交錯
2100.7.17.
《公開演説会会場ミーティング当日》
ブロロ……と重いエンジン音を響かせ、俺と環を乗せた護送車が道を走っていた。
公開演説会当日の段取りを確認する大事な会議を、その通り会場で行うためだ。窓には鉄格子が嵌められているが、その僅かな隙間からも、護送車を見に来た野次馬がちらほらと確認できる。
こうなるのなら、やはり会場は変えて正解だったかもしれないな。
3日前宇佐美さんと話した後、俺は総帥に公開演説会の会場変更を申し出ていた。総帥は不思議がってこそいたものの、実行委員長は俺だからとそれを承認してくれた。会場は当初のものより小規模にはなったが、情報漏洩の危険性は減ったに違いない。環は地下民だ。環が地上人を恨んでいるように、依然地下民に対して敵意を持っている地上人は居るだろうし、環は一応保護された一般市民という扱いになっているので、──暗殺、ということにでもなれば、こちらとしても事を大きくして対応しなければならなくなる。
環の抹消を目的とする俺としては願ったり叶ったりだが、現実世界はそう甘くは進まないのだ。
それはそれとして、今日7月17日は、《地下街の悪夢》が起きたまさにその日である。一周前の俺たちが散々苦しめられ、多数の犠牲者を出し、環が死んだ日だ。
俺はそんな未来を捻じ曲げ、今こうして奴と向かい合っている。
視線を前に向けると、フード付きパーカーを身に纏った、病的なまでに白い少女と目が合った。日の光を知らず、17年間ずっと地下で憎悪を熟成させてきたのだろう少女は、見た目だけならばこの世の何よりも儚く透明に見える。環は俺の視線に気付いたのか、ふんふんと歌っていた鼻歌をやめ、星の輝く瞳を細めて笑った。
「るんるるーん☆ 会議楽しみだね慧央くん!」
「そうだな」
「えーっ反応うすーい☆ 慧央
誰がそんなことを、と口走りそうになり、とどまる。ここには監視カメラが設置されているから、怪しいことは口にすべきではない。……まるで悪魔を目の前にしているかのような錯覚を覚えた。
「……お前、もう喋る原稿とかは考えたのか? 人を集める以上、ノープランってわけにはいかないだろ」
「ボクは天才だから、そんなのなくたって平気〜☆ それに、喋ることなんて……ボクが
環の裂けるような笑顔を見て、思わず唇を噛んだ。こいつ、ハナっから演説する気なんてないのだ。ただ一言「死ね」と言いたいが為に、俺を始め破虹軍をこき使っている。
それを知っているのは俺だけ。
俺と環は互いに互いの嘘を隠す共犯者だ。環の嘘は、奴が人畜無害で可哀想な、地上人の身勝手な思想の被害者であるということ。そして俺の嘘は、俺がまだ人間であるということ。互いの嘘を隠し、互いの目的に協力する……これが、地下の地下で交わした契約である。
だが、俺があの時環にこの交渉をもちかけたのは、そうでもしなければあのまま環に殺されていたからだ。環という爆弾を抱えたのと引き換えに、生きて地上に戻ってきたということになる。つまり今の時点で環が抱えるデメリットはゼロに近い。反対に俺は、今目の前にいる環を、今度こそ十全の状態である戦闘服のアシストを使って絞め殺すことさえ出来ないのだ。完璧に「負けている」と言わざるを得ない。
環は上体を拘束しているベルトをギチギチと軋ませ、何も言えないでいる俺に言葉を継ぐ。
「慧央くんってホントに損な人生送ってるよね☆ こーんな暑い時にボクと2人っきりにならなきゃいけないとかさ……そう、ほんとは実行委員長もしたくなかったんだし……ねぇ? ボクはキミと一緒に居てすごーく楽しいんだけど、キミは楽しくなさそうじゃん☆」
