追憶//依呂葉の場合(1/3)
2090.7.7.
《10年前・千葉大災害当日》
その日はよく晴れた七夕だった。
それはもうよく晴れていた。これで今夜天の川が隠れるなんてことがあれば全世界から糾弾されるだろうと思うほどの、綺麗な青空だった。
梅雨の合間のささやかな晴れ間とはいえ、雲ひとつない空にかかる虹は普段よりはっきりと感じられる。虹からパラパラとこぼれ落ちているのだろう虹素が見たくて、幼い少女は身を乗り出した。青い空と七色の虹が溶け合うその境目を、黒い瞳に焼き付け──コツンと窓ガラスに額をぶつける。
いてっと小さな悲鳴が響き、少女の体はシートベルトの引力によって座席に吸い込まれた。家族4人を乗せた車がその衝撃に揺れる。隣に座っていた幼い少年は苛立たしげにそれを睨んだ。
「依呂葉、ここは高速道路だぞ。シートベルト締めてるからって暴れるなよ。そういう所、すごく子供っぽい」
「何? 慧央だってそっちから空見たらいいじゃん」
「別に見たいとか言ってないし。こっちはそもそも壁しか見えないから」
「はいはい。ケンカはやめてね、慧央、依呂葉。……トイレとかは大丈夫?」
急に険悪になる双子を見かねた父親が、ルームミラー越しにそう注意した。優しげなカーブを描く眼鏡の奥の瞳は、
慧央と依呂葉は瓜二つの顔を見合せ、しばらく不機嫌そうに見つめあった後、じわじわと笑いを堪えきれなくなった。
今日は金曜日。学校をサボってお出かけをしている今、多少の苛立ちは全て非日常の興奮に置き換わってしまう。
「……うん、大丈夫! さっき行ったもん」
「僕も平気。でもお腹すいた」
「そろそろお昼の時間だね。そこのサービスエリアで休憩にしようよ。そしたら私運転替わるし」
助手席から声を上げた母親の提案に、父親もやや間を開けてから頷いた。ガラガラの高速道路で気が抜けているその腕は緩やかにハンドルを切り、車はサービスエリアへと入って行く。
昼食を取ると、運転手を母親に交代しつつドライブが続いた。正午を回って気温が最高に達する頃、ようやく目的地に到着する。車を降りた双子は、その全景を見て無邪気な歓声を上げた。
ここは千葉で一番の豪邸と目される「
「えー! すご! おっきい家!」
「はは、そうだね。僕も久しぶりに来たけど、なんて所に住んでたんだと今なら思うよ。広すぎ」
久しぶりの生家をしばらく眺めていた父親はくるりと双子を振り返る。
「じゃ、パパとママは親戚の方々に挨拶してくるから、2人とも家の中を探検しておいで。……あんまり大きな声で騒ぎすぎないようにね」
*・*・*
こんなに広い場所を探検できることほど楽しいことはない。慧央と依呂葉は両親と別れると正面の大きな扉を開けて中に入る。空調の効いた室内はひんやりとしていたが、それ以上にどこか重い空気が漂っていた。目に入る様々な絵画や装飾がふんだんに施された内装のせいかな、と依呂葉は思う。まるで別世界に迷い込んだようだ。
「ホントに大きいなここ。なんだっけ今日……
「てか七夕生まれ! いいなー! 私も慧央も8月8日生まれだもんね。どうせゾロ目なら七夕が良かった」
「でも、七夕祭りと誕生日を一緒にされるのはなんか微妙じゃないか?」
「それは言えてるかも。七夕祭りのお小遣いを誕生日プレゼントって言われたらたまんないや」
母親に持たされたストラップ付きの携帯を胸に垂らしながら、双子は屋敷の中をくまなく歩いた。見つけた階段は全て上り、全ての部屋の扉を開けてみる。当然ほとんどは鍵がかかっていたが、たまに開く扉を見つけると2人して歓声を上げたりした。
そうして遊び疲れると、日差しもやや和らぐ時間帯にさしかかっていた。携帯には何の連絡もない。歩き疲れた双子は1階の広間にあるソファに沈み込む。
「パパとママ、どうしたのかな。まだ親戚の人たちと挨拶してるのかな」
「でも、この家誰もいなかったよな。つまりこのたくさんの部屋に住んでた人達がみーんな別館の方にいて、パパとママはその全員と挨拶してるなら……時間はかかるのかも」
「はあ、お腹減った〜」
「おい。ここ人の家だぞ」
依呂葉はぐでっとだらしなくソファに倒れ込み、それを見た慧央は顔をしかめる。
「いくら僕の
「……今なんて言った?」
倒れ込んでいた体をぐいと引き起こし、依呂葉は声を低くして答えた。依呂葉にとって「妹」という言葉は禁句だった。そもそも人の家のドアを開けて回っていた行為にはマナーも何もないのだが、双子にとって大事なのはそこではない。
