全ては手遅れ(下)
山田はあの時、あの子を守ることが出来なかった。
「逃げて」というあの子の言葉に馬鹿正直に従い、そんな自分の不甲斐なさに泣きながら、走って逃げたのだ。
自分はその過去と向き合い、あの絶望を糧にして今まで破虹師をしてきた……と思っていた。しかし現実は、あの女を一目見ただけで、背中を向けて逃走。天恵で姿を隠してうずくまっている。何一つ変わっていなかった。否、大罪虹化体に立ち向かうという北斗七星としての義務を放棄してすらいるのだから、もっと悪い。
「隠れんぼかしら♡ 昔と同じだわねぇ……♡」
遠くから色欲の声が聞こえて、山田はヒュッと息を吸い込んだ。──天恵が完全には効いていない。山田の全力を持ってしても、色欲の脳から山田を消し去ることが出来なかったのだ。ならばここに留まっていればいずれ見つかる。
脳内にはっきりと死の文字が浮かんだ。逃げなければ。しかし、立ち上がろうとしては膝が抜けて地面に逆戻りするのを繰り返してしまう。あまりに悔しくて、目に涙が滲んだ。
(僕はいつもこうだ。こんな天恵を手に入れてしまったのも必然だよ。……出来ないことは出来ないままでいいって、どうせみんな僕のことなんか見てないからって、みっともなく生き延びてきただけ)
山田は荒い息を繰り返しながら、ぐっと歯を噛み締める。
(……きっとあの子は……
「やっぱり一度くらいは、かっこいいとか、頑張ったねとか、……言われたかったから……ッ」
「見つけたわよ♡ ダーリン♡ 姿を隠すのが上手いのね。でも、アタシたち虹化体は虹素を辿ることが出来るの。ダーリンの体にべっっっとり付いた虹素……アタシには丸見えよ」
山田の心を折るように、背後に色欲は現れた。色欲は山田の肩を掴むと自らの方を向かせる。山田は全身を震わせながらも──蜺刃を取りだした。
「あら、ダーリン。アタシとやる気? 言っとくけどアタシ戦うのも強いわよ♡」
「知っ……てるよ。でも僕はきっと、ここでまた逃げたら後悔するんだ」
「オスの考えることはよく分からないわね。……でもそこが愚かで可愛くて、大好き」
山田は何も答えず、蜺刃を振るった。色欲はそれを軽々と避けると、後ろに下がりながら立ち上がる。一瞬遅れて立ち上がろうとする山田に、鋭いピンヒールの蹴りを突き刺した。
「────ッ!!」
山田はそれを奇跡と言ってもいいタイミングで避けることに成功した。胴を狙った蹴りを僅か数センチ躱したが、その風圧だけで山田の体は抉られたような衝撃を感じる。
やはり、大罪虹化体は格が違う。
山田と異なり純粋に戦闘能力を買われて北斗七星になった人間ですら、大罪虹化体の前では時間稼ぎに終始することになる。そんな存在に山田が敵うわけがない。
それでも山田は願った。今だけでいいから、戦いたいと……
首元の石が赤く輝き、最大出力の虹素が山田の全身を巡った。
山田の体は弾かれたように飛び上がると、一瞬で色欲の背後に回る。人間の範囲を超えた移動速度の中で、山田の視界はクリアだった。目にも虹素が回っているようだ。
こんなことをして、体はただではすまないな、とどこか遠くで思う自分を山田は知覚していた。しかし今はやるしかなかった。山田は弱い。人を守れる強さなんてないのはよく分かっている。
でも、僕だって破虹師になったんだ。
ぶちぶちと筋繊維が切れる音を聞きながら、山田は刃を色欲の首目掛けて振り下ろし──鋼鉄を叩いたような、硬い音を立てて弾かれた。
「な」
「ウフフ。速いだけならウチにもいるのよ♡」
先程の虹化体は、刺した蜺刃が抜けなくなる程度の虹素の密度があった。しかし色欲の体はそれを上回っている。……虹化体に対する特効薬であったはずの蜺刃が、通らない。
山田はそれにも冷静だった。恐らく色欲は山田の刃が首を狙うことを察知し、そこだけ強度を上げたのだ。狙いは攻撃が通らなかったことに対して山田に隙が生まれることだろう。だから山田は敢えて斬撃を続けた。全てを躱されるか弾かれても、山田は腕を止めない。止めたら、もう何も出来なくなってしまう。
「……ダーリン」
必死の形相で攻撃を続ける山田に、色欲はため息をついた。
