7月20日(2/3)
2100.7.20.
《破虹軍》
「じゃあ一つ一つ聞いていくね。勘違いしないで欲しいんだけど、これは尋問だよ。ぼくは今きみが軍に仇なす存在なのかどうか確かめようとしてるんだ。……まず。きみが情報を漏らしていた先は、お父さんで間違いないんだね?」
「……ごめんなさい」
「何故そんなことをしたの?」
「……お父さんから、そうするように言われて……ごめんなさい」
「話が通じないな。きみのお父さんはどうして、わざわざきみにそんなことを頼んだのかな? だって、きみがこれまで調べていたようなことは……お兄さんに話を聞けば一瞬で分かることばかりだ」
弓手からの質問は、ひとつひとつがこころを的確に抉った。直接人を罵倒するような言葉は何一つ入っていないのに、感情を揺さぶれるだけ揺さぶってくる。これでは尋問ですらない。拷問だとこころは思う。
「答えられないかな? まあ、きみの境遇を鑑みるにそうかもしれないね。あまり家族仲は良くないと聞いているよ」
「ごめん、なさい」
だって、ほら。
「それもそうだねえ。優秀なお兄さん……空良くんと比べてきみは何も出来ない落ちこぼれだから。それを残念に思ったきみのお父上は、きみをせめて家のために役立てようとして……当時教会で盛んに行われていたある
「……ごめんなさい」
どう考えたって……
「でもきみはそれにすら失敗した。《白天使計画》──人工的に人に天恵を植え付ける計画に失敗して、それなのに死ねなかったきみは、家のお荷物に逆戻りしてしまったんだね。だからきみのお父上は、きみを……ぼくあたりに始末させたくて、スパイとして破虹軍に送った。違うかな?」
……このひとは、全部わかった上で、私を追い詰めようとしているのだから。
こころは両手で顔を覆った。そうでもしなければ耐えられないと思った。弓手が話したことは全て事実で、でもこころが目を背けていた物事たちだ。弓手はその手を払って、今一度目を合わせてくる。
こころが喉から手が出るほど欲しかった赤い目に、泣き腫らした自身の顔が映った。
「……ふふ、いじめすぎてしまったかな。ごめんね。わかってほしいことは、ぼくはきみのことをよくわかった上で、今まで始末していなかったってことなんだ」
「……ごめん、なさい……」
「謝らなくていいんだよ。すぐ謝ることが出来るのは対人関係を保つのに有用なスキルだけれど、やりすぎると自分の立場をかえって悪くしてしまう。……ところで」
弓手はその場から1歩退くと、こころのノートパソコンを開いた。
「今この時点をもって、きみを破虹軍事務課長に任命するよ」
「え……」
「はい。君の職員IDで事務課の資料は全て閲覧できるようになった。もう無駄にコソコソ隠れなくていいわけだ。もちろんきみがこじ開けたセキュリティはこちらで監視しているから、今後に役立てさせてもらうけど」
責め立てる行為から一転、こころの身を立てるような弓手の行動に、こころは目を白黒させる。何故、と弓手の顔を見上げて、こころは小さく息を漏らした。そこにあったのは、氷のようなという言葉が生ぬるいような冷たさを湛えた微笑みだった。
「……ごめんなさ」
「謝らなくていいよ。謝る必要なんてない。まだお父様に必要とされていたい、ここで死にたくないと思うのなら、ぼくの言う通りにするんだ。……じゃあ、まずは職員名簿を開いて」
こころは震えながら弓手の声に従った。ここへ来てようやく弓手の真意を悟る。
弓手に必要だったのは綾間こころという一人の少女ではなく、破虹軍事務課長という肩書きだったのだ。
破虹軍には権力が1人に集中することによる独裁を避けるために様々な分立機構が存在している。
そのうちの一つが、総帥の権限の一部が各課長に譲渡されていることにある。
破虹師の持ち歩く端末の位置情報や、どこに誰を派遣したのか……という記録は技術課が、職員の病歴やカルテなどは医療課が、街で起きた事件の詳細は刑事課が、そして職員の討伐記録を含めた事務的情報は事務課がそれぞれ占有しているのだ。
