えてくれる。


 表通りから外れた通りにひっそりと看板を掲げる喫茶店は、このご時世珍しく全面喫煙を貫いている。店主の葉山さんによればおじいさんの代から開店当初より愛煙家で賑わっているのだという。煙草の煙と笑い声の絶えない店だ。


 机の間を進むと、奥の机ではちょうど半荘が終わったところだったようで、じゃらじゃらと牌をかきまぜている最中だった。ちわ、と頭を下げるといの一番に村上さんが声を上げた。


「たなちゃんきたー!」


「やっときたわ」


 お疲れ、と肩を叩いて、彩さんは煙草屋の店番に戻っていった。


 奥のその席にだけ設置された机は稼働していないテーブルゲーム機の筐体を雀卓に改造してあり、白いレースのビニール素材のテーブルクロスが敷かれている他のテーブルの中で、毛羽立った緑色のジャンマットが存在感を放っている。


 彩さんに空けてもらった席に座り、ネクタイを緩める。向かいに座るおっちゃんと目が合うと、田中くん今日はスーツか、とネクタイを解く仕草を真似される。

 それに被せるように、おっとこまえー、と和泉さんが、思ってもないような顔でもって茶化す。

 適当に流しながらおしぼりで顔を拭いていると、おっちゃんみたいやからやめた方がええで、と眉を下げて深刻そうな顔で葉山さんがお冷やを目の前に置いてくれる。今のおっちゃんは、おっさん、の方やな、と思いながらありがたく一口飲んだ。



 喫茶葉山は入り組んだ路地にあり、言われなければ通り過ぎてしまいそうな外観をしている。

 立地がそうさせるのはもちろんのこと、窓がくすんだ色味をしていて、外からは中の様子が窺いにくい。かろうじてオープンと書かれた手書きのドアプレートが吊り下げられてはいるが、扉横に並ぶホットケーキやナポリタンのサンプルは日に焼けていてほこりっぽく、お世辞にも、はやっているようには見えなかった。


 そう言ってみると葉山さんは「魔除け、魔除け」と手を振った。入りにくくしているのは、わざとなのだという。確かに自分を除いて、若い人がひとりもいない。はじめ、物珍しいもんを見る目を向けられたのはそのせいだったかと気付く。

 みんな人見知りやからね。騒がしくはしゃいでいる大人達を思い浮かべて、そうは見えんけどなあ、と俺が言うと、皿を拭きながら葉山さんはふふふと意味ありげに笑った。


 この店には、商店街連盟のみなさんといった風情の人々が多く集っていて、足羽さんは、そこに集う皆から「おっちゃん」と呼ばれ親しまれていた。

 他にもおっちゃんという呼び名が似合いそうな人はたくさんいたが、ここでは「おっちゃん」といえば、「足羽のおっちゃん」のことだった。それだけ足羽さんは唯一無二の存在だった。


 ダンベルを手放さない店主の葉山さん、常連の和泉さんと伊織さん、向かいの煙草屋の看板娘・白石姉妹、客のマイクをふんだくり歌い出すスナックの五十嵐さん、はす向かいの八百屋のキャップがよく似合う川崎さん。それから、おっちゃん。

 皆気にかけてくれたが、おっちゃん達には特に良くしてもらった。

 少なくとも15、大きく30、歳が離れていたから、もしかすると親が子どもと接するような感覚だったのかもしれない。


 代が変わっても開店当初より店に寄り付く人の雰囲気は不思議と変わらず引き継がれないという。店主が店主なら客も客で、各自やりたい放題で心配になるほどだったが、儲けが目的じゃないからねえと柔和な顔をしている。


 足を踏み入れてしまえばそこは別世界のように居心地がよく、長く愛されている理由がすぐに分かる。


 体がよく沈むソファに腰をかけると、ラジオから流れる野球中継や常連の人達のおしゃべり、店内でかかる昭和の歌謡曲の中で、煩雑な店雰囲気も気付けば体になじみ、ずっと昔からそこが自分の特等席だったかのように思えた。


 看板メニューのブレンドが美味しいと評判で、運が良ければご相伴にあずかることができた。自分が飲みたいタイミングで淹れるからと言いながら、葉山さんは麻雀の区切りを見計らって振る舞ってくれた。



「俺の特製コーヒーが入りましたー」


 わーいやったー、と大の大人たちが示し合わせたように盛り上がりを見せる。息ぴったりや。一足遅れて、おれも、わー、と付け足すように声を出す。もう一声、と葉山さん。期待するように注目が集まる。きらきらした子どものような目の玉を、8つも向けられる。


 あんたら面倒臭い人らやなあ、と笑いながら、わーい、とやけくそで声を張ると目の前に置かれた深い色味の青磁のカップは、斜めに金色の線が走っていた。

 よく見るとそれ以外にも枝分かれするように細かく何本か入っていて、牌山を積んでいた手を止めて見入ってしまう。


「また懐かしいのだしてきたな」


 ひょいと手を出してカップを中身が零れないように持ち上げ、初めたての頃のやわ、粗いなと苦笑いしているが、素人目にはどこかどう粗いのかが分からない。その上、それすらも味のように思えてしまう。


「足羽さんが作りはったんすか?」


「俺が割ってー、おっちゃんが直した。共作」


「おまえは割っただけやないか、あほ」


 誇らしげに答えてくれた中葉山さんに向かっておっちゃんは呆れたようにつぶやいている。手の平の中に戻してくれたが、カップはかなり熱かった。驚いた拍子に手がぶつかる。ベースをやっていて指の皮は厚い方だが、おっちゃんは平気なんかと驚いて顔を見る。


 するとおっちゃんは何を思ったか、どうしても漆でな、かぶれんねん。うつったりはせんから堪忍な、と手を隠すように膝の上に持って行った。確かに少しだけ触れたおっちゃんの手は荒れていたが、別に何とも思わなかった。それを上手く伝えられずに、いや、大丈夫です、と言ってしまった後で、ちゃうねん、とひとり心の中でつぶやく。


 返事を急ぐと、今のように伝えたいことと発する言葉の間にずれがうまれる。おっちゃんは言葉が出るのが遅くても特に気にしていないようで、それが有り難かった。


「…でな、たとえば、カマ掘られたりお部屋の壁に傷が出来てしもたら、君ならどないする?」


 さらに壊すー、という加納さんの声を無視して、おっちゃんは続ける。


「修理出したり、隠したり目立たんようにするやろ? これはその逆で、隠すんやなくて、目立たせて傷を主役にしたんねん」


 破片を漆で接着し、金で装飾する。

 そうやって器を直す手法のことを、金継ぎ、というのだそうだ。

 説明を受けながら知らない領域にただ感心して相槌を打つ。


 割れたことによって、器や椀は生まれ変わる。


 割れないと今のような模様にはならなかったわけだから、壊れることはマイナスではなくて、プラスなのだと、おっちゃんによると、そういうことらしかった。


 そのおっちゃんによって生まれかわったカップも、元は知り合いの作家が手掛けたものらしい。


 ここにあるものは、食材も、器も、家具も、持ち寄られたものがほとんどらしい。

 人と人とがつながっていて、めぐりめぐってこの場所をつくっている。

 素性のわからないような人ばかりで、みんないつもふざけていたが、本当はあたたかく人情味にあふれる人達にまぎれて、おっちゃんの横で見様見真似で相槌を打っていると、時間が過ぎていくのはあっという間だった。


 部屋にいることが多かったのに、居心地がよくて、大学とバイトがある日以外はほとんどその店に入り浸りになっていった。


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