「私はお姉ちゃんだってもう何回も言ってるじゃん。ここは人の家って言うけど、相友家のおうちなら私たちの家も同然。こそこそビビってる慧央こそ
「そのルールが通るならきっと世の中は犯罪者だらけになるね」
同じ日に生を受けた双子に、兄や姉という概念はほとんどない。両親もその辺は曖昧にして、双子に同じように愛を注いでいる。
だからこそ気になってしまうのが子供の性だ。
慧央と依呂葉はことあるごとに互いを比較し、どちらが「上」かを決めようとする癖があった。しかし流石は双子と言うべきなのか、目に見えてわかる結果の一つである学校のテストや体力テストは2人ともほぼ横並びで比べようがない。……それ以外で上下を決めるとしたら、細々とした日常の中の出来事を拾い上げていくしかないのだ。
「む、嫌な言い方」
「事実だから。……いつ誰がここに来るかも分からないのに」
「いつ」誰がここに来るか「分からない」。
慧央がそう漏らした時、依呂葉の口はにんまりと笑みを形づくる。
「私ならわかるよ。いつ誰が来るのかも、いつパパとママから連絡が来るのかもね。天恵があるから。……慧央にはわかんないかもだけど!」
天恵とは、大気中にある虹素を上手く運用して超常現象を引き起こす力だ。もちろん誰にでも使える力ではない。一説には虹化体の力の一部を利用している力だとも言われているように、何らかの要因でごく一部の人間のみに発現する力である。双子にある数少ない明確な差の一つだ。依呂葉は未来予知の天恵を使うことが出来るが、慧央にはなんの力もない。
正に藪をつついて蛇を出してしまった慧央は苦い顔をした。天恵を持ち出されると、慧央は依呂葉に絶対に勝つことができなくなる。
「それを知って何になるんだよ。あと、天恵はむやみに使うなってパパに言われてるだろ」
「1回だけだよ! へーきへーき」
「ちょっ! やめろって……」
止める慧央の声も聞かずに、依呂葉は1度目を閉じて、眉間に力を込めながらぱっちりと開けた。墨のように黒かったひとみは真っ赤に染まり、その焦点がぼやけていく。
未来を予知する《予言》の天恵が発動し、依呂葉の視界だけ時間が加速し始めたのである。
「はあ、怒られても僕は知らないからな?」
3分後、5分後……細かく時間を設定して観察していくも、依呂葉も慧央もソファの上から動く様子はない。ちまちまやっていてもキリがないと感じた依呂葉は、思い切って時を進めてみることにする。
依呂葉の天恵は、例えるなら未来を見ることができる定点カメラのようなものだ。現在の依呂葉が立つこの場所の未来の景色を、2つの赤い瞳に映し出すわけである。つまり依呂葉の目には今、未来におけるこの広間のソファの景色が見えていたのだ。
時を進めていって2人の姿が消えた瞬間、2人は両親からの呼び出しに従って別館──誕生日会が行われる大広間に赴いたということが分かるという寸法である。
依呂葉は思い切って……2時間ほど先の景色を見るために、強く願った。視界はゆらゆらと不確定な要素に滲みつつ、だんだんとひとつの景色に収束して──
「それ」が見えた瞬間、依呂葉はソファから転げ落ちた。
白いワンピースが衝撃にはためき、被っていた帽子が転がる。冷たい床に打ち付けた背中の痛みは気にならなかった。それ以上の光景が小さな体を蝕んでいた。
「何してんだよ……!」
目の色は黒に戻っている。心配した慧央が慌ててその体を起こすが、依呂葉は虚空を見つめるだけで反応も返せない。
「い、依呂葉どうしたんだ? ……天恵の使いすぎ、とか?」
ゆっくりと依呂葉の首が慧央の方を向いた。同じ黒色の瞳の中に自分の顔を見つけると、ぺたりとその頬に触れる。慧央は困惑したが、明らかに憔悴しきった依呂葉を前にその手を払い除けることが出来ない。
「……なんでもないよ、慧央。ごめん、勝手に天恵使って。もう二度としない……」
「いやそこまでは……言ってないけど……」
依呂葉は目をつぶった。
その瞳に映ってしまったのは──深い深い赤色だった。
西暦2090年7月7日、……丁度10年前の七夕の日、この相友家本邸で相友家の親族が大罪虹化体によって殺戮される《千葉大災害》が起きた。
依呂葉はその惨劇の一部を、的確に「予言」してしまっていたのである。
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