これらの情報は1度課長が取りまとめた後、定期的に総帥に報告する取り決めになっていて、その様子は各課長達にも伝達されて情報取り扱いに不正がないかを互いに見張っている。
しかし逆に言えば、監視されるのは総帥へと上げられた情報のみであり、課長レベルで改ざんされたものを見抜くのは課長と総帥本人以外には難しい。
「その1番上の破虹師の、討伐記録を閲覧したい」
「え……」
「ふふ、ぼくだと思った? ウチには階級による序列とかがないからね。名簿は純粋に入隊した順番に並んでいるよ。まあつまり……名簿の1番上は
カチリ、とマウスを合わせてクリックすると、こころの眼前には膨大な量の亜門の討伐記録が現れた。そのいちばん古いものは30年近く前のものになる。……およそ30年もの間東京を守ってきた生ける伝説、という肩書きを肌に感じ、こころは目がチカチカする思いだった。
と同時に、小さな違和感に気付く。
「……これ……」
「そう。亜門くんの討伐記録だけ、定期的に
記帳ミスなどから課長に討伐記録の訂正申請をすること自体は珍しくないのだが、その対象が亜門であること、そしてあまりにも長い期間にわたってその修正が行われていることにこころは疑問を抱いた。
最後に修正された日付は7月14日。紛れもなく先代事務課長が殺された日付であり、……課長はあのような姿になっていてもなお、死ぬその日まで亜門の討伐記録を修正し続けていたということになる。
「……ぼくは長らく疑問だったんだ。あの亜門くんがつまらない記帳ミスをするわけがないって。だから先代事務課長……
「真相……」
「うん。五月さんが亡くなってから亜門くんが討伐に出かけたのは1回だけだ。一昨日、つまり7月18日。これは技術課から上がってきた情報だから正確だよ。その日の討伐記録を見たい」
こころは震えながら7月18日のタブを開いた。その日の虹化体討伐数は……ゼロ。
亜門は討伐に出掛けながらも、一体も虹化体を仕留めることが出来なかったということである。
「そんなわけない」
思わず言葉が口をついた。あの亜門に限って、敵を仕留め損なうというのは考えられなかった。虹化体への対応策が確立されて久しい現在、人類に討伐できない可能性があるのは大罪虹化体だけだ。
そして大罪虹化体はこの10年間、
弓手は顎に手を当て考えるふりをすると、さも「今気付いた」ように話し始める。
「……つまり、亜門くんはこれまでずっと討伐記録を偽装していたということになるんだね。理由はなんだろう……まあ亜門くんはぼくのことを嫌っているようだから、いくらでも考えられるか。1番謎なのはそれを五月さんが隠蔽していたことだね。ねえこころちゃん、きみはどう思う? 敬愛する先輩が犯罪行為を隠蔽していたんだよ? 先輩から職務を引き継いだ新人事務課長が、前任者のミスに気づいた。──この時きみがやるべきことは何かな?」
こころの脳内にぐるぐると言葉が踊った。
弓手はこころを事務課長に仕立てあげた。その前に五月を自ら殺した。その五月は亜門の不正を庇っていた。亜門と弓手は敵対していた。何より、五月は最期に「破虹軍には関わるな」と言い遺していた……
こころの持つ情報はあまりにも中途半端であった。しかしそのどれもが弓手に迫られているこの状況の悪さを示している。そうは分かっていても、こころは現状において頷くことしか出来ない。
「破虹軍に不正は許されません。亜門さんに、相応の処分を下す必要が、あります」
「よく出来ました。事務課長からの提言を聞くのは、総帥たるぼくの責務だ。前向きに検討しよう。……これからのきみの活躍にも、期待してるよ」
弓手はそう言ってこころの肩に手を置き、そのまま課長室を後にした。こころははっとして先程まで閲覧していた機密情報へと目を戻したが、そこにはもうめぼしいものは残っていなかった。
*・*・*
2100.7.20.
