最強と災厄


 2100.7.21.

《正午》


 総帥室から飛び出し、外に出た依呂葉が見たのは、既に敷地内に侵入しつつある虹化体の群れだった。大きく舌打ちをすると、鎧を纏った腕を握りしめる。


「どこにいるの」


 右腕を真一文字に薙ぐ。その軌道上にいた虹化体は、核を的確に破壊されて虹素へと還った。悲鳴すらあがらないほどの速撃を繰り出した依呂葉は平然としているように見えたが、拳はギリギリと音を立て、瞳はどす黒い怒りに塗りつぶされている。依呂葉は跳ねた。己の勘に従い、目につく虹化体を全て殴り、蹴り、潰し、寸分の狂いなく滅した。

 正に鬼神と形容するのが正しいその戦いぶりは、周囲にいる破虹師たちを震わせる。

 亜門が消えても破虹軍は強い。まだ人類に希望は残されている。……それを依呂葉はまさに体現していた。


「どこにいるの、大罪は……!」


 しかし、その依呂葉に周りの破虹師たちの姿は見えていない。虹化体は潰し、虹化体以外・・は本能で避ける。彼女がやっている事はシンプルにただそれだけだ。彼女にとって、虹化体以外の存在は全て等しく「傷つけてはいけない」カテゴリに入れられているに過ぎない。

 他人を弱者として戦力の勘定に入れない亜門とは異なるが、依呂葉もまた本来は1人で戦う方が性にあっていたのだ。


 その依呂葉に、亜門の蜺刃──個で虹化体を滅することが出来る蜺刃が渡った。本来破虹師は群れで虹化体を討伐するのがセオリーなのだが、その概念を破壊する武器だ。

 つまり、もう彼女を止められる存在はこの場にいないということになる。

 唯一のストッパーであった慧央もまた不在だ。

 依呂葉は生まれて初めて、すべてのしがらみから放たれた状態で拳を振るっていた。


 10年前に家族を失った依呂葉は、そのまま軍に引き取られて育てられる運びとなった。その頃にはもう既に依呂葉の目には「虹化体」か「それ以外か」しか映らなくなってはいたが、破虹師や事務課の職員たちに可愛がられるような愛想のいい娘を「演じて」きた。

 常に笑顔を絶やさず、自らの心の闇はひた隠し、粛々と戦闘能力を磨いてきたのだ。その結果、ファンクラブという大それたものが出来上がってしまうくらいの人望を獲得した。


 その日々を辛いと思ったことはなかったはずだ。本来ならのたれ死ぬはずだった自分を保護してくれた軍に恩義を感じてはいたし、そもそも慧央や実の両親に対しても依呂葉は常に笑顔を心がけていた。作り物の笑顔であっても、それで周りが幸せになってくれるのなら、幸せなことだ。「最強」の偶像であり続けた亜門を間近で見てきた依呂葉は、笑顔でいることこそが自分に出来ることなのだと思ってもいた。

 ──それでいいのか? という疑問は、心の奥底に封じ込めてきた。


「……ふっ!」


 依呂葉は虹化体を潰す腕に力を込めた。蜺刃がミシリときしんだ。どうやら依呂葉の感情が、蜺刃を循環する虹素のキャパを超えつつあるらしい。出力が足りない。歯を食いしばる。

 依呂葉の力は弓手の想定を大きく上回っていた。

 どちらも個として強い亜門と依呂葉の最大の違いは、感情の出力だ。亜門の精神は強く固くいかなる時でもぶれない。その安定性に裏付けられた超密度の攻撃で、これまで最強の名をほしいままにしてきた。

 対して依呂葉の武器は、感情のムラだと言えるだろう。普段は穏やかな彼女が虹化体と会敵した瞬間に見せる狂気──その身が爆弾になったかのような瞬間的な出力は、亜門のそれを超えつつあったのだ。

 このままでは負荷に耐えられなくなった虹素が蜺刃から漏れだし、依呂葉自身の体に害を与える可能性もある。

 しかしそれでも良かった。


 人生の、そして戦いの師でもあった亜門が唐突に破虹師をやめた。それに思ったほど動揺せず、むしろ受け入れている自分が居ることも依呂葉にはわかっている。

 依呂葉は微かに悟っていた。きっと心のどこかではこうしたかったのだ。誰にも阻まれず、自分の体だけで敵を殺したかった。全ての虹化体を滅ぼしてから死ぬ。それまでは死なない。いや、虹化体は虹がある限り滅ぶことはない。……ならば、戦いの最中で、死にたいと思っていた。