俺の言動から、ここに監視カメラが設置されているのだと悟ったのだろう。環はギリギリ怪しまれないが、俺の精神を毟っていく言葉を選ぶことにかけては天才的だと言わざるを得ない。
俺の脳裏に、環との密約や軍としての体裁をすべてかなぐり捨て、今すぐ殺してやろうという考えが浮かばなかったわけではなかった。ただ、そんなことをすれば俺はこの軍からつまみ出され、晴れてお尋ね者の仲間入りを果たすだろう。
体は人間を辞めたが、俺の心はまだ依呂葉のために正義に忠実でありたいと思っている。悪は朽ち、正義は勝つ。依呂葉の望むことではないのかもしれないが、まだ俺は、破虹師としての義務を果たしたいと思っているのだ。こいつを殺すタイミングは、よく考えなければならないだろう。
俺がやったとバレないタイミングで、遂行する必要がある。
「慧央くん、聞いてるの〜?」
「静かにしろ。俺はお前が思っているほど優しい人間じゃないぞ」
こう言うと、環は一瞬キョトンとした。
「……へぇ☆ そうだね☆ 慧央くんは優しくか弱い
やり返したにしては少々弱いが、それをもって環の口を閉じさせることには成功した。車内は再び沈黙に包まれる。
正確に言うと、俺も環も、どうやって相手を殺すのかを考える方に意識を割くことにしたのだ。口先だけの罵倒なんて、死体に吐きかけてやればそれでいいのだから……
*・*・*
程なくして会場についた。環に布をかぶせつつ(直射日光は地下民にとって劇薬だ)中に移動させ、予め先回りしていたらしい弓手総帥の指揮のもと会場を設営する。と言っても、そもそもが多目的ホールであるここには椅子も用意されているし、やったことと言えば精々環のための演台を用意したことくらいだ。
「お疲れ様、慧央くん。環ちゃんとは話したかい?」
報道などその他関係者が到着するまでの間、水でも飲んで休憩していたところ、総帥がどこからかやって来て話しかけてきた。今日は仕事ということで、先日のようにラフなアロハシャツといった装いではなく、俺と同じ戦闘服を身にまとっている。……おかしな所はない、はずだ。俺も総帥もいつも通りである。
「はあ。まあ、それなりに」
「怪しいところとかは無かった?」
「……あー、特にないと思いましたけど……録画データならありますよ」
怪しいというか、環は完全なる黒だからなと思いつつ、護送車の監視カメラのデータを渡す。この人は環について擁護派だったと思うのだが、こういう所の抜け目がない辺り底が知れないな。
そう思えば思うほど、この人が見せた小さな違和感……先日の実行委員会で世世さんが倒れた時の言葉を思い出してしまう。
あの時総帥は「邪魔者が消えてよかったね」と言った。今と全く変わらない、柔らかく美しい笑みを浮かべながら。
「慧央くん、もしかして疲れていたりするのかな」
またも思考を読まれたようなタイミングの声に、思わず肩が跳ねる。
「いや……何でもありません」
「そう、それは重畳。これからきみには沢山働いてもらうから、これくらいでへばってもらっても困るけどね。……さあ、お客さんが来たみたいだよ。挨拶してきて」
言いながらぺいっと背中を押されて、入口からゾロゾロと流れてくる人の波へと渋々向かわされる。これでは幼子のお使いか何かのようだ。俺には人を率いて実行委員長をやるだけの能力はないのはよーーく分かったから、だったら役目を降りさせてほしいのだが。
心中で愚痴りながらその先頭を歩く破虹師へ声をかけようとしたが、俺は思わず伸ばしかけた腕を止め、あほ面を晒して固まってしまった。
「……ん、お前が東京本部の担当者か?