《同時刻・公開演説会会場》
「ボクは玉置環──みなさんの嫌いな嫌いな、嫌〜〜いな地下民です☆」
開幕早々の攻撃的な言葉に、会場全体が静まり返る。……これが一般市民の集団ならば逆に騒がしくなる場面なので肝を冷やしたが、環はその違和感自体には気付いていないようだ。頭上を旋回するドローンと、会場全体から向けられる無数の視線。その濃密な空気に酔っているかのように、大袈裟に肩を竦めてみせる。
「……ってのは嘘で、いやホントなんだけど、ボク自身は地上に憧れてたんだよね。昔っから」
「なんたって地上には虹があるから。……ほんとに、ここからでもよく見えるんだ、虹! ボク知ってるよ! 地上では七夕の夜、天の川に願いをかける。そしてその願いを虹が叶えてくれる。……《人の気持ちを増幅し、具現化する》力を持っている虹素が、形にしてくれるんだってね?」
「ボクたち地下民の生活に、そんな夢はなかったんだ。……骨を折ったら数週間寝込む。電気を作ればゴミが出るし、なによりボクらには戦う力がなかった。虹がなかったから。全部虹素が解決してくれる地上とは違うんだよ。地下民は、いつ地上から化け物が降りてくるか分からない……そんな恐怖に心を歪められ、『邪道の力を我が物顔で使う地上人』を見下すことでしか自我を保てないような人達の集まりだった。だから地上人はボクらのことを焼き尽くしたんだよね。旧世代の価値観に固執した危険分子だって。それ自体は正しいと、ボクも思うよ」
「──ちょっと、慧央さん。集中するのはいいっスけど、顔が怖いっスよ」
環の話を一言一句逃さぬように聞いていた俺を、真横から気の抜けた声が殴り付けてくる。俺は最大限に不機嫌な顔を作って応対した。
「話しかけてくるな。いいか蘭堂。アイツは地下民……テロリストだ。故郷を俺たち破虹師に消されたという事実がある以上、いつ暴れだしてもおかしくないんだぞ」
「あー、そのために会場を破虹師で埋めつくしたんスね? 怖いなあ。……やっぱり環ちゃんを殺す気なんスか……」
ちらりと蘭堂を見ると、飄々とした表情の中に少しの迷いが見える。そう言えばこいつ、環を連行する時も気が進まない様子だったな。
「お前、何を隠してる?」
「いやあ、慧央さんは
その時、俺たちの私語を音声と認識したのか、一台のドローンがこちらにカメラを向けた。すぐさま手元のリモコンで軌道を逸らす。……こんな会話が全国に流れたら、それこそ破虹軍の信頼は失墜してしまうだろう。
いつカメラを切るかと頭を悩ませつつ、俺は環の演説へと集中を戻した。
「ボクはそんな地下の人達が嫌いだったんだ。だからボクは地上に出たかった。夢と希望に溢れる地上人の仲間になりたかった。そのために、友達と地上への脱出計画を立てた。その決行日が、ちょうど……地下が焼かれた日の事だった」
「あの日のことはよく覚えてるよ。ちょうど定期的に破虹師の人たちが見回りに来る日だったから、ドアが開いた隙に外に出よう☆ なんていう可愛い計画だったんだけどね。出口付近までたどり着いたボクらの目の前で、総帥が火を放った。……ボクを庇った友達は目の前で傷付き、連れ去られて……その後は音沙汰ないよ。揺れる炎の向こうでバタンと扉が閉まって、後ろからは仲間の呻き声が聞こえて。全部終わる頃には、ボクも酸欠になって倒れた」
総帥、というワードに、破虹師たちは微かにざわめいた。中には7年前、地下街掃討作戦に直接関わった人間もいるのかもしれない。
7年前の当時、確か弓手は総帥に就任したばかりであったはずだ。才覚に溢れていたとはいえ若い弓手が、その力を示すために行った政策が──地下街の封鎖だった。
東京の街から反乱分子は消え去り、そんな非道なことも容易くやってのける弓手は総帥としての実力を認められていったのだ。……皆が恐れおののいたという方が正しいかもしれないが、ともかく弓手はその一件があってから、総帥としての顔が定着したと言っていい。
その被害者の生の声、というのは、破虹師たちに想像以上の動揺を与えたのだ。
(まずいな……正直こんなにまともに喋るとは思ってなかった。早いところ環の狙いを探って、動きを止めないと)
俺はより集中して、環を観察した。
環の目的がこの場を混乱に陥れることである以上、何か話術以外の手段を持っているはずだ。ただ、奴は事前に身体検査を受けているし、刃物や毒物の類は所持していないことが分かっている。
その検査を通り抜けることが出来て、かつ、この場で作用する可能性のあるもの……
目を凝らす俺の知覚に、微かな気配が掠めた。「勘」に従ってその細い糸を辿り、感覚の解像度を高めていく。数秒もすれば、先程までは感じ取れなかった大きな「残留意思」のようなものを感じ取れるようになった。
(出処は……アレだ、今朝から首につけているペンダント!)