何気ない所作で、蜺刃にバチバチと打たれるのにも構わず、白い腕を山田に向かって突き出す。
そのまま、山田の蜺刃を片手で掴むとばきりと折った。
蜺刃の破片がくるくると宙を舞い、落ちて澄んだ音を立てる。
「……え、うそ」
その音がすっと空に溶ける頃、色欲は静かに口を開いた。
「時間切れよ。そろそろ怒田が暴れてる頃でしょう? 早いとこダーリンを食べさせてちょうだい。……せっかくルティを殺して怒田を解放してやったのに、アイツが暴れるところを見逃したら意味ないわ」
山田は続けて両腕の骨も折られる。
鈍い音が響くと同時に、山田の意識は痛みから混濁し始めた。
「アタシ、怒田と違うからこんな風に……骨を折る
山田にはもう為すすべがなかった。武器は取られ、腕もろくに動かせない。戦闘服に蓄えられた虹素はまだあるが、……身体能力をブーストしたところで色欲に立ち向かえるビジョンが全く見えない。
否、山田には初めから分かっていた。それでも、相打ちくらいはできるんじゃないかと期待していなかったと言われれば嘘になる。その結果がこれか、と山田の目の前がぐっと暗くなった。
「……ダーリン、酷い顔ね。でもすぐに良くなるわ……本当はアタシだって石化してないダーリンを抱きたいと思ってたの」
そう言って色欲は山田を抱き抱えようとして、やめた。顔をしかめると立ち上がり、前方を見つめる。
山田もそれに倣って視線をぬるりと動かすと、何か珍妙なものが近付いてくるのが見えた。
目の部分だけが透明のビニールに覆われた白い作業服のようなものを被り、手に黒い塊……虹晶を握った……恐らく男。かなり身長がある。山田は叫ぼうとした。ここには大罪虹化体がいるのだ。近付けばただでは済まない。
「……今すぐそれから手を離せ」
しかし男は動じた様子もなく、色欲にそう言ってのけた。
次の瞬間には色欲の側まで移動してきて、山田を握るその腕を切り落とす。蜺刃ですらない、虹晶で、だ。
色欲は気迫の籠った叫び声を上げると、素早く腕を再生させて男と向き合う。
「昨日ぶりね、よく分かんないダーリン。宇佐美とは仲良くしといてアタシのことは嫌いなの? 妬いちゃうじゃない♡」
「弱者と話す趣味はない」
「──言ってくれるわね、アンタ」
次の瞬間、ひたすらに大きな力がぶつかり合い──戦闘が始まった。
山田の目には何が起きているかすら分からない。
ただ、綺麗に舗装されたアスファルトが砕け、風圧で建物が大きく凹み、折られた腕の痛みによって時間経過が把握できるだけだ。しかも、時折目に映る色欲は全身から赤い血を流していた。山田では傷一つ付けられなかった化け物が、謎の男に押されている。
しかし色欲の顔から余裕が消えることはなかった。1度大きい蹴りを繰り出して男の上体を反らせると、動きを止める。
「でも、良いのかしら? ダーリンは男で、アタシは女。そしてアタシにはあの力がある。……昨日だってダーリンはアタシの力には手も足も出なかったじゃない。全く、モテる女って困るわね♡ 雑魚に纏わりつかれて」
色欲が瞬きをすると、青色だった瞳が緋色に染まった。まるで天恵を使用した時のような変化とともに、色欲の笑みが深まる。
「ハハハ! お眠りなさい、ダーリン♡ アンタには大分痛めつけられちゃったから、殺すわ」
ばちん! と長いまつ毛を震わせてウインクをすると、男は動きを止め──はしなかった。むしろ猛然と勢いを増し、色欲に切り込んでいく。
「ウッソ、何で? ダーリン性転換手術でもしたの?!」
「簡単な話だ。目を見て力にかかるのなら、目を見なければいい。……目を閉じていても、貴様の攻撃を読むのは簡単な事だ」
男の攻撃は目を閉じているとは思えないほど正確で、重く、色欲を追い詰めた。その表情は山田を相手していた時とは異なり、必死さが浮かんでいる。
それをただ見ているだけの山田にも、両者の動きの洗練されていることが分かる。……山田にはもう、男の正体が分かりかけていた。痛む腕に構わず、胸の前で固く拳を握る。
「……何で、貴方は」
