crash(2/3)


《同時刻》


 亜門左門は刃を振るっていた。

 蜺刃の代わりに振るう脆い虹晶は、2、3の虹化体を倒せばヒビが入ってしまう。その度に新たな虹晶を見繕い、簡素な防護服──虹素発電所作業員用の防護服を身にまといながら、戦っている。

 これには破虹師が着る戦闘服と異なり、パワーアシスト機能は付いていない。亜門は完全なる地力だけで虹化体を圧倒しているのだ。

 ……弓手嚆矢によって軍を追い出されてからも。

 亜門左門は亜門左門で、「日本最強」であり続けようとしている。


 ぶんと歪な虹晶を振り、ヒビが入っているのを目視するとその場に捨てる。今の亜門は虹晶回収の為のデバイスを所持していないので、放置だ。

 ……弱き破虹師でも、居るのならばそれくらいはしてもらわないと困る。


「あ……亜門さん?! どうしてここに……じゃなくて、助けてください!」


 目を細めてそれを見ていた亜門の前に、1人の破虹師が現れた。歴は2、3年だろうか。まだ蜺刃の握り方も不慣れで、1人では虹化体の討伐も危ういような「弱き者」だと亜門は評価を下す。

 破虹師の身が血に濡れているのが、少し気になった。


「さっきから総帥と連絡も取れないし、友人たちが……いえ、共に戦っていた破虹師がやられたんです。《憤怒》に」

「そうか」

「俺は弱いです。よく分かりました。亜門さんの言う通り市民を守る資格なんてない……破虹師になればヒーローになれるなんて、ほんとに思い上がりでした。でも、このまま……このまま、街が虹化体に飲み込まれていくのは、怖い。──人類は虹化体を克服したんですよね。また昔みたいな時代が来るなんて、それは……」


 身を縮めて自らに思いをぶつける破虹師を、亜門はじっと見つめる。

 亜門の実家はとても閉鎖的だった。

 虹ができるはるか昔から、一族の中に閉じこもり武術を極めることだけを繰り返してきた家だった。……その中で最強の1人だけを当主とするため、同胞で殺し合いすら行われた。亜門自身もそれを乗り越え、亜門家の当主となった男だ。

 弱きは罪だ。……強きことだけが正義だという亜門の持論はここから生まれた。

 強ければ勝てる。負けない。実の父親に見捨てられるような苦しみを味合わなくていい。外の世界に一度出れば、虹化体を殺すのに苦労したことなんて亜門には1度もなかった。


 だから亜門には心底分からなかったのだ。

 自分に勝てないほどの「弱き者」が、わざわざ苦しみを覚悟してまで戦いに出る意味が。

 弱きことは罪だ。だが、弱さゆえに戦わないことは罪ではない。

 戦いは強き者だけがやればいい。弱き者を守るのが、亜門のような強き者の努めなのだから。

 弱き者には弱き者で役目があるのも、今の亜門には分かっている。だから弱い人間が破虹師をやるのは命を無駄に散らす行為としか思えなかったし──目の前で死んで行った山田のことなんてひとつも分からなかった。


「案ずるな。私は強い。だが……今の私は軍の規則に反し、破虹師の地位を持たずして戦闘行為を続ける│暴徒・・だ。それを庇い立て《憤怒》の元まで先導する覚悟が貴様にはあるのか」

「……もちろんです。というか、蜺刃でよければ俺のを使ってください」


 亜門は破虹師から蜺刃を受け取り、散らばる虹晶の処理をさせると、戦いのために荒れ果てた道を歩き始めた。


「……そういえば、ひとつ聞いてもいいですか」

「何だ」

「亜門さんが討伐記録を改ざんした……っていうの、本当なんですか。総帥が言ってましたよね」

「弓手総帥が何を証拠にああ言っていたのかは知らないが、事実ではない」

「え、じゃあ」

「私は私の正義のために戦うのみ。……それは破虹師でなくてもできる」


 事実ではないが亜門には思い当たる節があった。

 慧央に見つかった時のように、亜門は時折大罪虹化体と密会する機会があった。その度に外出記録は付くが、当然討伐記録はゼロのまま。

 それを、討伐記録を│提出しなかった《・・・・・・・》、もしくは少なく書き換えた改ざんと取られたのなら、改ざんと言えなくもない。改ざんと聞けば水増しの方向に意識が向くことを利用し、上手くしてやられたという所だ。


