全ては手遅れ(上)


 2100.7.21.

《同時刻》


 大罪虹化体が出没したと聞いた破虹師の反応は、2つに大別できる。

 1つは諦めだ。大罪虹化体は人間には到底敵わない戦闘力を持っているが、その事実を前にしても破虹師たちは市民の安全を第一に考えなければならない。避難誘導や救助活動をする過程で同僚が死んでも、自分が死にかけても、守るべき市民がそこにいる限り決して逃げることは許されないのだ。

 破虹師として戦闘服を纏ったその瞬間から、彼らは奉仕者として職務を全うすることが求められる。


 そしてもう1つは、──武器を取って戦うというもの。


 軍という名を冠しつつ階級制度のほとんどない破虹軍において、唯一設置された特別階級、《北斗七星》。これに属する破虹師たちは、総帥への忠誠と類まれなる能力を存分に振るって、人智を超えた災厄である大罪虹化体と向き合う義務がある。

 逆に言えば、大罪虹化体と渡り合えると判断された破虹師だけが北斗七星になれるとも言えるが。


 冗談じゃない、と山田は眉をひそめた。

 いつものようにパトロールをしていた山田は、虹化体と会敵した。しかしすぐには動き出せなかった。

 理解が出来なかったからだ。何故なら、山田の耳には虹化体の出現を知らせるアラームは聞こえていなかったし、はっと目を落としたストレス計測値もオールグリーン。虹化体が出現する条件を何一つ満たしていなかった。

 この感覚には、覚えがあった。

 破虹軍の探知をすり抜けて虹化体が出現する時……近くに何がいるのか。山田もそれを知っている。本当に冗談じゃない。


 とはいえ、虹化体を見つけたからには討伐しないわけにはいかなかった。

 山田は虹化体に接近すると、展開した蜺刃を振り抜く。3回。二太刀は変形する体の端を掠めただけに終わったが、最後の一太刀は辛うじて胴に入った。黒塊にすっと入った切れ込みに被せるように蜺刃を突きの要領で差し込むと、両腕で握った刃の先に異物を感知する。核だ。


「ふっ……!?」


 そのまま核を潰そうと両腕に力を込めた山田は、まるで壁に激突したかのような衝撃を感じた。がくんと体の重みが蜺刃にかかり、視界が揺れる。蜺刃を包み込む黒いヘドロが、あまりにも重かったのだ。

 並の虹化体なら蜺刃でその身をバターかなにかのようにスライス出来るはずだ。しかし今山田の手に返ってきた手応えは、まるで底なしの沼に全身を埋められているかのような……


「あっ……そのまま止まってて……っ!!」


 そのまま核を潰すのは、太刀を振るったあとの崩れた体勢では難しい。

 一瞬の緩みから山田は体勢の回復動作が遅れ、虹化体は山田の付けた薄い切り傷を見る間に塞いでしまった。虹素では退けることの出来ない蜺刃だけが、虹化体に刺さっている状態だ。この重さでは引き抜くことも難しいだろう。しかし武器を手放す訳にも行かない。

 山田は文字通り虹化体の体に縛り付けられた状態に陥った。上空からは山田を狩ろうとする虹化体の触手も降り掛かってきている。事態のあまりの厄介さに、山田の目には涙が浮かんだ。


 ──こんな相手でも、依呂葉ちゃんなら瞬殺なんだろうなあ。


 弱音が漏れそうになった山田は、舌打ちしてそれを誤魔化すと、刃を90度回転させ強く握り直す。力が足りないのなら、足すまでだ。それがトリガーとなり、戦闘服の首元の赤い鉱石がきらめく。ポンプのようにそこから送り出された虹素が、唸るワイヤーを通じて、山田の筋肉へと送り込まれる。

 体内に侵入した虹素は山田の「願い」を確かに聞き届け、筋繊維の収縮範囲を限界以上に広げた。全身がぞわりと粟立つ。これが戦闘服の真髄、筋力ブーストであった。


「……それっ!」


 ブーストされた山田の腕は恐ろしいバネを発揮し、山田の制御できる速度をとっくに超えた勢いで、無理やり黒いヘドロを右に掻っ切った。

 飛び散る黒い虹素の中に赤い核も見える。体勢を制御しきれずバランスを崩しそうになるのをグッと堪えて、というより転びかけた落下エネルギーを無理やり推進力に変換して、山田は転がる核に追いすがると刃を突き立てた。

