crash(1/3)


 何か言葉を続けなければと思いつつ、口が動かない。

 今の俺には依呂葉と会話する資格があるとはとても思えなかったからだ。


 七夕の夜から今までの記憶がふつふつと走馬灯のように湧き上がってくる。


 ──依呂葉が死んで、俺は虹化体としての力を目覚めさせた。それでも憤怒には勝てなかった。現れた謎の少女によって、7週間過去に飛ばされた。


『お兄ちゃん、死ん……だんじゃなかったの』

「……さあ、な」

『今どこにいるの? ねえ、聞きたいことがたくさんあるよ。虹化体って……』


 依呂葉と並び立てる人間になれば、となりで依呂葉のことを守れると思った。そのために俺は北斗七星を目指し、妨害してくる亜門さんを認めさせるために地下に潜った。

 《地下街の悪夢》を防ごうとした俺は、目論見通り首謀者である環と接触し、総帥に認められ、北斗七星になった。


「──隠してて、本当にごめん。謝って許されることじゃないのは、分かってる」


 北斗七星としての俺の仕事は、公開演説会にて環の息の根を止めることだった。

 それには成功した。虹化体となった奴を蘭堂と……千賀と2人で仕留めた。

 ──でもそこに総帥がいた。

 千賀は殺され、俺はこうして捕えられ、依呂葉の危機に駆けつけることも叶わないでいる。


 総帥を見た。平然とした顔だ。俺と依呂葉の会話に興味すら示していないし、話したところで何も出来ないと分かっているのだろう。

 きっと公開演説会の後、……俺が地下牢につなぎ止められてから、市民向けに事件の説明がなされたのだ。

 いや……そうでなくとも、依呂葉もあの場にいたのだから、俺の正体が知られているのは当たり前だ。依呂葉の息遣いが乱れる。


 俺は……依呂葉のことを救うどころか、深く傷つけてしまった。


『じゃ、じゃあお兄ちゃんは本当に虹化体なんだ。へえ……』


 全身から力が抜けていく。

 分かってはいたのだ。タイムスリップをする前から、俺は虹化体で、依呂葉は人間……しかも、虹化体を深く恨んでいるということは。

 だから俺は依呂葉と別行動を心がけていたし、愛するたった1人の妹に隠し事までしていたのだ。それがこの瞬間、一気に崩れ去った。




『そっか……まあ、そんなこともあるよね……』




 ────依呂葉はきっと俺を詰るだろうと思ったのだが、予想に反して気の抜けた声が返ってきた。


 何かがおかしい。


「依呂葉?」

『なんだろ、ごめん。もう……』

「依呂葉。大丈夫か? そういえば今大罪虹化体と戦ってるって」

『えへへ、勝てなかった・・・・・・よお兄ちゃん。ダメだった。大罪虹化体は、強いよ。10年間頑張ってきたつもりだったけど、手も足も出なかった』

「依呂葉」

『悔しいなあ。悔しいよ。私なんにも出来なかった。……お兄ちゃん、なんでそんな事になってるのかは分からないし……知りたくもない、けど、生きてるなら頑張って。あ、お兄ちゃんは虹化体だから、虹化体を殺すのって、嫌、なのかな──』


 それを最後に声は聞こえなくなった。何度叫んでも、端末越しのアラームが虚しく帰ってくるだけだ。

 その音すらも、総帥の操作でぶつりと切られた。


 嘘だと言ってくれ。

 俺はまた、依呂葉を救ってやれなかったのか。──依呂葉を失って、過去に戻ってきて。それでもダメ。ならもうどうすれば良かったんだよ!


 うずくまる俺に、総帥が一歩近づく。


「さて。唯一の肉親である依呂葉ちゃんも死んだし、きみにはもう思い残すこととかないと思うんだけど」

「うるさい! もうやめてくれ! 俺は……俺は……」

「なるほどね。きみが最近頑張ってたのは依呂葉ちゃんの為だったのか。ご愁傷さま。……じゃあぼくのお願いに答えてくれるかな」


 総帥は俺の襟首を掴むと、無理やり上を向かせる。冷たい瞳で無遠慮に俺を見下ろし、変わらぬ問いを投げた。


「……相友水端を……みーちゃんを殺したのは、きみだね?」


 総帥の瞳は翡翠のような緑色をしている。

 そこに俺の赤い目が映ると補色の関係で黒ずんで見えるのだが、今はその鈍い赤色すらも揺らめいていた。

 

 事実、俺の心はもうほとんど折れていた。


 認めればきっと殺されるだろう。

 でも、もう俺に生きている意味なんてない。

 守るべき存在を失ってしまった今、俺は1匹の虹化体に過ぎないのだから。

 それなら、意識を失くし人を食い散らしてから死ぬより、総帥の手によって内密に殺された方が世界のためになるのではないか……


「……はい。殺したのは、俺です」


 どす黒いとしても、俺にはこれまで貫いてきた意志があった。それがどろどろと溶けだして、総帥の瞳の中で俺の瞳はゆっくりと輝きを失い……無彩色に……黒くなっていく。

 総帥はそんな俺を見て、笑った。


「慧央くん。きみは本当に面白いね。その目……やはりきみも天恵・・を使っていたのか」


「──それが、消えた。きみが今心から絶望しているのがよく分かるよ」


 総帥は蜺刃デバイスを取り出すと、ぶんと鈍い音を立てて展開する。

 ──磨き上げられた漆黒の、刃渡り70センチ。

 破虹師が振るう一般的な武器にして、虹化体に対する唯一の対抗策。

 これが核を貫けば俺は死ぬ。

 虹素の力で物理法則をねじまげた再生能力を振るう虹化体の唯一の弱点、どくどくと脈打つ心臓に、総帥の刃は狂いなく突き立てられた。


「……私怨、か」


 返り血を避けるように目を細めた後、閃くような速度でそれを突き刺す。貧弱な筋肉はちぎれ、肋骨は折れ、生ぬるい心臓に刃が侵入してきて、後ろに抜ける。刃が抜かれると、噴水のように血が吹き出してきてたまらず倒れた。