 数年前ならば、自分がこういう目に遭った時にいの一番に声を上げてくれる人間がいたな……と亜門は思った。

 前総帥、│諸星水龍もろほしすいりゅうのことだ。

 彼は亜門が唯一心を許した存在であり、7年前に弓手に殺された。

 破虹軍には階級制度がほぼない。横一列の破虹師をまとめる為には磐石なトップが必要となるため、総帥の交代はごく一部の例外を除いて│前総帥の殉職・・・・・・によって行われるのだ。……総帥の地位を欲した弓手によって、この制度は悪用されたが。

 破虹師として弱いことは罪だ。だから亜門自身、諸星が殺されたことは「諸星が弱かったから」として割り切っている。……割り切ることに、している。


 考える亜門をよそに、破虹師の顔は場違いなほど輝いていた。


「亜門さんは本当にすごい……実は俺、昔亜門さんに助けていただいたことがあるんです。学生時代、学校に虹化体が出現してみんなでシェルターに逃げた時、軍から派遣されて一撃でそれを倒してくれたのが亜門さんでした。それから俺は破虹師に憧れて、この道を選びました」


 破虹師は亜門に憧れていた。

 歴の長い亜門は、それだけ助けてきた人数も多い。この男もその星の数ほどいるうちの1人だ。……こう言われても、亜門の感情は何ら動かない。当たり前のことだからだ。


「間違いなくお前は戦いに向いていない。今からでも考え直すべきだ」

「……そうですよね。分かります……ほんとに。虹化体と戦う度、死ぬために出撃してるんじゃないかと思う日もあって。そこを亜門さんは叱ってくれてるんですよね。生き急ぐなって」


 いつも通りの突き放すような言葉に苦笑して、破虹師の足が止まった。

 そこは破虹軍の入口だった。しかし《憤怒》の姿は見当たらない。


「あれ、いない……まさか移動を? このままだと街が本当に」


 狼狽える破虹師の隣で、亜門は目の前の光景に釘付けになっていた。

 ──血に濡れた門。

 ──飛び散る破虹師たちの肉片。

 ──そして、その中央に倒れる……


「相友、依呂葉」


 亜門の強靭な視力は、近付かずともそれを判別できた。

 《憤怒》との戦いに敗れた依呂葉の遺体の状態は酷いものだった。傷ついていない箇所がない。無意識に右目を押さえる。それを見た破虹師は、たまらず顔を歪めた。


「……依呂葉さんは……」

「あれは、弱かった。10年前からそうだ。しかし、それをむざむざ殺される事態を招いた私はもっと弱い」


 10年前、亜門の右目は泣き叫ぶ依呂葉によって傷つけられた。それが亜門の中で強い戒めとなった結果、傷自身が虹素による治療を阻み失明した。……亜門自身にとっても、諸星と過ごした日々と同じくらい人生に影響を与えた出来事だった。