環の喋りに合わせて、ペンダントが服の上を滑るのが見える。
気付いてしまえばなんてことはなかった。形見のペンダントなんて、故人の強い思いが宿るに決まっている。それを悪用出来てしまうのが、虹のある地上の理なのだ。大きな感情と虹素が掛け合わされば、そこには虹化体が生まれる。
──そして、きっと環はそれを使って《地下街の悪夢》も起こしたのだろう。大量の虹化体を一瞬にして生み出すトリックだ。環自身が思念の塊を持ち歩いていたのだから、地上という虹素に溢れる場所にいるだけで自由自在に虹化体を生み出すことが出来るのも当然である。
ただ、至近距離で虹化体を錬成し続けた環の体は、虹素による汚染に耐えられず、死んだ。だから一周目の世界では、《地下街の悪夢》の犯人は分からずじまいだった……
(ネタが分かったのだから、早いとこ奴を止めなければ……どうすればいい? 引きちぎってしまえばいいのか)
「それから7年。ボクは1人で生きてきた。こんな暗い穴の中で死んでたまるか! と思いながらね☆ そしてついこの間、ボクは始めて地上に出たんだ。7年越しの目標達成ってワケよ」
環はここへ来て始めて大きく身振りをとる。両腕を広げ、自らには毒であろう日光を浴びるような姿勢になると、星の散る瞳をぱちぱちと瞬かせた。
「──はあ、でもね。ボクは生まれてからずっと地下にいたし、ボクのママも、ママのママも同じように地下にいたんだ。そうしたらボクの体は、地上のこの眩しさを受け付けない体質になってしまったらしいよ。日光を浴びると猛毒だって、医務室の人に教えてもらったんだ☆ アハハ、空はこんなに綺麗だし、草木は青々と茂っているし、たくさんの人間の笑い声が聞こえるこの地上に……ボクは拒絶された」
「あ、別に傷ついてないよ☆ ちょっと重めに言ってみただけ☆ そもそも外の景色を見たい! なんていうのは
……いや、行くしかない。
誰に言われるでもなく、呼吸を整えた。今にも飛び出さんとする俺を見た蘭堂は止めようとするが、虹化体の力を備えた俺の腕力にただの人間が敵うわけもない。無視して構わないだろう。
簡単な話だ。俺はそもそも環を見張る獄吏であり、環に近付き、その首からペンダントを奪うのは何ら不自然ではない。
「ウダウダ言ったけどさ、ボクは結局……めっちゃムカついてるんだよね☆ この世界に。不平等だよ。なんでボクだけがこんなに虐げられなくちゃいけないんだ」
蘭堂を振り払って俺が近付くにつれ、周囲を漂っていたドローンがフワフワと集まってくる。環はあえてこちらを見ることはせずに、首のペンダントに手をかけた。
「……うんうん☆ どうしたのかな慧央くん。ボク今演説中なんだけど」
「そのペンダント、まだ詳しい解析が終わっていなかったはずだ。一旦預からせてもらう」
「…………」
環はマイクの電源を切り、初めてこちらを見た。その目には感心とも落胆ともつかない色を宿している。
「ふーん、ジャマするんだ」
「当たり前だろ。演説会開演を果たした時点でお前との貸し借りはなし。となればあと俺にはお前を殺すという目的しか残っていない」
「あは、物騒☆ 市民の皆さんに聞こえるよ? いくらマイクを切ってるからって、ここと客席は地続きなんだから」
「いいさ。この会場にいる人間は、全員俺の作戦の構成員……全員破虹師だからな」
その言葉に、環は会場を見渡した。よくよく観察してみれば、観客の身のこなしは一般市民のそれではなく、戦いになれた軍人のものだと分かったのだろう。己が哀れなピエロであったことを、ようやく自覚したのだ。
「慧央くんのくせに、なかなかリスキーだね☆ ボクを正当に殺す手段をこう取るなんて。ボクがなにか怪しいことをすればすぐ殺せるし、ここでこのペンダントを使ったとしても被害は最小に抑えられるって訳か」