 ガシャンとそれを潰した瞬間、山田の視界が急に暗くなり──ざぶん! という音と共に山田は地に伏してしまう。


「いっ……たぁ……なんだよもう……」


 何が起きた? と考える必要もなかった。

 自分を襲おうとしてきた虹化体の触手が、山田が思っていたより近くまで迫ってきていたのだろう。核を壊されたことで自律できなくなったそれが、重力に従って山田に降り掛かってきたのだ。

 ……つまり核を壊すのがあと一瞬でも遅ければ、触手に貫かれていたということだが……結果として山田は勝った。それ以上考えるのは今やるべき事ではない、と無理やり結論づける。


 ヘドロからやおら這い出した山田は、腕や足を軽く振って怪我の状況を確認した。倒れた時に小さな擦り傷ができはしたが概ね無傷のようだ。山田はすぐさま懐から新たなデバイスを展開すると、散らばる虹晶を回収し始めた。これを残しておくと虹化体が再発してしまうので、ここまでやって初めて虹化体討伐が完了すると言える。


 山田──本名山田太郎は北斗七星だ。

 破虹師になって間もなく、弓手総帥(と以下四名の署名)によって北斗七星に「させられた」。

 しかし見て分かるように、山田の戦闘力はさほど高くない。虹化体の力を使わない慧央と同じか、もう少しマシと言った程度だ。現に、破虹軍では今憤怒の虹化体が猛威を奮っているが、東京本部に2人しか居ない北斗七星のうちの1人であるはずの山田には召集がかかっていない。戦力としてカウントされていないのだ。


 弓手が山田を見出したのは、所有する天恵のためだと山田にも分かっている。

 山田に宿る天恵には《均衡》という名前がついており、周囲の人間を極限まで平均化した情報を自らに投影し、限りなく自分の色を消す力がある。

 その効力は極めて強く、ごく親しい間柄の人間以外は山田と会話した次の日には山田の存在を忘れているし、自動ドアは50パーセントの確率で反応しない。あまりに無差別で理不尽なその力を山田は制御できず、常にフルオートで発動させてしまっている。そのせいで天恵を入手してから7年もの間、彼は自己を消して生きることを強制されてきた。友人はもちろん両親からも忘れ去られた。投影されるのは視覚的情報も含まれるため、もう山田は自分本来の顔がどうだったのかもよく覚えていない。


 弓手が目をつけたのは、その「投影」する力だ。

 山田の天恵は性質上周囲の人間の情報を強制的に搾取できるため、他人の胸のうちを読み取るように使うことも出来るのである。

 山田を北斗七星として山田を弓手の近くに置くことで、山田の天恵を欲しがる刑事課との連携を取りやすくしようとしたのだ。推薦のために集められた署名を見て泣きそうになっていた山田に、弓手は「名義だけ、名義だけね。北斗七星は端末の特別回線が使えるようになる。そうした方がぼくと連絡とか取りやすくなるし……」と言った。


 山田自身は戦うのが好きではない。

 戦えば傷付く。今だって擦り傷が思い出したかのようにじくじく痛み出しているし、無理な負荷を掛けた両腕の筋肉は微かに痙攣している。明日は筋肉痛に苦しむことになるだろう。戦闘服を着た時点で身体能力のブーストは多少かかっているが、今山田が行ったのはそれ以上のブーストだ。繰り返せば肉体が傷つく、まさに奥の手。

 今の戦闘だって運が悪ければ死んでいたかもしれない。死ぬのは怖い。……虹化体と向き合う時は必ず、身がちぢれるほどの恐怖を感じるくらいだ。


 なら何故山田が破虹師を辞めないでいるのか。

 ──それは弓手のためだ。


 山田が破虹師になったのは、ある理由から虹化体に負けないくらい強くなりたいと思ったのと同時に、天恵に苦しめられ疲弊した精神の中で、「ここなら僕をまた見てくれる人がいるかもしれない」と思ったからだった。