 10年前の重く辛い記憶から逃れるために四肢をがむしゃらに動かし、苦しみに喘ぎもがいているという表現が正しい有様であっても、依呂葉は戦うことをやめなかった。手近の虹化体の核に手刀を突き入れた時、とうとう蜺刃にヒビが入る。


 戦う依呂葉に声をかけるものがあった。依呂葉は自らの戦闘に水を差す破虹師を睨む。今の依呂葉の目に破虹師が人間として映っているかは分からない。破虹師は依呂葉の視線に晒されながらも声を張り上げた。


「依呂葉さん。落ち着いてください。こちらは我々で何とかします。……あっちをお願いできますか!」

「……あっち?」

「はい。僕達一般の破虹師では、あれとは戦えません。……北斗七星であるあなたの力に、縋るしかない」


 依呂葉は地面にしっかりと足を着くと、頭を振った。煮え立っていた頭が少し冷え、狭窄していた視野がゆるりと広がる。見れば、軍の中庭は依呂葉自身の戦闘によって滅茶苦茶に破壊されていた。依呂葉の感情のムラは凄まじい攻撃力を発揮するが、その分理性や思考力を犠牲にしてしまうきらいがあった。いや、問題はそこではない。


「大罪虹化体ってことか」

「はい。丁度建物の西側の方に──」

「ありがとう。大丈夫。5秒後にここに来るよ。見えた・・・から」


 え? と口を開ける破虹師の前で、依呂葉は赤い瞳をウインクさせ──次の瞬間には、再び獣のような笑顔に戻っていた。


「よりにもよって、アレが向こうから来てくれるなんてね……!! あはは!!」


 依呂葉はその場を駆け出し、ヒビの入った右腕を大きく振り上げる。全身のバネを使って捻りあげたその力を、何も無い空間に向かってハンマーのように振り下ろした。ように見えた。

 依呂葉の拳が最高速度に達するその瞬間、空気が揺らぎ──何かが現れる。虹化体だ。依呂葉の拳は虹化体のど真ん中に着弾し、その威力は減衰することなく浸透した。


 黒いモヤのようなそれは依呂葉の打撃によって勢いよく地面にめり込み、それに足らず行き場を失った衝撃は虹化体の全身を千々に裂く。大地が震えるほどの衝撃と飛び散る虹素の塊に晒されても、依呂葉の顔は少しも変わらない。

 核の位置の目星は付いている。顔にへばりつく虹素にも構わず、依呂葉は足で真っ直ぐに核を踏み抜くべく体勢を整えた。僅かな硬直の後、ロケットのように脚が垂直に突き刺さる。


「……っ、これは」


 誰もがぐしゃりと核の潰れる音を予期したが、現実はそうならなかった。

 核を貫かんとした依呂葉の足は、太い虹素の触手で固く絡め取られている。依呂葉は素早く刀型蜺刃を展開すると、足を押し潰そうとするそれを切り裂き、虹化体から距離を取った。

 その数瞬のうちに、黒い液だまりでしかなかった虹化体は体をめきめきと形成していく。


「よォ、手荒い歓迎じゃねェか。……こちとらひっさびさの外出だってのによ!」


 漆黒の体に1本の太い角。

 そして迸る無限のプレッシャー。


 憤怒だ。

 依呂葉が10年間追い求めてきた憤怒の虹化体が、まさにそこに立っていた。

 ──宇佐美のいたアジトに封印されていた《憤怒》が、ロルリラによって解き放たれたのである。


「……憤怒……お前が……お前が私の……家族を……っ」


 依呂葉の両腕はわなわなと震えた。怒りとも喜びともつかぬ感情で胸が満たされていた。

 「角の生えた」虹化体こそ、10年前に相友家を襲い、おびただしい数の死者を出した本人そのものだ。依呂葉の虹化体に対する憎悪の根源、両親の仇にほかならない。

 依呂葉はこれを倒すために、10年間努力してきた。

 師と同じ地位にまで上り詰めた。今の私ならやれる。……この世の虹化体全てを倒すことは不可能でも、コイツだけは始末してみせると確信していた。


 ──しかし、と思う。目の前にした憤怒の姿。それに、なにか違和感があるような気がしてならなかった。

 10年前の記憶は依呂葉にとって大きなものだ。自らの信念の根源にもなっているが、だからといって常日頃から思い返しては自らの運命を呪っているわけではなかった。

 依呂葉にとって大事だったのは、角の生えた虹化体が家族を殺したという事実ただそれだけだ。恐怖とトラウマに霞んでいた記憶を鮮明に思い起こせるのは、今日のように悪夢を見た日くらいであった。