「な、なんで」
その腕を無理やりに取って握手してきたのは、見慣れた戦闘服を身に纏う、俺とそう歳の変わらない男だ。紫の髪をヘアバンドで撫で付け、真夏だと言うのに真っ黒なマスクまでつけているのだから、戦闘服も相まって全身黒ずくめという言葉が相応しい。そして、こんな極まった格好をする人間が、世の中に2人として存在している訳もない。
俺は、こいつのことを知っている。
「
「何だよ、久々に会った親友に対して、第一声がそれか?」
「久々って……ちょっと前に会っただろうが。でもお前……破虹師やってるなんて俺は知らなかったぞ!」
千賀は俺の唯一の親友だった。中学三年間同じクラスで、記憶を失っていた俺にいろいろと良くしてくれた恩がある。……そして、高校に上がる直前、千賀には何も言わずに俺は破虹師になった。依呂葉の後を追いかけたのだ。
それ以降お互いの忙しさもあって疎遠にはなっていたのだが、決して会っていなかったわけではない。なのに、破虹師をやっているなんてことは1度だって聞いたことが無かったのだ……
呆然とする俺に、千賀は意地悪く笑う。
「お前だってオレに黙っていなくなったくせによく言うよな。仕返しだコラ」
「それに関してはもう謝っただろ……じゃなくて、お前こそなんでここにいる?」
「オレは破虹軍千葉支部の、
何だって、支部長代理代理? ……さっきから驚きすぎてリアクションも取れない俺を前に、千賀は片手を高く掲げた。すると、その後ろからバサバサと何かの羽音が聞こえてきて……外の光の中から形を為した一羽の
「こっちが破虹軍千葉支部の
「やァ、初めまして相友慧央くん。今日はどうしても仕事の都合がつかなかったんだ。このような形でのミーティング参加を許してくれて、本当に、ありがとう!」
大きな赤い目をクリクリと瞬かせるフクロウの口から、流暢な男の声が聞こえてくる。目が赤いし天恵の一種なのかな? と現実逃避を始めた俺を責められる人間は、どこにも居ないだろう。
*・*・*
千賀と千葉支部長・
俺から話したことは主に2つ。
まずひとつは報道体制のこと。驚くことはない。会場を変更したことでキャパがさらに小さくなったため、このままでは環の
もうひとつは、当日の警備体制のことである。対面で演説をしている瞬間の環は、暗殺を目論む者たち(がいるとすれば)からするとただの的だ。環はもちろんそれを承知の上でやろうと言ってはいるのだが、こちらとしては放っておく訳にはいかない。当日は壇上に最低1人、警護の破虹師を付けるという方向で話をまとめた。メンバー選出はまた後日行う。
……そしてここまで全てが、
咳払いをすると、俺は言葉を続けた。
「……以上で確認事項は全てです。玉置、異論はないな」
「もち☆ みんなボクの為に色々やってくれて……ありがとー☆」
「では、これより撤収作業を行います。最後に
周囲に分からない程度の間、俺と環は睨み合い……そのまま休憩時間に入る。最後に
俺は環の元まで赴き、相変わらずギョロギョロと動かされる金色の目を覆い隠すように、布をかぶせる。ふぎゃっという悲鳴を無視して無理やり立たせ、出口まで連行した。
……最後の話をコイツに聞かれる訳にはいかない。環はこのタイミングで護送車に戻してしまおうというわけだ。
ミーティングは1、2時間程度で終わったが、今は時刻にして午後3時。外へ出ると灼熱の空気に押しつぶされそうになった。室内では飄々としていた環も、これには布の下で縮こまっているのがわかる。地下民の環がこんな日光に晒されたことなんて、ないはずだからな。
俺は周囲に視線のないことを確認すると、ため息をついて声をかける。
「……急に倒れたりするなよ」
「何? 心配してくれてんの? やっさしー☆」
「誰がするか。演説会前に死なれても困るんだよ。もう色々と引っ込みのつかないところまで来たからな。……俺としてはお前にはさっさと死んで欲しいんだけど」
「はは! 大変だねぇ☆ ……そんなこと言われると死んでみたくなっちゃう☆」
コイツは今、命の全てを賭けてギャンブルをしているつもりなのだろう。自らの命ひとつで、地上人の記憶にどれだけ恐怖を刻みつけられるだろうか、としか考えていないのだ。
そんな理由で、一周前の今日には多数の死者が出た。許し難い。環と会話すればするほど、地上と地下は相容れない場所なのだという確信が深まる。
「……着いたぞ。もう暫くここで待っていろ」
「はぁ〜い☆ 終わったらアイス買ってよ! ボク食べてみたい」
「絶対嫌だ。じゃあな」