 願いは果たされた。軍の入口で自動ドアに阻まれていた山田を、弓手はひと目で見つけ出した。そして「歓迎するよ」と言い、北斗七星としてではあるが重用してくれている。

 その日から山田は弓手に絶対の忠誠を誓う事を決めたのだった。

 誰からも忘れられ「死んだ」自分を再び救い上げてくれたたった1人の人物、それが山田にとっての弓手だ。

 その弓手に頼まれたから苦手な戦闘もやった。戦績は芳しくなく、忘れられてしまうために対して面識のない破虹師にバカにされることも珍しくない。──それでも、こんな自分の働きで総帥が1ミリでも助かるのなら、この職を投げ出す選択肢なんて吹き飛んでしまう。と山田は本気で思っている。


 虹晶の回収を終えた山田はふうとため息をついた。


 今の虹化体、野良で出現するものとしてはかなり強い方であった。しかし周辺のストレス値は正常値のまま。


(僕の経験からして、やっぱりこれは大罪虹化体が出ているのかもね。どこかに。……その大きな感情に共鳴して、強い虹化体が生まれているんだろう。あの時みたいに)


 山田は過去に大罪虹化体と出会ったことがあった。命からがら逃げる道すがら、「消えてしまいたい」と強く願ったことでこの天恵が発現したのだ。……この事実を山田は墓まで持っていくつもりだった。誰にも話したことはない。山田と大罪虹化体が出会ったのは7年前だが、その事実は軍の記録にはなかった。

 依呂葉は大罪虹化体の被害を受けて復讐を志したが、山田が感じた感情は「諦め」だった。自分はあれには敵わない。

 山田にできるのは、自分が出来ることだけをひたむきにやること。天国で見ているあの子に笑われないように、自分の身の丈にあった暮らしを精一杯することだ。それが総帥への忠誠にも繋がっている。


(大罪虹化体……か)


 そう呟いて、頭に浮かんだのは慧央のことだった。

 山田のたった1人のルームメイトにして、弓手と並び自分を認識してくれる数少ない友人。何故か敬語を使われているものの、破虹師歴は実は慧央の方が上だ、と山田は長いこと言い出せずにいる。

 その慧央が大罪虹化体に成り果て、そして弓手に討伐された、という知らせは依呂葉と同じくテレビで確認していた。


(慧央くんが僕を騙していたとは思いたくないけれど、でも……そう言えば最近の慧央くんは、前にも増して心を読みづらかったな。僕の天恵は「人間」に働くものだから、多分……その頃にはもう)


 山田も腐っても破虹師だ。同僚が死んでいくことには慣れている。山田のことなんて覚えてもいないような人から、かろうじて顔を覚えてくれていた人たちまで、多くの破虹師が死んでいくのを見てきた。……とはいえ、たった1人のルームメイトを失ったショックは大きかった。同居人の戻ることの無い部屋にいるのが何だか虚しく思えて、珍しく自分からパトロールに向かったくらいだ。


(最近の慧央くんはどこか必死だったけれど、……何を頑張っていたとしても、死んでしまったら意味がないよね。もっと僕も慧央くんの話を聞いてあげるべきだったのかも、しれない。彼を1人にさせてしまったのは……僕の責任もある)


 虹素を常に浴びている破虹師と言えど、普通に死ぬ限り虹化体にはなることは稀だ。

 死してなお体を激情に駆られていたなんて、慧央が何をしようとしていたのか。山田には分からなかったし、……もう考えても意味のないことだ。

 全ては、手遅れ。


「……慧央くんの分も頑張らなくちゃね」


 山田は頬をぱちんと叩いた。ただでさえ実力で劣る自分が、もしかすると大罪虹化体に侵されているかもしれない街中で気を抜くなんて言語道断──


「あらぁ、可愛いダーリン、見つけ……ちゃった?」


 粘つくような声に、山田の聴神経が覚醒した。

 瞬時に振り向いて見つけたのは、流れるような金髪と、青いインナーカラーの美女。山田の顔が歪んだ。

 自分はこいつを知っている。


「あ……あぁ……お前、は」

「あらぁ、お久しぶり・・・・・ね♡ ちょっと見ない間にもっといい男になっちゃって。……7年前は逃げられちゃって、実はアタシ、結構悔しかったのよ……?」


 山田は天恵の出力を全開にした。女の視界から山田の姿が掻き消える。山田はそのまま女の視界から消えるところまで一気に走ると、たまらず蹲った。もう立っていられなかった。呼吸が荒くなり、喉に酸っぱいものが込み上げてくる。


 山田はあれを知っていた。色欲の虹化体だ。

 そして、7年前に山田とあの子・・・を襲った張本人でもある。

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