 俺の意志に反して懸命に生きようとする体はじくじくとその傷を塞ごうとするが、核に傷がついた今、全身への虹素の供給は断たれつつある。しかしすぐ死ぬ事は出来ないらしい。背中に第二撃が突き刺さった。


「本当にその通りだよ。非効率極まりない。今だって首を落とせばきみはすぐ再起不能になったのに。そして、依呂葉ちゃんを失ったショックで揺らいでいるきみに辛うじて自供をさせただけのことが、……こんなに気を昂らせる」


 息も絶え絶えな俺に蜺刃をもう一度刺し、今度は執拗に差し込んでいく。硬質な音が響いて蜺刃は床をも抉り、俺は地面に縫い付け・・・・られた。

 痛みと混乱に荒い息を吐く俺の顎を、しゃがみ込んだ総帥が掴みあげる。


「正直ぼくは自分に驚いているんだ。10年間自分の計画を誰かに口外したことは1度もなかった。そしてみーちゃん以外のことを考えて過ごすことも、なかった。……でも」


 総帥はもう片方の腕を俺の顔に伸ばした。

 細い指はくるくると俺の右目を縁取り、ぬるりと眼窩に侵入して来る。


「な……何を……?!」

「でもここ最近はきみのことを考えることが増えたんだ。きみを捕らえ、罪を認めさせ、殺すにはどうしたらいいかって。ふふ、面白いよね。──まるで恋焦がれる少女のようだ」


 心臓を握られる「ような」感覚どころではない。文字通り神経を掻き毟られる痛みと不快感が脳を犯す。

 痛みに明滅する視界の中の総帥は、俺の血に塗れていて──それでも俺とは違う「人間」だった。

 どちらが悪魔なんだ?

 俺は虹化体だから殺される。

 しかし、人体蘇生という禁忌を犯すためにその他全てを利用し、壊す総帥は……人間と言っていいのか?


 でも俺には何も出来ない。全ては失敗し、悪魔のような男の野望に喰われて死ぬしかないのだ。


「七夕の夜、ぼくは地下室できみと出会った。あの日はみーちゃんの誕生日だ。神聖な日を汚されたぼくは、計画を数段早めることを決めた。慧央くん。きみを殺すという計画を数ヶ月単位で前倒しして、今やろうと思ったんだ。そのために、地下街に爆弾・・を設置した。きみに招待状を送る前に自分からやってきたときは驚いたけれど、同じさ。でもきみだけ・・は生き残ってしまったね。環ちゃんを連れて」


 ぶちりと言う音が脳に響いて、総帥の手は抜けた。喪失感。脈打つような右眼窩の痛みに脱力して地面に落ちると、腹の冷たい刃が内臓を擦った。

 ──総帥は俺の右目を抉り取った。


 視界が狭まり、動く気力を失った俺を一瞥することすらなく、総帥は立ち上がって俺から離れる。

 金属が擦れる音がして、牢の扉が閉まった。このまま俺が自然死するのを見届けるつもりなのだろう。

 自分でも分かった。穴が空いても動き続ける化け物の心臓の動きは段々緩慢となり、四肢の先は冷たく熱を失っていく。


「だからまた方針を変えた。天恵──ぼくの過去視は監視カメラのようなものなんだけれど、それを使って地下街を調べた結果、きみが虹化体の力を使っているのを見たんだ。だからこうしてきみを捕らえることができたという訳だね」


 総帥は手のひらの眼球を弄びながら、楽しそうに言葉を続ける。


「きみはぼくの計画を……人生を何度だって乱してくれた存在だ。ても結果的にぼくにとって最良の終わり方となった。きみの体は朽ちずに虹晶となる。みーちゃんの目覚めのために有効利用させていただくよ。だからもう、死んでくれていい。良かったね。きみは妹は救えなかったけど、……いとこであるみーちゃんの命は救えるんだ」


 俺の意識はもうほぼ失われていた。耳の奥で誰かが騒いでいる気がするが、声を聞く気にもならない。

 揺らぐ視界の中で、総帥だけがにこりと笑みを形作った。


「さて、ぼくは1憤怒を追い返してくるよ。このままだといつ建物が崩壊してしまうか分からないからね。……アレは多分、触れてはいけない│天災・・だ。あの武装を身に付けた依呂葉ちゃんを短時間で殺してしまうのだから、今ここにいる破虹師は束になっても敵わないだろうね。《憤怒》がきみを追っているというのなら、きみの肉体の一部である│コレ《・・》があれば多少は気を逸らせるかもしれない。その間にきみを殺してしまえばいいからね……少し待っていてね、慧央くん」

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