男は口汚く喚く色欲の足を掴み、地に叩き付ける。およそ人間が出しては行けないような金属音を立てて地面が砕ける。しかし衝撃を吸収しきれなかったのか、色欲の右肩は完璧に破壊され、ぶらぶらとくっ付いているだけの状態だ。
「そこまでして……」
色欲も残った左腕を触手に変えて男を貫こうとするが、蜺刃を跳ね返すほどの超密度を誇るそれはゼリーのように切り裂かれた。むしろ飛び散った自分の破片に視界を覆われてしまった色欲は、男の拳を顔面に正面から受けてしまう。
ふらつく顎を男はしっかりと掴み、身長差を見せつけるように色欲の体を宙に持ち上げる。色欲は脳まで揺らされ、意識もあやふやといった状態に陥った。
数瞬前の山田と同じだ。その顔には諦めが宿っている。
「貴様は弱い。弱い故に人を傷つける。私はそれを許せない」
「アタシを殺したところでなんにもないわよ。……街を壊すのはアタシより怒田の方が全然得意だし」
男は色欲の頭を握り潰し、ついで心臓部分にあった核を砕いた。人の容姿を保っていたはずの肉がデロデロと黒変し、やがて固まって虹晶になっていく。……それで終わりだった。
山田を絶望の淵にたたき落とした色欲の虹化体は、突然現れた謎の男によって、討伐されてしまった。
男はそれのまとわりついた手を払うと、山田に向き直る。
「無事か、山田」
「…………
「……それなりに顔を隠したつもりだったのだがな」
男──亜門は作業服の頭部装甲を外し、少し決まりの悪そうな顔を山田に向けた。
「分かりますよ。大罪虹化体と渡り合える人なんて、貴方か依呂葉ちゃんくらいしか……いませんから」
「私はもう破虹師ではない。だがしかしこれだけは言わせてもらう。……貴様は弱い。だから」
「分かってますよ! もう、もう……十分すぎるくらい」
山田は落ちていた虹晶を拾った。折れた腕は動かすごとに灼熱の痛みを発し、目がつんとして涙がこぼれた。
「山田」
「僕は弱いです。強くも、なれない。……破虹師をやめて、北斗七星から解放されて、もう何もしなくていいはずの貴方に助けていただいて、僕は……僕はほっとしました。僕はまた逃げた。僕はもう……こんな僕を、許せない」
もういいだろう。……自分が生きていたところで、もう、恥を上塗りしていくだけだ。
(僕はきっと生きるのに向いていないんだろう。思えば僕の意識はいつも、目の前じゃなくてどこか遠くを向いていたような気がする)
それなら……
「あの子に、怜に、会いに行きます。叱ってもらわなきゃ。こんなダメな僕を……」
呆然と立つ亜門の前で、山田は首に虹晶を突き刺した。吹き出す鮮血と、力の抜けていく体。
ばたりと崩れ落ちた山田の体を見て、亜門の顔は険しく歪む。
「……何故、だ。何故、こうなる。私は何を……いや、何から、間違えているのだ」
*・*・*
2100.7.21.
《同時刻》
「──今の聞こえた? 慧央くん。山田くん死んじゃったみたいだけど」
外の灼熱から隔絶された、薄暗い牢獄の中。
頭を矢で射抜かれたはずの慧央は、四肢を拘束されて地べたに這いつくばっていた。
鉄格子の外に立つ弓手は、楽しそうに端末を慧央に振りかざしている。
「これね、今戦ってる破虹師たちの端末のマイクを無断で傍受できるんだけど、……つまりこの苦しそうな声の数だけ、外では戦闘が起きてるんだよね」
「きみのせいでね」
「さっき依呂葉ちゃんの端末から聞こえてきたけれど、どうやらこの建物を襲ってる憤怒の虹化体は、きみを探しているみたいだ……」
弓手は牢の扉を開けると、中に入った。無反応を貫く慧央のそばにしゃがみこむと、頭を無理やり掴みあげる。その顔と体は既に無数の傷が付けられており、監禁がしばらく続いていることを思わせた。
「……吐くまで続けるからね、事情聴取」
「……だから、俺は何も知らない」
弓手はその細腕からは想像もつかない力で、慧央を地面に叩きつける。
「早く認めなよ。──きみは大罪虹化体の一派と繋がりがあって、10年前のあの日相友家本邸に現れ……ぼくの婚約者であった
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