第2話 商店街
おっちゃんと初めて会ったのは、帰り道にある近所の商店街だった。
南から北へかけて数多の店舗が軒を連ねるアーケード街は、いつ来ても人が多く賑わっている。中心街と比べると観光客より地元の人間の比率が高く感じるものの、朝も早くから人通りが多くあり、通勤通学の人達に紛れて駅と逆の方向に、歩みを進めていた。
「あー、おい、兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃんそこの、」
ギター背負ってる!
周りを見渡してみる。自分以外にギグバッグを担いでいそうな人は他に見当たらず、急ぐ人からもはっきりと視線が集まるのが分かった。
振り返るのとそれは、ほとんど同じだった。
目の前が原色でいっぱいになり、反射で目を閉じると青青とした香りに包まれる。
一瞬何が起きたのか分からないままはっきりとした衝撃だけがあり、ベースを庇って倒れそうになりながら、細い足がはえた花束を両腕でなんとか受け止める。
体が離れ、抱え直して改めて前を見るとそこには、甚平にビーサンに長髪という出で立ちのおっちゃんが立っていた。
まっすぐに切り揃えられた前髪に花びらが一枚、くっついていた。
「落としてたで」
呆気にとられていると花束を抱える手に、勢い良く何かねじ込まれる。指し示された手の平を開くと、握りしめていたのは見覚えのある財布だった。
確認しようと片手に持ち変えると、花束はぐらりと頭をもたげて重心が傾いた。やけにでかくてずしりとした重みのある、豪華な高そうな花束を抱えるためには、体勢を整えなければいけなかった。苦労しながらまさぐったポケットの膨らみは確かになくなっていて、いつの間に落としてしまっていたのかと驚いていると、甚平のおっちゃんは前髪に花びらをくっつけたまま、早口で捲し立てた。
「大事なもんやろ?しっかり握ってな盗られてまうで。いらんならおっちゃんがもらうけど。…あぁ悪い兄ちゃんちょっとここで待っといて」
すぐ、すぐやから。
頼んだで、お花!
なにも返せないでいると、でかい花束を預けたままじりじりと後退していく。
念を押すように俺の胸を指して、くるりと踵を返したそのおっちゃんは、人の流れを縫って、路地に姿を消した。
唖然としていると、後ろからやってきた人にぶつかって何輪かは巻き込むように引っ張られ折れてしまった。
ぶつかった人は気にせず足早に歩いていく。落ちた花を取ろうとしたが踏まれて、更に前から来る人をよけると尻もちをついてしまいそうで諦めた。
落ちてしまった花は、後から来る人に何度も何度も踏まれて、責められるような気になって目をそらした。おっちゃんが消えていった方を見てみるが、姿は見当たらない。
頼んだで言われても。どうしたらええねん、これ。
知らない人から預かってしまった花束を抱えなおしてみても、どうにも据わりが悪い。
出所のわからないものであっても、色とりどりの華々しいそれを無下には扱ってはいけない気がした。
一本だと軽い花も束になればこんなにも重いのだなと阿保のような事を思いながら、アーコウドのちょうど切れ目から差し込む光が眩しくて顔を顰める。
それはこの後誰かに渡るかもしれない、という責任も込みでの重さやとなんとなく気付くと、もう往来の激しい路上に放置することは出来なくなる。だからといって誰かに横流ししてしまうような勇気もないので、わかりやすく途方に暮れた。
どれだけの人が通り過ぎるのを見送っただろうか、大人しく道の端で邪魔にならないよう精いっぱい縮こまらせてじっとしていると、ほい、と肩を叩かれて我に返る。
気づけば先ほどの甚平のおっちゃんが立っていて、日陰おってくれてよかったのにな、でかい兄ちゃんがこんなん持ってたらどこおってもわかるで。感心したように俺をまじまじと見ながら言った。
あら、折ってしもたんかいな。可哀想になあ。兄ちゃん、すまんけど弁償してくれ。せやな、3億。まけて1億でいいわ。
手の平を差し出して真顔でそう言うので、もしかすると新手の詐欺に引っ掛かりかけているのかと思って身構える。財布を受け取りながら、中身を確認しなかったことが急に不安になってきた。免許証と保険証は家に置いてあるとして、金は抜かれたかもしれない。迂闊だったと反省しながら、次の言葉が出てこない。
冗談、冗談。見てくれててありがとう。
抱えたままの花束から何本か抜き取り、甚平の前ポケットに刺していた競馬新聞を破って、それから器用な手付きで花を包んだ。数珠と一緒に腕につけていた輪ゴムで縛り、預かっていた花束と交換するかたちで、数本のささやかな花束をそのおっちゃんは俺にくれた。
おおきにな。ここら辺うろちょろしてるからたぶんすぐまた会えるわ、声かけて。
その時はコーヒーでもご馳走するから。ほな、また。
そう言っておっちゃんは花束を抱え直すと、何事もなかったかのように元来た方へと歩いていった。はっとしてすぐに財布を確認したが、中身は無事だった。ほっとして息をつきながらも、釈然としなくて小さくなっていく背中を見ていると、視線に応えるようにおっちゃんは振り返った。
見ていたのを知っていたようにぴたりと視線を合わせて、ちゃんとお水あげるんやでー、と笑いながら言って、今度こそ振り返ることなく人ごみに紛れて消えた。その勢いに最後までついていけないまま、前髪にくっついた花びらも指摘できなかった、と遅れて気が付いた。
賑やかなおっちゃんが去るとどっと疲れがやってきて、狐に化かされたような気分で、よろよろと帰路を辿った。
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