 だからこそ、ついさっき悪夢を見て思い出した記憶の中の虹化体と、目の前の憤怒を比べて何か変だと思った。


 そうだ、と気付く。

 記憶の中の虹化体は……その全長が大きく完全に頭部まで視認できていたわけではなかったものの、角が頭の側面から……おそらく2本、突き出ていた。

 対して目の前の憤怒は、額から大きく伸びた角が1本あるだけだ。

 憤怒の虹化体はその凶悪性と反比例するように目撃例が少なく、依呂葉が目を通したことのある資料には、その特徴は「角が生えている」という一文しか記されていなかった。だから幼い時に見た角の生えた虹化体を《憤怒》だと思っていた訳だが、──これはつまり、世界には二本角の虹化体と、一本角の虹化体が別々に存在するということなのか?


(え、それっ……て)


 足元がぐらぐらと揺れるような混乱の渦中にいる依呂葉をよそに、何が楽しいのか憤怒はケラケラと笑っている。


「まあそうカッカすンじゃねェよ。オレ様は今機嫌がいい。……ちょっと頼みがあンだ」

「虹化体の言葉なんて、聞かないよ」

「いいから聞けって」


 憤怒はゆらゆらと依呂葉に近付いてくる。その足取りに警戒の色は全くない。

 今しがた依呂葉に核を潰される寸前まで至ったとは思えぬほど、憤怒は何気ない様子で依呂葉と会話を試みようとしていた。


「……相友慧央って知ってるか。破虹師やってンだろアイツ。そいつを出せ。オレはアイツに用がある」

「お、お兄ちゃん……?」

「オニイチャン? は、じゃあもしかしておめェが慧央の妹か。はあ〜……なるほど。似てやがるな」


 慧央のことは考えないようにしていた依呂葉だったが、大罪虹化体の口から兄の名前が出たことで嫌でも意識せざるを得なくなる。

 思えば2週間ほど前に慧央と2人で虹化体討伐に出た時、慧央は依呂葉に何かを隠す様子を見せた。虹化体相手に手も足も出ず宙吊りにされていた慧央は依呂葉に「目をつぶれ」と言い、言われた通り目をつぶると、その数秒後には虹化体は核を破壊されていたのだ。……しかもその辺りから、慧央は依呂葉をやや避けるような動きも見せていた。


 家族に不信を抱くなど、あってはならないことだ。慧央は依呂葉にとってたった1人の肉親だったから尚更だ。……けれども、ここまで様々な要因が重なってくると、依呂葉もあることを本気で認めなければならなくなる。

 慧央と大罪虹化体に、繋がりがあったのではないかということ。

 慧央が大罪虹化体として、総帥に処分されたということ。


「……お兄ちゃんは、討伐されたから、ここにはいない」

「討伐ゥ? そんな見え透いた嘘に騙されッかよ! アイツが死ぬわけねェだろ。何回殺してもゾンビみてェに蘇ってきやがって。いい加減決着つけてェんだよ」

「お前とお兄ちゃんの間に何があるのかは知らないし、……知りたくもないけど、死にたいなら私が相手してあげる」

 

 依呂葉は再び戦闘の体勢を整えた。彼女にとって虹化体と意思疎通をしたのは初めての事だったから、少々気が取られてしまったが……本来はすぐにでもこうすべきだったと思った。

 人間と虹化体は、相容れない。

 兄が虹化体だったというのなら、……依呂葉と慧央の関係はそこまでだ。今目の前のこいつを殺して、慧央も探し出して殺して、また虹化体を狩る生活を始める。

 「最強」の名を襲名した彼女に、もはやそれ以外の生きる選択肢は無いかと思われた。


「……へっ、そうかよ」


 覚悟を決めた依呂葉に、憤怒は軽薄な笑みを浴びせた。


「悪ィけど、オレはどこぞの痴女と違って女には興味ねンだわ。……だって、女ってのは脆くてすぐ死ンじまうからな……」

「〜〜〜〜ッ!」


 依呂葉の思考は一瞬にして爆ぜた。耳の中でぶちんと何かが切れる。それは理性が切れた音なのか、怒りのあまり血管が弾けた音なのか。

 依呂葉にとってはもうどうでもよかった。

 早く目の前の汚物を潰して、虹化体を滅して、……快適な世界を作ってやらねばならない。

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