 以後、同じような悲劇を繰り返すまいと亜門は一層鍛錬に励んできた。視力を半分失ったことを感じさせないほどの圧倒的な強さを得ても、亜門は立ち止まらなかった。


 しかしそれでも、弱き者たちは……亜門の手のひらからこぼれ落ちていく。


「貴様はここで待機しろ。概ねの場所は分かる。……方角が限度だが」

「無駄ですよ! きっと……もう、ここに破虹師はいません。みんな出払ってるか殺されてます。それくらいなら──」


 死にます、と言いかけた破虹師に対して、亜門はぶわりと気配を増幅させた。表情のない顔は氷のように冷たく、それでいて全てを焼き尽くすような激情を秘めている。

 それを真正面から受け止めた破虹師は、がくりと崩れ落ちた。


「……私の目の前で人が死ぬことは、許さない」

「あ、……っ」

「腰が抜けて動けないのなら、そこに居ればいい。すぐに《憤怒》は──殺す」


 破虹師はまるで虹化体を目の前にした幼子のように震え、瓦礫に手が傷つくのも構わず、這って敷地の中へ入って行く。

 それを見届けた亜門が《憤怒》の元へ向かおうとすると、目の前に人影を認めた。


「……いや、さすがの貫禄だね、亜門くん」


 弓手総帥であった。人を食ったような微笑を浮かべる男は、──血の吹き出る左腕を右腕で懸命に押さえながら歩いていた。

 既にかなりの量の出血があるのだろう。額には汗が浮き、その顔は血管が透けるほど青白い。軽口を叩くのもやっとに見える。


「その傷はどうした」

「敬語はもう使ってくれないんだね」

「今の私は破虹師ではない」

「うん……その通りだよ。ぼくが追い出した。……この傷は《憤怒》にやられたよ。ばっくりとね。アレをおびき寄せる│エサ《・・》を用意していたんだけど、かえって怒らせてしまったかもしれない。……いやはや、アレは人類の手には負えないんじゃないかな」


 大罪虹化体が最後に人命被害を出したのは、10年前の《千葉大災害》の時だ。その時の《憤怒》は並み居る破虹師たちを根こそぎなぎ倒し、亜門の手によっても討伐は叶わなかった。

 しかし今なら。

 もう二度と悪を取り逃しはしない。


 静かに闘志を燃やす亜門をよそに、弓手はずるずると壁に沿って地面に座り込み、腕の止血を始める。


「というか亜門くん。どうせ追い出してもきみは戦いをやめないだろうとは思っていたけど、その服はどうやって調達したんだい? まさか作業員の方を脅したりはしていないよね」

「……」

「ふふ、ぼくが言うなって? そうだね。目的のために手段を選んでいるようでは三流だと思うよ。……その点ではぼくもきみも同じってことだ」


 ぎゅ、とちぎった戦闘服の切れ端を結び、弓手は暗い笑みを浮かべた。血を失い弱った顔に、手負いの獣のような邪悪さを滲ませる。


「あとね、亜門くん。ひとつ面白いことを教えてあげる。あの《憤怒》の虹化体はね、──《憤怒》、│じゃなかった《・・・・・・》よ」


 発せられた言葉に、亜門はらしくなく少し目を見開いた。


「……何を言っている」

「依呂葉ちゃんはまだ小さかったし、あの極限状態では《憤怒》の頭部が良く見えていなかった可能性はあるよね。そう考えると、今10年前の《憤怒》を知っているのは、戦っていたきみと、天恵を使ってそれを見たぼくだけだ。そしてぼくはたった今この目で今の《憤怒》を見てきた。姿が違ったんだ。10年前現れた《憤怒》の角は2本。だけど今暴れているのは角が1本しかない」


 憤怒が憤怒ではない。

 亜門を惑わす嘘にしてはあまりにも稚拙で、だからこそどこか納得してしまうところがあった。

 傷つけられた依呂葉を見た直後だ。復讐めいた感情が亜門の中にあったことは事実である。しかも相手は、弓手総帥。亜門の中にも複雑な感情が沸き起こりつつある。──だが。


「考えられることとしては、《憤怒》がこの10年で代替わりした。あるいは、10年前相友邸に現れた虹化体が、《憤怒》ではなかった……のどちらかかな。なんにせよアレはきみの因縁の相手でもなんでもないって事だね」


 亜門は切り替えるようにゆっくりと瞬きをした。


「……関係ない。私の戦う理由は│私怨・・ではないからな」

「そう。偉いね亜門くんは」


 弓手の顔には相変わらず底の読めない表情が浮かんでいる。……きっと今語った事より深く、真実を知っているのだろうことは亜門にも分かった。

 しかし、考えることは亜門の本分ではない。

 亜門にできることは、ただ目の前の存在を屠ることだけだ。迷う必要はなかった。


「ぼくは軍に戻るよ。さすがにこの傷を放置しておくのは不味そうだし──実の所ね、ぼく……虹化体とか破虹軍とか、どうでもいいんだ。じゃあね、亜門くん」


 弓手は立ち上がると、門を抜け軍の敷地に入っていく。亜門はそれに背を向けて、《憤怒》の元へと1歩踏み出した。

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