喚く環を車に詰め込み、その車体を背に再びため息をついた。やはりこいつは今すぐここで殺すべきなんじゃないだろうか。言い訳をしたら総帥なら許してくれそうだし。
そもそも。環の公開演説会を成功させたところで、依呂葉を殺した《憤怒》に近付くことは出来ないのだ。
「なんで、俺が、こんな目に遭ってるんだ……思いっきり遠回りさせられてるだろうが……」
「やっぱそう思ってたんだな。お前が依呂葉ちゃん以外のために何かをしてるの、初めて見たし」
「まあそうだな。自慢じゃないが
顔を上げれば、そこに千賀がいた。忌々しいことに俺より20センチ近く高い身長を遺憾無く発揮し、俺をニヤニヤと見下ろしている。
ぬるりと人の独り言に割り込んでくるキチガイっぷりは、中学の時から全く変わっていないらしいな。
「久しぶりなのに全く驚かないのか。つまんねえの。……とはいえお疲れみたいだな、慧央。ジュース買ってきたぞ」
「要らん」
後をつけてきたのか、なんてことは考えるまでもなかった。こいつはいつだって俺の行動を先読みし、「偶然だな」という顔をして目の前に現れるストーカー……友人なのだ。さっきの会話をどこまで聞かれた? と思考をめぐらす俺をよそに、千賀は話を続ける。
「さっきの子、環ちゃん、だっけか? 中々かわいいよな」
「急に何言い出すんだよ。アイツは……」
「あいつは?」
「地下民だ。馴れ合うような人種じゃない」
言い切ると、千賀は目を細めた。
「に、しては何か……隠してるだろ、お前」
「お前には関係ない。ほら、そろそろ撤収作業を再開するから戻るぞ」
目の前を塞ぐ長身を思いっきりはね飛ばす。よろめく様子もなく数歩退いた千賀をもう一度睨むと、奴は俺と目を合わせてきて言った。
「なあ、さっき言ってた壇上の警備だが……推薦したい奴がいるんだ」
「推薦?」
「ああ。
「……聞いたことない名前だな」
脳内の破虹師名簿を繰ってみたが、そんな名前は聞いたことがなかった。俺が知らないような人物を千賀が知っていて、しかもそんな大役に推薦するなんて……あるか?
分かったと適当に返事を返しつつ俺は会場に戻ったが、言いようのない気持ち悪さはどうしても抜けなかった。
*・*・*
「撤収作業お疲れ様です。残すところは数日後の本番だけとなりますが……ここで、ちょっとした
全ての作業が終わった後、俺は関係者をもう一度ホールに集めた。今から言う計画は、実行委員会の会議の場ですら話したことはない。環のいる場では話せなかったことだ。
……それだけに、全員が賛成してくれるとも思えない。緊張に強ばる体を叱咤し、声を張る。
「本日申し上げたミーティング内容は、全て表向きの内容です。玉置には当日この場で演説をさせますが、その目の前にいるのは演説を聞きに来た一般市民ではなく……我々破虹師です」
多くを言わずとも、ほとんどの人間が俺の言葉を理解したらしい。さらなる説明を求める視線が、ホールを痛いほどの静寂で満たした。
「玉置は……地下民は、決して信用できる存在じゃない。地下で保護した後、俺は奴の尋問に立ち会いましたが……とても、俺たちと友好的な関係を築こうという姿勢は見えませんでした。ですよね、山田さん」
「ヒェ?! 僕!?」
多分いるだろ、と思って適当に声をかけたところ、元気のいい返事が返ってきて安心する。普段注目されていることに慣れていないのだろう山田さんは、俺に名指しをされると顔を真っ赤に染めた。
「あ、あ……うん。確かに、結構言動が怪しかったよ。僕、天恵で人の嘘が見抜けるんですけど……」
「ありがとうございます。……奴には少なくとも、何かを隠そうという意思はあったわけです。この、公開演説会において。それを分かった上で俺が実行委員長になったのは、かねてより観客の差し替えを行うつもりだったからでした」
山田さんは発言を終えるとすぐに気配を消し、もう俺ですらどこにいるのか分からなくなってしまう。
「当日、間違いなく奴は何かしてきます。……それが、何か武力を行使するものなのか、思考を汚染するような何かなのかは、まだ分かりませんが……その凶行を止めるのは、奴を地上に連れてきてしまった俺の責務かと思います。ですので、当日壇上で奴を警護する役は、俺が務めます」
つまり、何かしたら殺すということだ。
表情の変わらない俺と、微かに動揺の広がる会場。誰も反対はしなかったが、賛同の声も聞こえない……そんな空気のまま、会場ミーティングは解散の時を迎えた。
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