「虹化体は共鳴する。この会場内で死人を出さずとも、仕留め損ねた虹化体はその数を増やして街を荒らすだろう。……破虹師たちはあくまで保険で、本来の目的は俺の手でお前を……諸悪の根源を絶つことだ」
俺と環が言い争っているのを、この場の破虹師全員が見ている。この状況で俺が環を始末したとしても、なんとでも言い訳は出来るだろう。
「降参だよ慧央くん。……何でこれが鍵だって分かったの?」
「勘だ」
そう答えると環はおかしそうに笑い、涙を拭いながらペンダントを俺に渡してきた。受け取ったそれは残留思念のお陰でずっしりと重く感じる。……未来で何人もの命を奪うことになる凶器だ。
環は笑いながらマイクの電源を入れ、縋るように話し始める。
「はは☆ なんだ! ここに居るのみーんな、ボクをこらしめた破虹師たちなんだ! ボク、あんまりにも可哀想じゃない!? 破虹師に全て奪われて、その復讐のために地上に来てみれば、体の方がダメ。……そして今まで敵に向かってこんなに長々と喋ってたなんてさ☆」
「……せっかく全員を殺せる策を用意してきたのに、たった今慧央くんに取られちゃったしぃ?」
会場が殺気立つ。……準備段階から俺が常に環を警戒してきた理由を、ようやく全員が共有することとなった。
あとは俺の合図ひとつで、環に向かって全員の攻撃が突き刺さるだろう。前列の破虹師たちには、あまりメジャーなものではないが遠距離攻撃型の蜺刃も渡してある。……俺は落ち着いて、これから起こる惨劇に備えドローンの電源を一つ一つ落とした。
カラカラと地面に転がるドローンの雨の中で、環はヒャヒャヒャと笑いながら、マイク立てからマイクを抜いた。うねるコードを操りながら身を乗り出し、地下で見せた本来の姿へと戻る。
「みんなボクのこと殺したいんでしょお☆ ボクも同じ! 地上人み〜〜〜んな殺したい! ボクより幸せに生きてる人間はみ〜〜〜〜〜〜〜〜んな許せない! そんな人に殺されるのも、まっぴら☆」
環の顔は輝いていた。17年間地下にいた少女が、地上に出て1週間と少し、短い人生を花火のように打ち上げ、燃えつきようとしている。
──迷惑なことこの上ない。
ここはお前のライブ会場でもないし、俺は駄々をこねるお前を慰める母親でもないのだ。俺はすっと蜺刃を展開すると、環の首にあてがう。
磨きあげられた漆黒の、刃渡り70センチ。
──この世に巣食う悪を斬る、人類に残された最後の兵器だ。
人を初めて殺すというのに、俺の胸に動揺はない。「正義」と名がつけば人間はどんなことでも出来るのかとぼんやり考える。
「言い残すことは無いな」
「あるわけないじゃん☆ 最っ悪☆ ボクの人生最悪だったよ☆ お前らのせいで☆ バーカバーカ!」
環のひんやりした手が俺の手と重なった。それを振り払おうとして、逆に──刃の制御を取られる。
環は首に宛てがわれた蜺刃を、自らの手で首に押し込めた。当然、人間は自らの力で首を両断できるほど強靭な力は備わっていない。生ぬるい血を吹き出しながら、ちぎれかけている気管から呼吸を漏らしながら、それでも首の中ほどまで刃を進めると、ニヤリと
いや待て。首を切って何故笑っていられる。
「何してんだお前……!」
「ヒュー、……だから、ボク……は、ゼェッ……誰にも殺されたくない……んだよ! ヒャハ☆ そして、……ボクの勝ちだ」
まずいと感じて、俺は瞬時に環の首をはねた。実に簡単にその命は終わった。首はゴトリと床を転がり、頭部を失った体は演台の上に崩れ落ちる。
その亡骸を、俺は必死に蜺刃で何度も刺した。白かったパーカーは漏出した血液で真っ赤に染まり、ただの肉塊へと堕ちていく。ダメだ。まだ足りない。
その後ろから、見るに見かねた蘭堂が俺を羽交い締めにしてくる。
「やめるっス! 環ちゃんは……玉置はもう死んだっスよ! これ以上は」
「迂闊だった……環の体は極端に虹素に弱い。こんな死に方をしたらコイツの体は虹化体になる!」
その言葉を合図にしたかのように、懐にしまいこんだペンダントがずくんとその気配を増した。取り出してめいっぱい投げると、それは広い舞台の端でカタカタとわだかまる。
しかし、目の前の環の死体は……既に蠢動を始めていた。血を流していた穴はぱくぱくと塞がり、地面に放り出されていた四肢は、殺す相手を求めて這い回る。
明らかに「意思」を持った動きだ。
「チッ……蘭堂、あとはお前に任せる。俺はコレを殺すから、お前は破虹師達を連れてここを出ろ。外の警戒に当たれ。恐らく破虹師たちのストレスで周囲も虹化体が出やすくなってるはずだ」
「でも……この蘇り方って、ただの虹化体じゃなくて大罪虹化体の──」
「いいから行け」
蘭堂と俺の視線が交錯した。蘭堂は俺から顔を背けると、端末で破虹師たちに号令を出す。
「おい……俺はお前にもどっか行けって言ったんだが」
「それは無理な相談っスよ。何を隠している? ってさっき言ってましたけど──オレは、
「お前は北斗七星でも何でもないだろ!」
「ボクの前でお喋りとか、いい度胸してるじゃん☆」
歯を見せて笑った蘭堂が、横からの強打に倒れた。臓器が潰れる重い水音が響き、呻きとともに口からどす黒い血が漏れる。視界の隅を、黒々としたムチのようなものが掠めた。
「あー、やっと動けるようになったけどやっぱすごいね!大罪虹化体。慧央くんとおそろっち! パワーが違うよ、パワーが!」
「おい」
呻く蘭堂を放り、俺は目の前の化け物へと手を伸ばす。何をするつもりなのかはすぐに分かった。
俺の下で肉塊になっていた筈の環の頭部は復活した。修復しきれていない顔のひび割れのような部分が黒い虹素で補われ、星のマークのように見える。全身から漂う黒いモヤは蜺刃で断ち切ってみてもなんの効果も無い。
環「だったもの」は、演台に転がるマイクを手に取ると、高らかに宣言した。
「みんなちゅうもーく! ボクは今しがた慧央くんに殺されて大罪虹化体になった環ちゃんでーす☆ ここで皆にひとつお知らせがあります! ほらほら、外にも虹化体が沢山でてきたみたいだし大変だと思うけど……今ここには2体も大罪虹化体がいてホントに大変だねー☆ 日本終わり? ウフフ☆」
大罪虹化体と交戦できるのは、北斗七星だけに限られる。環の言葉に耳を貸すものは少数だった。気を抜けば、隣の蘭堂のように、やられる。破虹師たちはそれを理解している。そうであっても、言葉は伝わる。……俺の最大の弱点が、周囲に撒き散らされる。俺は生身の状態では、大罪虹化体に傷をつけることすらかなわない。
「あれれー? みんな知らないの? ふーん、ならボクが、そんな慧央くんの《虚飾》を剥がしてあげる! エイ☆」
「──ぐ!」
虚飾、と言った環が手をかざすと、俺の体は猛烈な熱に襲われた。俺の意思に関わらず、身体中から黒い虹素が溢れ出し……我慢ならず、生み出した黒腕で環をひねり潰してしまう。
会場の空気が凍ったのがわかった。破虹師たちはもう座席の半分ほどまで減っていたが、それだけの人数の前で、俺は醜い姿を晒してしまったのだ。
握った手を開くと、体のあちこちをおかしな方向に曲げた環が、それでもケタケタと笑っている。思惑通り、と言いたげな顔に、俺は比喩でなく全身の血が引いた。
「ギャ、ハ☆ 見たあ? ──東京を守る北斗七星様の、この姿! こわーい! アハハハハ!! お前もボクも同じだよ、この化け物!」
環は笑い、蘭堂は黙する。会場はこちらを気にしつつも、破虹師の中に大罪虹化体が紛れていたという事実から目を背けたいのか寄ってくる人間はいなかった。山田さんと依呂葉は恐らく、いの一番に街へ虹化体を刈りに行っただろうから、きっと俺の姿は見ていないだろうが……
「……こうなったら、ここで全て終わらせてやる。今日がお前と俺の命日だ」
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